日本地球惑星科学連合2024年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-IS ジョイント

[M-IS17] 歴史学×地球惑星科学

2024年5月30日(木) 15:30 〜 16:45 201B (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:加納 靖之(東京大学地震研究所)、芳村 圭(東京大学生産技術研究所)、岩橋 清美(國學院大學)、玉澤 春史(東京大学生産技術研究所)、座長:芳村 圭(東京大学生産技術研究所)、岩橋 清美(國學院大學)

16:15 〜 16:30

[MIS17-07] 北海道におけるオーロラに関する記録の史料的検討

★招待講演

*シン ウォンジ1 (1.国立アイヌ民族博物館)

キーワード:オーロラ、北海道、最上徳内

歴史的オーロラ研究は,近年文理融合研究として展開され,その成果を蓄積しつつある.一方,北海道は地理的位置上,過去において低緯度オーロラの発生が期待されるが,文献史料が乏しく,詳細な観測記録も限られている.本発表は,18~19世紀北海道の文献史料におけるオーロラと思われる記録を紹介し,その背景や文献の情報を提供することを目的にする.

1.明和7728日(西暦1770917日)
 明和7年(1770)7月28日に発生した低緯度オーロラについては,日本各地で70点以上の観測記録が確認されており,これらの史料を対象に研究が進んでいる.岩橋(2022)による研究では,明和7年の赤気を記録した史料一覧に,北海道の史料として松前広長の『旧紀抄録』を参照している.また,広長が著した『松前年歴捷径』においても,明和7年に同様の記述が確認できる.

【旧紀抄録】同28日の夜の6時頃,亥〔北北西〕の方角から丑〔北北東〕の方角にかけての天上に赤光があり,その中には白と赤の光が混在していた.多くの者がこれを見たいと言う(松前町史編集室 1974).

【松前年歴捷径】7月28日の夕方,北方に火のような炎の光があり,その中央には白気が立っていた(北海道 1936).

 松前広長は松前藩の家老・学士であり,松前藩史料の集大成とされる『福山秘府』をはじめとする様々な年代記や地理書等を執筆した.『旧紀抄録』も宝暦元年(1751)から安永3年(1774)に至る家臣の動向及び重要な政治的事件を中心にした年代記である.その成立時期は少なくとも天明元年(1781)以降であると推定されている.『松前年歴捷径』は文治5年(1189)から寛政11年(1799)までの年代記であり,寛政11年頃成立したと推定されている.『旧紀抄録』が対象にする時代は,広長の生きていた元文2年(1738※)から享和元年(1801)までの間に含まれるため(久保 2021),明和7年の記録は広長が直接目撃した現象を残したものである可能性は否定できないが,その史料の性格上,日記というより年代記として捉えることが適切である.

2.文化354日(西暦1806620日)
 『東海参譚』においては,文化3年5月4日に羽幌から築別の間で,夜から夜明けにかけて北方に夕日の余光のような光があったと記述している.

【東海参譚】5月1日から4日まで,西風が吹いていた.ハボロ〔羽幌〕とツクヘツ〔築別〕の間,岩の上に波が打ち上がって通路にならなく,そこに滞在した.夜になって西の方が明るくなったのは,落日の余光のようにも思えた.しかし,実際には北方にこの余光があった.夜明けに起きて見ると,まるで雲のように,北方に光があった.これはまさに異域で方位を失ってしまったかのようだ.これを東の方にして,太陽の光が真っ先に見えるところと思ったら,夜が完全に明るくなって,後ろの山から朝日が現れた.これにより大いに迷いが生じ,子員〔最上徳内の字〕に話した.子員は「このようなことはあり得る.この地はおそらく42度より強い位置にある.よって,日光が北方に徹する所だ」と言った.夜明けの空を見ると,子員の言ったことに近いと思った(高倉 1969).

 『東海参譚』は,文化2年(1805)遠山金四郎景晋と村垣左太夫定行に従って江戸から松前に赴いて,文化3年宗谷までの巡視に参加した東甯元稹(志鎌万輔)が残した旅行日記であり,日記の他にも見聞きした事等を風土,産物等に分けて記している(高倉 1969).本巡視の報告書である『遠山村垣西蝦夷日記』においては,この現象についての記述は見られない(高倉1982).
 本巡視に同行していた最上徳内は,天明5年(1785)と6年(1786)の調査で当時「北極出地」とも呼ばれた緯度の測量を行った.その調査の見聞をまとめた『蝦夷国風俗人情之沙汰』には松前の北極出地を42度と記している(高倉 1969).徳内は,この現象についての質問に「北緯42度以上の場所では,日光が北方に貫くためあり得ることだ」と答えている.この現象がオーロラかどうかは検討が必要であるが,オーロラである場合,徳内はオーロラについて非常に正確に理解していたと考えられる.

<引用文献> 岩橋(2022)國學院雑誌,123(2),1-21.久保(2021)『松前藩家臣名簿』久保泰.高倉(1969)『日本庶民生活史料集成』第4巻探検・紀行・地誌北辺篇,三一書房.高倉(1982)『犀川会資料全』,北海道出版企画センター.北海道(1936)『新撰北海道史』第5巻史料1,北海道庁.松前町史編集室(1974)『松前町史』史料編第1巻,松前町.