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[MZZ39-P05] マリ―・ストープスと保井コノー日本の古植物学の嚆矢
キーワード:マリー・ストープス、保井コノ、藤井健次郎
マリー・ストープス(1880-1958)は、1902年ロンドン大学より、女性として初めて理学博士を植物化石(鉱化化石)の研究で取得した。鉱化化石というのは、地層中に含まれる硬い巨礫のようなものである。これを切断し、薄い薄片を何枚も作って、顕微鏡で観察し、もともとの植物を復元する、前処理に手がかかり、忍耐のいる研究対象である。多くの植物研究者はあまりやろうとしない。手のつけられていない分野として残っていたようだ。1903年、ストープスは、ミュンヘン大学に留学して研究を続けた。ここで、銀杏の研究のために日本から留学してきた藤井健次郎(1866-1952)と恋仲になる。ストープスは1904年にマンチェスター大学の講師となった。藤井はマンチェスターのストープスを訪れていたが、東京帝国大学理学部の植物学教授となって帰国した。1907年、ロンドン王立協会の奨学金をえて、ストープスは藤井を追う形で日本にやってくる。被子植物の花の化石研究が目的である。その後、藤井とも、藤井の娘とも、不仲になり、ストープスは帰国した。その後、花の研究はしていないが、日本での植物化石研究は藤井と共著で出版している(Stopes and Fujii, 1920)。
日本最初の理学博士である保井コノ(1880-1971)はストープスと誕生年がひとしく、研究対象も鉱化化石で同じであり、両者とも共同研究者として、あるいは、指導教官・学生として藤井健次郎教授と関係している。保井はストープスを知らないと言明しているが、関係はあるはずだ。
日本最初の理学博士である保井コノ(1880-1971)はストープスと誕生年がひとしく、研究対象も鉱化化石で同じであり、両者とも共同研究者として、あるいは、指導教官・学生として藤井健次郎教授と関係している。保井はストープスを知らないと言明しているが、関係はあるはずだ。