日本地球惑星科学連合2024年大会

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 A (大気水圏科学) » A-CG 大気海洋・環境科学複合領域・一般

[A-CG43] 陸域から沿岸域における水・土砂動態

2024年5月28日(火) 17:15 〜 18:45 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 6ホール)

コンビーナ:浅野 友子(東京大学大学院農学生命科学研究科)、木田 新一郎(九州大学・応用力学研究所)、山崎 大(東京大学生産技術研究所)、有働 恵子(東北大学大学院工学研究科)

17:15 〜 18:45

[ACG43-P02] はげ山-100年前までの強度の人為攪乱-が山地流域からの土砂流出に及ぼしてきた長期的な影響

*浅野 友子1、岸本 光樹1、田中 延亮1水内 佑輔1 (1.東京大学大学院農学生命科学研究科)

キーワード:森林回復、斜面、河川、土砂供給、土砂移動、治山工事

山地域は下流の平野や海岸に供給される土砂の生産源であることから、山地からの土砂流出量を把握しその変化を予測する必要がある。山地からの土砂流出は、土地被覆や気候の変化などによって変化すると考えられるが、長期間継続的に観測し明らかにした例は少ない。特に、100年前まで森林の過剰利用により荒廃していた日本の里山のほとんどは、現在では森に覆われるようになったが、この間土砂動態にどのような変化があったのか明らかではない。はげ山が多かった地域に設立された東京大学の生態水文学研究所では1930年頃からの観測値が存在する。本研究では森林が回復してきた山地流域における土砂流出の変化を観測結果から概観し、はげ山という強度の人為攪乱が、山地からの土砂流出に及ぼしてきた長期に及ぶ影響の実態を明らかにする。白坂流域は花崗岩からなる88.5haの流域で、末端に量水堰堤を備え、はげ山履歴のある他の山地と同様、谷留工など治山工事が行われてきた。1930年代には裸地面積が流域の10%程度あったが、1980年ごろには数%以下に減少している。流量観測のために堰堤の静水池に溜まった土砂を排出した際の土砂量(m3)の記録が残されており、1930~1965年は土砂排出にかかった人工から土砂堆積量を計算していたと考えられる。1966年以降は、簡易的な測量から静水池に堆積した土砂の体積を土砂排出の都度記録してきた。本研究では記録されてきた土砂排出量を流域からの土砂流出量とした。1930年にはおよそ1000m3/km2/年だった土砂流出量は増減しながら減少し、2010年代には100m3/km2/年ほどになった。1930年時点ですでに流域からの土砂流出量は裸地斜面からの土砂流出量(約5000m3/km2/年)の20%程度で、はげ山が広がっていた頃に比べると減少していたと考えられるが、森林斜面からの土砂流出量に比べると1桁近く大きかった。2000年の東海豪雨の年とその後2~3年は土砂流出量が多かったが、10年経たないうちに豪雨前のレベルに戻った。2010年以降、流域からの土砂流出量は森林斜面からの土砂流出量とほぼ同じレベルで横ばいとなった。斜面での土砂生産は1930年時点ですでに大幅に減少していたと考えられることから、この土砂流出の時間遅れの主な要因は河川での土砂の貯留によるものと考えられる。100年前までの強度の人為攪乱の影響で河川に供給された土砂が、1990年頃まで山地流域からの土砂流出に影響を及ぼしていた可能性がある。