日本地球惑星科学連合2023年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS13] 活断層と古地震

2023年5月22日(月) 10:45 〜 12:00 301A (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、佐藤 善輝(産業技術総合研究所 地質情報研究部門 平野地質研究グループ)、白濱 吉起(国立研究開発法人産業技術総合研究所地質調査総合センター活断層火山研究部門活断層評価研究グループ)、安江 健一(富山大学)、座長:小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、安江 健一(富山大学)

11:15 〜 11:30

[SSS13-03] 887年仁和地震の震源域は南海トラフか大阪湾断層か?

*石橋 克彦1 (1.神戸大学名誉教授)

キーワード:887年仁和地震、南海トラフ、大阪湾断層、史料地震学、津波堆積物

●南海トラフ巨大地震とされている仁和三年七月三十日(J暦887.8.22)の地震について,藤野・松浦(地震学会2022年度秋季大会,S10-09)が大阪湾断層の最新活動ではないかという新説を出した.これは南海トラフ地震の発生機構の再考をも迫る重要な指摘なので,本地震の震源域を史料地震学的に再検討する.
日本三代実録(史料1):藤野・松浦(2022)は,これ(本地震の根本史料)に湯峯・道後の温泉停止,高知平野の沈降,四国・紀伊半島の津波といった南海トラフ地震の典型的事象が書かれていないので,本地震ではそのような事象が生じなかった可能性が高いとした.しかし,太政官に保存されている膨大な記録がすべて記されるはずはないから,書かれていないから事象が無かったとは言えない.諸国からの多数の報告が史料1に「五畿内七道諸国,同日大震.官舎多く損じ,海潮陸に漲り,溺死せる者勝げて計うべからず」とまとめられたと考えるべきだろう.史料1に書かれていないから実在しなかったとは言えない好例が,本地震の20日後(八月二十日)の全国的な暴風雨災害である(たぶん大型で強い台風).史料2によれば30余国で大風洪水被害が生じたことが確かだが,史料1は京都の様子を記すにすぎない.
仁和四年五月廿八日詔 災害賑恤事(史料2):これは本地震の翌年五月に宇多天皇が,前年の震災と風水災(前述)および当月八日の信濃国の水害の被災者の救済を命じた詔書である(『類聚三代格』所収).それは,本地震と大風洪水に二重に被災した国が30余と述べているので,地震被災国は30余より多かったことになり,史料1の「五畿内七道諸国,云々」が事実であることを裏付けて,本地震が「東海地震」「南海地震」を含む南海トラフ地震であったことを強く示唆する(石橋,1999).もし本地震が大阪湾断層起源であればこの詔は成り立たないと考えられるが,藤野・松浦(2022)はこの史料に言及していない.
京都の地震動:藤野・松浦(2022)は,京都の被害家屋が少なくないことや天皇が紫宸殿の南庭に避難したこと(史料1)から,本地震の京都の揺れは近世の南海トラフ地震より強かったとして大阪湾断層説の根拠とした.しかし,くり返し地震の多様性が重視される今日,近世の地震より強く揺れたというだけで南海トラフ地震ではないと考えるのは不適切である.しかも1096年の南海トラフ地震の京都の揺れに近く,そのときも天皇が池の舟に避難した.京都の地震動で注目すべきは「数尅を経歴して震ることなお止まず」(史料1)という記述である.「尅(刻)」は,「延喜式」の時法では現在の30分,別の時法では約15分にあたる(橋本,1978).したがって少なくとも30〜60分以上強震動が続いたとみられ,大阪湾断層の高々M7.5の地震ではありえないことで,本地震が大阪湾断層起源ではなかったことを強く示唆する.石橋(2000)は,本地震が広大な震源域と長い震源時間をもつ地震だったことを窺わせ,「東海地震」「南海地震」を含む南海トラフ地震という推定と調和すると述べている.
摂津の津波:史料1が津波被害を「摂津国もっとも甚し」と記していることについて,藤野・松浦(2022)は,古代の摂津(海岸は大阪市住吉区付近〜神戸市須磨区付近)では南海トラフ地震による1707・1854年のような津波被害はありえないとして,本地震を大阪湾断層起源と考える理由の一つとした.しかし,河田・他(2005)によれば, 堺泉北港北部〜東神戸港は東南海・南海地震による津波のほうが大阪湾断層帯地震の津波より高いという.また本地震発生日の尼崎の潮位変化をみると,本地震発生時を申の時(16時前後,史料1)として,震源域が南海トラフであるほうが大阪湾断層であるよりも,津波高に対する潮位の上乗せ分が相対的に0.5〜1m高くなる.地震当時は,神崎川河口の河尻(現,兵庫県尼崎市)が要港として賑わっており,2〜3mの津波でも,ここを中心とした摂津国の海岸低地で大きな被害が出たことは十分考えられる.以上により,摂津の津波は本地震=南海トラフ地震という解釈のほうを支持する.
津波堆積物:藤野・松浦説の根拠の一つは,西南日本太平洋岸で本地震に対応する津波堆積物が検出できない事例が増えていることだという.それが有意だとしたら,その原因として,本地震の20日後の広域の大風洪水が影響しているのではないだろうか.西日本の太平洋岸の国々で豪雨が降り,暴浪が押し寄せ,河川から大量の土砂が排出されれば,場所(条件)によっては20日前の津波堆積物が攪乱されたり流失したりして,今日の検出をむずかしくしている可能性があるのではないか.津波堆積学からの検討が望まれる.
結論:887年仁和地震の震源域は,大阪湾断層帯ではなく,石橋(1999,2000)が判断したとおり,南海トラフのほぼ全域だったと考えられる.