17:15 〜 18:45
[AHW25-P02] 武蔵野台地中央部の浅層地下水水質の長期変化とそのプロセス
-東京都杉並浄水場の水質データから-
キーワード:東京区部、浅層地下水、水質、長期変化、レガシー汚染、下水漏水
東京都水道局杉並浄水場では,2016年の取水中止まで,構内にある深度15 m程度の浅井戸によって武蔵野礫層中の地下水を長年にわたり揚水してきた.その浅層地下水の水質については,東京都水道局事業年報や水質年報によって1935年以降のデータが公表されている.本発表では,武蔵野台地の浅層地下水の過去80年間の水質変化の特徴とその原因について,集水域における都市化の進行,下水処理方法の変遷,下水道の整備状況などに基づき考察する.また,集水域の複数本の浅井戸から2024年2月に採取した地下水の水質・同位体的特徴も加味しながら,現在の武蔵野台地における浅層地下水の水質とその形成プロセスについて検討を行う.
杉並浄水場の浅層地下水の集水域は,これまで武蔵野市と小金井市からなる面積約10 km2程度とされてきたが(Yamamoto and Hida, 1974),今回,細野(2003)による当該地域の詳細な地下水面図を検討した結果,その集水域は武蔵野市域の北東部に限定されることが明らかとなった(浄水場周辺の杉並区の一部を含む約4 km2).武蔵野市域では急速な都市化により,1947年に約50%であった農地面積は1970年代初頭には20%程度(Yamamoto and Hida, 1974),2010年代半ばには5%程度にまで減少した(武蔵野市,2023).1970年代初頭から本格化した下水道整備は,1980年代後半にはその普及率が100%に達した(武蔵野市,2018).すなわち,杉並浄水場で浅層地下水の取水を停止した2016年には,集水域の下水道整備完了後25年以上が経過していたことになる.ちなみに,下水道が未整備の時代,武蔵野台地では生活雑排水は “吸い込み(マス)”を用いて地下浸透処分されていたため,当時の浅層地下水は著しく汚染されていた(対馬ほか,2008).
1935年以降の80年間の浅層地下水のCl- 濃度の変化をみると,1935年の5.3 mg/Lから上昇を続け,1967年前後から1990年台後半にかけて21-23 mg/Lの最高濃度を示した後,減少傾向に転じる.しかし,2000年代初頭以降は15-17 mg/Lとほぼ一定の濃度を維持する.NO3- 濃度は1944年頃(9.0 mg/L)から上昇を開始し,1980年から1990年前後にかけて43 mg/L程度の最高値を示した後,2016年(27 mg/L)に向けてコンスタントにその濃度は低下する.これら人為的汚染の指標となる両イオン濃度の長期変化からは,下水道整備の進捗とともに武蔵野台地の地下水の水質が大局的には改善されたことは明らかである.しかし,両イオンのピーク濃度への到達時期ならびに濃度低下の開始時期にはともに10年程度の差が認められる.また,2016年に至るまでの両イオンの濃度低下傾向は明らかに異なる.さらに,SO42- 濃度が,1950年前後の2 mg/Lから2000年前後の17 mg/Lまでほぼコンスタントに上昇を続けたことも興味深い.
ここで注目されるのは,下水道普及率が100%に達した1980年代後半から25年以上が経過した2016年の時点においても,浅層地下水の水質は都市化前の1930年代・40年代の状態に戻っていないことである.これについては,関東ローム層中の残留汚染物質(過去に地下浸透処分された生活雑排水起源)による“レガシー汚染”が影響している可能性がある.これら陰イオンの関東ローム層や武蔵野礫層中での挙動の違いにも原因があるのかもしれない.一方で,敷設後40年を超えるような老朽化した下水道管渠からの下水道漏水によって新たに汚染物質が付加される結果,汚染物資の濃度低下が鈍化しているとも考えられる.2024年2月に採水した集水域の浅層地下水のNO3- 濃度やそのδ15N・δ18O同位体比はこの可能性を支持している.杉並浄水場の2016年の取水停止の原因が水質悪化,すなわち大腸菌の検出(東京都水道局水質年報)であることとも整合的である.今後,武蔵野台地の浅層地下水の涵養源(降水浸透水,水道漏水,下水漏水)の相対的重要性の時代変遷や地中での各イオンの挙動を考慮した,その浅層地下水の長期水質変化プロセスの解明が待たれる.
杉並浄水場の浅層地下水の集水域は,これまで武蔵野市と小金井市からなる面積約10 km2程度とされてきたが(Yamamoto and Hida, 1974),今回,細野(2003)による当該地域の詳細な地下水面図を検討した結果,その集水域は武蔵野市域の北東部に限定されることが明らかとなった(浄水場周辺の杉並区の一部を含む約4 km2).武蔵野市域では急速な都市化により,1947年に約50%であった農地面積は1970年代初頭には20%程度(Yamamoto and Hida, 1974),2010年代半ばには5%程度にまで減少した(武蔵野市,2023).1970年代初頭から本格化した下水道整備は,1980年代後半にはその普及率が100%に達した(武蔵野市,2018).すなわち,杉並浄水場で浅層地下水の取水を停止した2016年には,集水域の下水道整備完了後25年以上が経過していたことになる.ちなみに,下水道が未整備の時代,武蔵野台地では生活雑排水は “吸い込み(マス)”を用いて地下浸透処分されていたため,当時の浅層地下水は著しく汚染されていた(対馬ほか,2008).
1935年以降の80年間の浅層地下水のCl- 濃度の変化をみると,1935年の5.3 mg/Lから上昇を続け,1967年前後から1990年台後半にかけて21-23 mg/Lの最高濃度を示した後,減少傾向に転じる.しかし,2000年代初頭以降は15-17 mg/Lとほぼ一定の濃度を維持する.NO3- 濃度は1944年頃(9.0 mg/L)から上昇を開始し,1980年から1990年前後にかけて43 mg/L程度の最高値を示した後,2016年(27 mg/L)に向けてコンスタントにその濃度は低下する.これら人為的汚染の指標となる両イオン濃度の長期変化からは,下水道整備の進捗とともに武蔵野台地の地下水の水質が大局的には改善されたことは明らかである.しかし,両イオンのピーク濃度への到達時期ならびに濃度低下の開始時期にはともに10年程度の差が認められる.また,2016年に至るまでの両イオンの濃度低下傾向は明らかに異なる.さらに,SO42- 濃度が,1950年前後の2 mg/Lから2000年前後の17 mg/Lまでほぼコンスタントに上昇を続けたことも興味深い.
ここで注目されるのは,下水道普及率が100%に達した1980年代後半から25年以上が経過した2016年の時点においても,浅層地下水の水質は都市化前の1930年代・40年代の状態に戻っていないことである.これについては,関東ローム層中の残留汚染物質(過去に地下浸透処分された生活雑排水起源)による“レガシー汚染”が影響している可能性がある.これら陰イオンの関東ローム層や武蔵野礫層中での挙動の違いにも原因があるのかもしれない.一方で,敷設後40年を超えるような老朽化した下水道管渠からの下水道漏水によって新たに汚染物質が付加される結果,汚染物資の濃度低下が鈍化しているとも考えられる.2024年2月に採水した集水域の浅層地下水のNO3- 濃度やそのδ15N・δ18O同位体比はこの可能性を支持している.杉並浄水場の2016年の取水停止の原因が水質悪化,すなわち大腸菌の検出(東京都水道局水質年報)であることとも整合的である.今後,武蔵野台地の浅層地下水の涵養源(降水浸透水,水道漏水,下水漏水)の相対的重要性の時代変遷や地中での各イオンの挙動を考慮した,その浅層地下水の長期水質変化プロセスの解明が待たれる.