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[HGM02-03] 伯耆大山北麓にある甲川流域の火砕流面と河成段丘面の分類に基づく地形発達史
キーワード:地形分類、伯耆大山、甲川流域、報国火砕流、名和火砕流、河成段丘
はじめに
伯耆大山北麓を流れる甲川(きのえがわ)は,甲ヶ山(かぶとがせん,標高1,338m)から北流し日本海に注ぐ流路延長13.13㎞,流域面積16.4㎢の河川である.大山北西麓について荒川(1984)は火山麓扇状地の地形発達史を,大山全域については山元(2017)が地質図をまとめている.甲川流域には平坦面が明瞭に観察されるもののそれらの地形分類は十分に解明されていない.本研究の目的は,甲川流域およびその周辺の平坦面の地形分類を行い,地形発達史を明らかにすることである.
方法
地形分類は空中写真判読,2万5千分の1地形図と1万分の1地形図の等高線読図に併せて,現地で地形と露頭を観察し,テフラ試料は椀がけにより鉱物分析をした.また国土地理院地図を用いて,甲川河口から水平距離で5mおきの標高を求め,甲川沿いに設けた測線に投影して河床縦断形を作成し,地形面も投影して対比を行った.さらに,地形面毎にボーリング柱状図を検討した.
結果および考察
i) 平坦面の地形分類 火砕流面は縦横断方向にうねりのある地形であるのに対し,河成段丘面は傾斜のある平坦な地形である.また火砕流堆積物は硬く締まったマトリックス中に角礫が点在し,河成段丘堆積物は砂が多いマトリックス中に円礫が密集している.甲川流域では2つの火砕流面とそれらを開析する河成段丘面群に分けられた(図1).甲川両岸に分布する上位の火砕流面は開析が進んでいるのに対し,甲川左岸側に分布する下位の火砕流面は比較的良く保存されている.2つの火砕流面は約2.9㎞地点で交差し,約2.4㎞地点のボーリング柱状図では,下位火砕流堆積物が上位火砕流を覆う様子を確認できた.
上位火砕流面を侵食して形成された河成段丘面は,上流側で2面,下流側で3面区分され,それらの多くが2.6°~3.2°の勾配を示した(図1).一方,下位火砕流面を侵食した河成段丘面を大山町田中面と石井垣(いわいがき)面と命名した.大山町田中面は現河床と同じ1.4°の勾配を示した.なお石井垣面,さらに低位の段丘面群が一部に含まれ勾配解析には適さなかった.
ii) 地形面の形成年代と地形発達史 ブッシュクローバーズ牧場入口の露頭(図1)において,下位火砕流面を侵食した河成段丘堆積物の直上に三瓶木次(さんべきすき)軽石層を確認した.三瓶木次軽石層は名和火砕流堆積物を不整合に被覆する(荒川,1984)し,降下年代は11-11.5万前(町田・新井,2003)である.従って,下位火砕流は名和火砕流と認定した.上位火砕流は年代未詳の報国(ほうこく)火砕流と新称した.また大山町田中面のボーリング柱状図において扇状地砂礫層の直上に厚さ1mを超える黒ボクが堆積していることから,大山町田中面は約1万年前に離水したと考えられる.黒ボクの炭素同位体年代測定が求められる.
結論
甲川流域において,報国火砕流面(新称)と名和火砕流面,それらを開析する河成段丘面群を初めて分類区分した.報国火砕流が堆積し,その後谷が形成される過程で3段の河成段丘面が残された.この谷を約11万年前に名和火砕流が埋積した後,河川の侵食作用が進み,下流部では扇状地を形成し,大山町田中面(新称)が約1万年前に離水し、その後石井垣面(新称)も形成した.
文献
荒川宏(1984)地理学評論Series A,57,831-855.;町田洋・新井房夫(2003)東京大学出版会.336pp.;山元孝広(2017)地質調査研究報告,68,1-16.
伯耆大山北麓を流れる甲川(きのえがわ)は,甲ヶ山(かぶとがせん,標高1,338m)から北流し日本海に注ぐ流路延長13.13㎞,流域面積16.4㎢の河川である.大山北西麓について荒川(1984)は火山麓扇状地の地形発達史を,大山全域については山元(2017)が地質図をまとめている.甲川流域には平坦面が明瞭に観察されるもののそれらの地形分類は十分に解明されていない.本研究の目的は,甲川流域およびその周辺の平坦面の地形分類を行い,地形発達史を明らかにすることである.
方法
地形分類は空中写真判読,2万5千分の1地形図と1万分の1地形図の等高線読図に併せて,現地で地形と露頭を観察し,テフラ試料は椀がけにより鉱物分析をした.また国土地理院地図を用いて,甲川河口から水平距離で5mおきの標高を求め,甲川沿いに設けた測線に投影して河床縦断形を作成し,地形面も投影して対比を行った.さらに,地形面毎にボーリング柱状図を検討した.
結果および考察
i) 平坦面の地形分類 火砕流面は縦横断方向にうねりのある地形であるのに対し,河成段丘面は傾斜のある平坦な地形である.また火砕流堆積物は硬く締まったマトリックス中に角礫が点在し,河成段丘堆積物は砂が多いマトリックス中に円礫が密集している.甲川流域では2つの火砕流面とそれらを開析する河成段丘面群に分けられた(図1).甲川両岸に分布する上位の火砕流面は開析が進んでいるのに対し,甲川左岸側に分布する下位の火砕流面は比較的良く保存されている.2つの火砕流面は約2.9㎞地点で交差し,約2.4㎞地点のボーリング柱状図では,下位火砕流堆積物が上位火砕流を覆う様子を確認できた.
上位火砕流面を侵食して形成された河成段丘面は,上流側で2面,下流側で3面区分され,それらの多くが2.6°~3.2°の勾配を示した(図1).一方,下位火砕流面を侵食した河成段丘面を大山町田中面と石井垣(いわいがき)面と命名した.大山町田中面は現河床と同じ1.4°の勾配を示した.なお石井垣面,さらに低位の段丘面群が一部に含まれ勾配解析には適さなかった.
ii) 地形面の形成年代と地形発達史 ブッシュクローバーズ牧場入口の露頭(図1)において,下位火砕流面を侵食した河成段丘堆積物の直上に三瓶木次(さんべきすき)軽石層を確認した.三瓶木次軽石層は名和火砕流堆積物を不整合に被覆する(荒川,1984)し,降下年代は11-11.5万前(町田・新井,2003)である.従って,下位火砕流は名和火砕流と認定した.上位火砕流は年代未詳の報国(ほうこく)火砕流と新称した.また大山町田中面のボーリング柱状図において扇状地砂礫層の直上に厚さ1mを超える黒ボクが堆積していることから,大山町田中面は約1万年前に離水したと考えられる.黒ボクの炭素同位体年代測定が求められる.
結論
甲川流域において,報国火砕流面(新称)と名和火砕流面,それらを開析する河成段丘面群を初めて分類区分した.報国火砕流が堆積し,その後谷が形成される過程で3段の河成段丘面が残された.この谷を約11万年前に名和火砕流が埋積した後,河川の侵食作用が進み,下流部では扇状地を形成し,大山町田中面(新称)が約1万年前に離水し、その後石井垣面(新称)も形成した.
文献
荒川宏(1984)地理学評論Series A,57,831-855.;町田洋・新井房夫(2003)東京大学出版会.336pp.;山元孝広(2017)地質調査研究報告,68,1-16.