日本地球惑星科学連合2022年大会

講演情報

[E] 口頭発表

セッション記号 U (ユニオン) » ユニオン

[U-10] 地球規模環境変化の予測と検出

2022年5月22日(日) 10:45 〜 12:15 101 (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:河宮 未知生(海洋研究開発機構)、コンビーナ:立入 郁(海洋研究開発機構)、建部 洋晶(海洋研究開発機構)、コンビーナ:Ramaswamy V(NOAA GFDL)、座長:立入 郁(海洋研究開発機構)

11:00 〜 11:15

[U10-02] バケツモデルの先見性と陸面モデルの50年

★招待講演

*沖 大幹1 (1.東京大学大学院工学系研究科)

キーワード:水文学、陸面モデル、バケツモデル

真鍋淑郎先生の2021年ノーベル物理学賞は、宇宙の基本原理が例えわかったとしても、現実は複雑系であり、実際にユニバースがどのように構成され、どのような振る舞いをするかは基本原理に基づいて複雑系を調べてみないと不明である、という点が評価されたという点で極めて画期的である。
ノーベル賞の受賞理由として引用された1967年の論文では、鉛直1次元放射対流平衡モデルで二酸化炭素濃度倍増時の地表面気温の変化を算定したのみならず、大気中の水蒸気量を一定とした場合と、相対湿度を一定として気温の上昇に伴い大気中の水蒸気圧を変化させた場合の結果が示されている。すなわち、水は二酸化炭素やオゾンと同じように、地球大気の基本的な構造を決定している本質的な物質であり、3次元化され、大気に加えて海洋や陸面も考慮された1969年の論文に用いられた大気大循環モデルでは水循環の主要な過程が組み込まれている。
陸面での水循環が大気に及ぼす影響としては、地表面に降り注ぐ放射エネルギーが、地表面に接する大気を直接温めるエネルギーとなる顕熱フラックスと、蒸発という形で地表面から大気に水蒸気が移動する潜熱フラックスとにどのように配分されるかが鍵となる。現在では地中を温める地中熱量も考慮されるが、当時は日変化どころか季節変化もない一定の太陽放射が地球に降り注ぐ仮想的な状態の計算であったので、陸面の温度変化や熱容量は気候にとって一義的には重要でないと当初は切り捨てられていたのである。このあたりの割り切りが、真鍋博士の研究センスの良さである。
さて、顕熱フラックスや潜熱フラックスは地表面の凸凹や大気の安定度、風速、地表面温度などで決まるが、地表面が乾燥するにつれて実際の実蒸発量は地表面が十分に湿っている際の潜在蒸発量よりも小さくなる。こうした地表面の水エネルギー収支が気候に与える影響を真鍋博士は同時代の気候学者で著作「気候と生命」でも知られる旧ソ連のブディコ博士らの研究などから学び、陸面土壌中での水の移動もモデル化しようと考えたそうだが、当時の水文学では顕熱・潜熱フラックスや土壌中の水移動の観測が不十分であり、理論的研究も未成熟で、洪水や旱魃のシミュレーションは観測データに基づく概念モデルや統計に頼らざるを得ない状況であった。
そこで、真鍋博士は土壌学の教科書などに基づき、表層土壌を全球一律に1mとし、土壌が実質的に含みうる圃場容水量を0.15と定めた。これが0.15m、すなわち15㎝分の水が溜まるバケツと後に揶揄され名づけられた陸面モデル、通称バケツモデルである。そして、バケツモデルでは、圃場容水量の0.75倍と定めた土壌水分量の閾値までは風速や湿度といった大気条件で決まる潜在蒸発量で蒸発し、その閾値を下回ると、閾値に対する土壌水分量の比と実蒸発量と潜在蒸発量の比が等しくなるように実蒸発量が小さくなる、という風に陸面過程の本質を実に巧みに極めて単純化、モデル化したのであった。ちなみに、15㎝分よりも陸面に水が貯まったと計算されると水はバケツから溢れて川に流れるとモデル化されていた。
人為的な森林伐採や大気植生相互作用により、陸面植生の変化が地表面のアルベド(反射率)や粗度、あるいは蒸発散を通じてアフリカ・モンスーンなどの大気循環に影響を与えているのではないかという問題意識から、1980年代後半には植生を考慮した陸面モデルが開発され、他方で二酸化炭素など温室効果ガスの人間活動に伴う排出による気候変動問題の主流化に伴って大気大循環モデルに炭素循環を組み込む必要が生じて1990年代には植物の光合成過程まで考慮された陸面モデルが開発され気候シミュレーションに用いられるようになった。
1982/83年の大規模なエルニーニョに触発されて始まった1980年代の大気海洋相互作用研究に続き、1990年代には大気陸面相互作用研究が盛んになって、気候シミュレーションコミュニティからバケツモデルはあまりに単純で時代遅れであると批判されるようになった。しかし、真鍋博士は単純化された素過程を好み、地球流体研究所の大気大循環モデルにそうした近代的な陸面モデルが組み込まれたのは21世紀になってからであった。
現在では、気候変動影響や適応策への関心も高まり、陸面モデルには貯水池への水の貯留や河川や地下水からの灌漑取水といったより人間に身近な水の循環も組み込まれるようになっている。しかし、気候システムの中で陸面の水循環が果たしている役割の基本的な理解には、真鍋博士のバケツモデルがいまだに有効であり、その功績、先見の明は陸面水文研究にとっても金字塔である。