14:45 〜 15:10
[O04-03] 関東大震災における情報と流言
★招待講演
キーワード:関東大震災、情報、流言
1923年の関東大震災では、情報の錯綜や流言による大きな混乱が問題となった。関東大震災では、電信電話をはじめとする通信網も大きく損傷し、マス・メディアについても、ラジオの本放送が行われていない中で、一般の人々に広く速やかに情報を伝える役割を果たしていた新聞も、情報収集や紙面の発行に大きな支障が出るなどして、期待されている機能が十分にはたらかなかった。そのような中で、様々な流言が被災地内外に伝播していった。「富士山・秩父連山が噴火した」「関東が水没した」「伊豆大島・小笠原諸島が沈没した」といった被害についての流言、閣僚や政治家など要人の死亡・避難についての流言などがその例であるが、「朝鮮人が暴行・強盗・放火をしている」という、いわゆる「朝鮮人流言」は、その流言によって犠牲者や負傷者が出るなど、流言による混乱の中で最も凄惨な出来事であったと言えるだろう。関東大震災では、前述のように、情報・通信網が麻痺し、円滑な情報のやり取りができない状況が続いた。このような状況が、流言による混乱を拡大させたというという話がよく聞かれ、その中でも、震災当時にラジオの本放送が始まっていれば、このような混乱は防げたのではないかという意見が示される。しかし、関東大震災発生直後、情報のやりとりが可能な手段も残っていた。船橋や真鶴にあった無線所、横浜港などにいた船舶、警察・鉄道をはじめとする一部の電信電話などがその例である。被災地で広まっていた流言が、これらの手段を使って情報のやりとりが行われ全国に伝えられた。そして、これらの流言は、全国の新聞社が、ほとんど真偽の確認ができない紙面に掲載した。つまり新聞が、流言を広めたり、流言を補強する役割を果たしたのである。このような経緯を考えた場合、 もし、関東大震災当時にラジオの本放送が行われていれば、ラジオも、新聞と同様に流言の真偽の確認をすることが難しかったため、流言をそのまま放送したであろう。つまり、ラジオがあった場合、流言の伝播がより速くなり、混乱もさらに大きくなった可能性があると考えられるのである。
ともあれ、この関東大震災における流言と混乱は、災害時の情報の重要性が認識された出来事であるとともに、災害流言とメディアの機能の問題を顕在化させた原初的な事例とも言えるだろう。
ともあれ、この関東大震災における流言と混乱は、災害時の情報の重要性が認識された出来事であるとともに、災害流言とメディアの機能の問題を顕在化させた原初的な事例とも言えるだろう。