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[MIS16-08] 北海道胆振地方東部の厚真町に分布する1611年慶長奥州地震津波の堆積物
キーワード:津波堆積物、慶長奥州地震、歴史地震
北海道胆振地方東部の厚真町において17世紀の津波堆積物を見出し,その分布や特徴,および堆積年代を調べた.調査領域は海岸線に沿う方向に約1km,内陸方向には約300m(現在の海岸から600-900m)の範囲に設定し,約50ヶ所でハンディジオスライサー(長さ1.0, 1.5m)とピートサンプラーを用いて掘削をおこなった.調査地の大半は乾いた草地で,砂置き場などで使われていた場所もあるが,17世紀の一連の火山灰(Ta-b;1667年, Us-b;1663年)の下部およびその下位の泥炭はまったく乱されていない. 鍵層となる他の火山灰(B-Tm;10世紀,Ta-c3;約2000年前,Ta-c2;約2500年前)は全域で明瞭であった.津波堆積物と識別した砂層は1層のみである.津波堆積物とした根拠は,この砂層にのみ海生珪藻含まれていること,内陸に向かい薄層化(層厚は最大50cm超から徐々に減少,パッチ状になり見えなくなる)および細粒化(平均粒径は1.5φから3.5φ程度まで減少)の傾向が見られること,比較的厚い堆積物には級化構造が認められること,砂層が下位の泥炭を侵食した痕跡が見られること,である.砂層がUs-b(1663年)の直下(0-3cmの泥炭を挟む)にあることから,苫小牧市やむかわ町で報告されている津波堆積物(例えば,高清水ほか,2007)と同じ津波イベントによるものと推測した.泥炭の質を吟味して年代を決めたところ,2σ暦年代範囲は1596-1641年となった.よって,この地域の津波堆積物は,1611年の慶長奥州地震津波の痕跡である可能性が高い.痕跡が識別できるのは,厚真町では約4.5m(当時の地表)の高さまで,江戸時代後期の海岸線(伊能図)から約500m内陸まで,である.また,津波堆積物の平均粒径は,分布限界付近では3.5φ程度まで細かくなる.こうした堆積物の性状から示唆される津波の規模は高さ5m程度であり,内閣府の想定(沿岸で約9m)より小さい.また,過去2500年間には,津波の可能性のある痕跡はX線CT画像でも他に識別できなかった.得られた知見は隣接する苫小牧市やむかわ町における既往研究の結果を補足,補強するものであり,日本海溝北部を震源とする巨大地震の波源モデルの構築や再検討,さらに被害想定の評価にとっても重要である.