15:30 〜 17:00
[O08-P52] 千葉県旭市における神社の立地と津波との関係
キーワード:津波、神社、東北地方太平洋沖地震
2011年に発生した東北地方太平洋沖地震によって、太平洋沿岸部は無惨に破壊されてしまった。しかし、多くの神社が津波の被害を免れていたことから、神社と津波の関係性に関するついての研究が2011年以降になって活発に行われている。例えば、高世ほか(2012)は、福島県南相馬市から新地町において、東北地方太平洋沖地震の津波到達位置に沿って村社(各地域によって信仰、運営されてきた神社のこと。本研究では、明治時代に決められた神社の種類のひとつである旧村社を指してはいない)の神社が建ち並んでいることを明らかにした。この津波到達位置と神社分布が一致することについて、高世ほか(2012)は、多くの人が信仰上の考え方として大抵の神社は集落の一番高いところにあるから、津波から逃れるのは当然だという意見を持つだろうと指摘している。ただし、重要なのは多くの神社が山の頂上などのより高い場所を周囲に有している場合でも山の中腹や平地に建立されていて、中には神社より高い場所に集落が存在する場合もあるということである。何より、残った神社の殆どが津波の浸水域に対して、間際で逃れていることが不思議であり、神社は高い場所に建立されるという答えだけでは十分な説明にならないと指摘している。また、高田ほか(2016)は四国沿岸域において、村社と式内社で違いがあるものの、高世ほか(2012)と同様に神社が津波到達位置付近に位置することを示した。他にも、宇野ほか(2015・2016)は、紀伊半島と、四国において、神社の祭神と内閣府が公表している南海トラフ地震のデータの津波到達位置との関連性を調査した研究(例えば、宇野ほか,2015;宇野ほか,2016)があり、その中で、神社の津波に対する被災の傾向は祭神別の一律できまるものではないが、神社の多くが津波を逃れると結論付けている。 神社分布と津波の到達位置の関係については、日本の一部の地域でしか調査・研究が成されておらず、研究対象地域が限られている。千葉県では特に、外房地域においていまこれまで東北地方太平洋沖地震や元禄地震など、数多くの津波被害に遭っていると考えられる。その上で、東北地方太平洋沖地震の津波被害が千葉県内で大きかった市町村の一つである旭市を研究対象地域とした。また、旭市飯岡地区の浅間神社にある改築記念碑には、元禄地震、宝永地震と繰り返す津波被害に苦慮してその神社を祀ったことが記されている。つまり、旭市飯岡地区周辺では、江戸時代から神社と津波の繋がりが強い地区であると判断されるので本地区を特に注目した。
研究の実施にあたって市町村誌やGoogle Mapを用いて神社の名前、祭神、建立時期、場所を調べ、Webの地理院地図にプロットした。また、東北地方太平洋沖地震の津波到達位置と範囲を検討するため、東北地方太平洋沖地震の津波浸水域データを重ねた。そして上記のデータを使用して神社と津波到達位置の関係を比較した(Fig. 1)。さらに浅間神社の建立のきっかけとなった地震の一つである元禄地震の津波に関して、防災危機管理部防災政策課政策室が公表している津波浸水予想図のwebサイト内で浸水域が示されており、その地震を再現することによって潜在的な津波浸水域が示されている。そこで、本研究ではそのデータを元禄地震時の津波の浸水域とし、東北地方太平洋沖地震の津波浸水域と共に飯岡地区周辺において神社の位置と比較した(Fig. 2)。
その結果、飯岡地区では目立った地形の起伏がない場所で東北地方太平洋沖地震の津波到達位置に神社が立ち並んでいることがわかった。また、先述した浅間神社は、元禄地震と東北地方太平洋沖地震の両方の津波到達位置に殆ど重なっていることがわかった。そして東北地方太平洋沖地震の津波到達位置付近に位置する他の神社は浅間神社よりも後に建てられたことから浅間神社と元禄地震の津波到達位置を基準に建立されたと推測できる。一方、これらの津波の浸水域に入ってしまった神社は飯岡地区周辺では神社の境内が嵩上げされており、津波被害を軽減するようになっている。よって、特に飯岡地区周辺は津波に対する意識が高いと考えることができる。また、旭市沿岸部に建つ神社の多くが東北地方太平洋沖地震の津波被害を免れていることが分かった。これらのことから神社は津波に対して安全な場所を提供するだけでなく、安全な地域を指し示すという役割もあり、一部の神社には過去の津波が来た位置を示す役割を持っているので防災上の観点から非常に重要であると考えられる。
研究の実施にあたって市町村誌やGoogle Mapを用いて神社の名前、祭神、建立時期、場所を調べ、Webの地理院地図にプロットした。また、東北地方太平洋沖地震の津波到達位置と範囲を検討するため、東北地方太平洋沖地震の津波浸水域データを重ねた。そして上記のデータを使用して神社と津波到達位置の関係を比較した(Fig. 1)。さらに浅間神社の建立のきっかけとなった地震の一つである元禄地震の津波に関して、防災危機管理部防災政策課政策室が公表している津波浸水予想図のwebサイト内で浸水域が示されており、その地震を再現することによって潜在的な津波浸水域が示されている。そこで、本研究ではそのデータを元禄地震時の津波の浸水域とし、東北地方太平洋沖地震の津波浸水域と共に飯岡地区周辺において神社の位置と比較した(Fig. 2)。
その結果、飯岡地区では目立った地形の起伏がない場所で東北地方太平洋沖地震の津波到達位置に神社が立ち並んでいることがわかった。また、先述した浅間神社は、元禄地震と東北地方太平洋沖地震の両方の津波到達位置に殆ど重なっていることがわかった。そして東北地方太平洋沖地震の津波到達位置付近に位置する他の神社は浅間神社よりも後に建てられたことから浅間神社と元禄地震の津波到達位置を基準に建立されたと推測できる。一方、これらの津波の浸水域に入ってしまった神社は飯岡地区周辺では神社の境内が嵩上げされており、津波被害を軽減するようになっている。よって、特に飯岡地区周辺は津波に対する意識が高いと考えることができる。また、旭市沿岸部に建つ神社の多くが東北地方太平洋沖地震の津波被害を免れていることが分かった。これらのことから神社は津波に対して安全な場所を提供するだけでなく、安全な地域を指し示すという役割もあり、一部の神社には過去の津波が来た位置を示す役割を持っているので防災上の観点から非常に重要であると考えられる。