日本地球惑星科学連合2022年大会

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[J] ポスター発表

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[M-ZZ50] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2022年5月29日(日) 11:00 〜 13:00 オンラインポスターZoom会場 (32) (Ch.32)

コンビーナ:矢島 道子(東京都立大学)、コンビーナ:山田 俊弘(大正大学)、コンビーナ:青木 滋之(中央大学文学部)、コンビーナ:山本 哲(MZZ50_29PO1)

11:00 〜 13:00

[MZZ50-P03] 日記に残された旧制第四高校での教育研究と東アジア調査旅行にみる地理学者望月勝海

*須貝 俊彦1 (1.東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻)

キーワード:日記、旧制高校、地理学、文理融合、車窓観察術

望月勝海(1905-1963)は、文才溢れる地質学者として知られるが、絵心に満ちた地理学者でもあった。望月は、東大理学部地質学教室を1928年に卒業後、直ちに旧制第四高等学校に赴任し、理科と文科で地質学・鉱物学と地理学の講義を開始した。同年、能登半島の地形発達史に関する卒業論文を辻村太郎 (1890-1983)の助言を得て、地理学評論に発表した。望月は多数の講義の準備に精力を注ぎ、1931年に「地質学入門」、翌年に「鉱物学入門」を出版した。同年には大塚弥之助 (1903-1950)と共著で岩波講座地理学の「地形発達史」も出版した。同書の「金澤市付近の地形及び構造概念図」は、望月が週末に繰返した地形地質調査に基づくものであろう。望月は、人口や民族、産業、政治、経済関する内外の出版物を読みこみ、地理学の講義の体系化にも努め、地理学会の学術大会には欠かさず参加・発表していた。学生時代の1928年には山崎直方 (1870-1929)の人文地理学の講義を熱心に受講していた。
 金沢時代、望月は夏休み毎に東京に帰省し情報収集や研究交流に努める一方、しばしばアジア大陸へ旅行した。1930年8月7日に東京を発ち、門司経由で11日に大連に着くと、旅順工科大学、奉天、長春、京城などを巡り、23日に帰京している。1932年は、8月6日に東京を発ち、大連・長春を回り、21日に下関へ帰着しているが、この旅費には「地形発達史」の原稿料を充てた。1937年も8月6日に金沢を出発し、敦賀経由で大連学術協会総会等に出席し、奉天、新京を回り9月3日に金沢へ戻った。1938年8月1日から30日までは単身で大陸に渡り、多くの要人と交流した。旅行時の日記は103頁に及び、旅程や面会者が克明に記録され、地図、家屋、人文・自然景観、地形や地質などのスケッチが50余りの挿絵として、軽やかなタッチで描かれている。望月の車窓観察の鋭さ、地質学から人文地理学に及ぶ関心と知識の幅広さが見て取れる。勿論、東アジアの時勢を知る貴重な資料でもある。望月の金沢時代最後の大陸旅行は1940年8月19日から9月8日に行われ、翌年旧制静岡高等学校へ異動した。
 21世紀を迎え、持続可能な開発のために文系と理系の融合が必要とされる今日、望月勝海の広範にわたる研究教育業績は再評価されるべきだろう。