09:00 〜 10:30
[MIS22-P01] キトラ古墳天文図と日本書紀から推定される日本における黎明期の惑星観測
キーワード:天文図、キトラ古墳壁画、日本書紀、飛鳥時代
キトラ古墳に天井壁画として描かれている天文図と日本書紀に記述されている惑星観測の記述から、日本における惑星観測の黎明期である飛鳥時代の惑星観測の様子について検討を行った。奈良県明日香村に位置するキトラ古墳は7世紀終わりから8世紀初めにかけて作られたと推定されており、1983年から発掘され、石室内の壁面に四神の壁画が描かれているのに加え、天井には天文図が描かれていることが明らかになった。この天文図は、219個以上の星が金箔によって描かれ、内規、赤道、外規、黄道と推定される赤色の円が描かれており、中緯度の地点における任意の日付の任意の時間の星の位置を再現できる星座早見盤として十分に用いることができる精度を持つものである。この天文図には、(1) 黄道が天の北極と北落師門星(みなみのうお座フォーマルハウト星)を結ぶ線に対して反転して描かれていること (2) 張宿と翼宿の2つの星座の位置が入れ替えられること、の2つの大きな誤りがあり、当時の日本の天文に関する知識や関心の欠如の現れと考えられてきたが、天文に関する知識の私有を禁止する律令による規制を逃れるための意図的な変更と解釈することで、当時において天文に関する知識に敬意が払われていたこととが推定できる。また、黄道を反転していたことは、惑星の位置を示す黄道が重視されていたことを示しており、当時の天文観測は惑星の観測が主な観測対象の一つであったことが推定できる。このことは、日本書紀の記述からも裏付けることができる。日本書紀では、火星の記述が681年、木星の記述が692年に初めて現れており、これらはキトラ古墳の推定築造時期と一致している。中国の唐に倣って、律令、都、元号、暦などの国家として構成要素を整備していた飛鳥時代において、どのような惑星観測が行われ、社会的にどのような役割を担っていたかについて議論を行う。