日本地球惑星科学連合2023年大会

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[J] 口頭発表

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[U-11] 気圏・水圏・地圏にまたがる複合災害

2023年5月22日(月) 13:45 〜 15:15 展示場特設会場 (1) (幕張メッセ国際展示場)

コンビーナ:佐山 敬洋(京都大学)、竹村 貴人(日本大学文理学部地球科学科)、宮地 良典(国立研究開発法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター)、石峯 康浩(山梨県富士山科学研究所)、座長:佐山 敬洋(京都大学)、竹村 貴人(日本大学文理学部地球科学科)、宮地 良典(国立研究開発法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター)、石峯 康浩(山梨県富士山科学研究所)

15:00 〜 15:15

[U11-06] 超巨大噴火による原子力発電所重大事故の危険性について

*深畑 幸俊1 (1.京都大学防災研究所)

キーワード:巨大噴火、原発事故、火山灰

人為的な原因による最大の災害は,戦争と原発事故であろう.もちろん,大規模な戦争の方が死傷者数や被災面積は原発事故と比較にならないほど大きいが,原発事故はその被害が超長期にわたる.例えば,第二次大戦で日本の多数の都市はアメリカ軍の空爆により焼け野原となったが,10年と経たずして復興した.一方,福島の被災地では原発から30 km以上離れた所にすら未だに帰還困難区域が残る.チョルノービリ(チェルノブイリ)に至っては,事故から35年以上経つが,福島よりも遥かに広大な区域への立入が制限されている.
 自然災害で最大の被害をもたらすものは,巨大隕石の衝突を別とすれば,超巨大噴火であろう.超巨大噴火は,破局噴火とも呼ばれるが,その威力は凄まじい.例えば,約9万年前に起こった阿蘇カルデラを形成した噴火では,火砕流が玄界灘や瀬戸内海北岸の山口県まで達した.火山灰も厚く降り積もり,遠く北日本でも観測される.約7300年前に起こった鬼界カルデラの噴火では,火砕流が海を渡って北上し,南九州一帯の縄文文化を消滅させたと考えられている.
 ここで問題は,そういった超巨大噴火は滅多には起きないものの,巨大隕石の衝突などとは比べものにならない高頻度で発生するということである.例えば,九州地方について言えば,最近10万年間で少なくとも3回,つまりは約3万年に1回の割合で超巨大噴火が発生した.
 さて,1年当たりの発生確率である3万分の1は,どういった値であろうか.例えば,年末ジャンボ宝くじの1等の当選確率は2千万分の1だそうである.つまり,700枚ほど宝くじを買うとようやっと1等が当たる確率が約3万分の1となる.最近の1年間当たりの交通事故死者数はおよそ3千人であり,日本の総人口が1.2億人であることから,1人当たりに直すと約4万分の1となる.つまり,ある特定の人(例えば,自分や恋人)が交通事故で亡くなるよりも高い確率で超巨大噴火は発生する.そして,例えば100年間で考えれば,発生確率は300分の1に跳ね上がる.これはお年玉付き年賀葉書で切手シートが当たる確率の10分の1である.そして,もう一回り小さい巨大噴火や,東北・北海道地方の巨大噴火を考えると,この確率はさらに高くなる.
 超巨大噴火が南九州で起こった場合には川内原発が,阿蘇で起こった場合には玄海原発や伊方原発が重大な被害を被るであろう.たとえ火砕流の直撃を免れたとしても大規模停電や断水,更には大量の降灰により健全性を保つことは難しいと思われる.そもそも原発の運転員も避難する必要がある.被害の規模は,曲がりなりにも事故後に対応がなされた福島やチェルノブイリを上回る可能性が高い.つまりは,原発周辺の広大な区域に半永久的に人が住めなくなる.厳格な避難基準を設けている間に,外国勢力が防護服を着けて占領するといった事態も全くの想定外ではない.
 巨大噴火が発生した場合には,首都圏や近畿圏でも数センチメートルから数十センチメートルの降灰が予想され,日本全体で大混乱に陥るであろう.そのような状況で,降灰に放射性物質が混じっていたらどうなるであろうか.想像に余るものがある.混乱に拍車がかかり,外国からの支援も滞る.
 ちなみに,経産省の安全基準でも,セシウム137の放出量が100 TBq(福島原発事故の約1/100)を超える事故の頻度を100万炉年に1回程度を超えないように抑制されるべき,としている.つまりは,前述の1年当たり3万分の1という確率は,この基準を明らかに越えている.しかし,原発に対する超巨大噴火の危険性は無視され続けている.
 原子力発電所で福島を上回る規模の重大事故が発生すれば,日本国の存立に関わる事態となり得る.巨大噴火に伴う原発事故の危険性については,これまで幾度となく指摘されてきた.しかし,その指摘が全く省みられることなく原発再稼働に本格的に踏みだそうとしていることから,敢えて再び問題提起をする次第である.