10:45 〜 11:00
[MIS20-05] 2024年能登半島地震による能登町での津波の挙動と津波堆積物
キーワード:能登半島地震、津波堆積物、津波痕跡、津波石、堤防決壊、貝形虫
2024年1月1日,能登半島北部を震源とする地震(M7.6)が発生した.我々は,地震発生から約1ヶ月後の1月28日〜29日に,広く津波の浸水が見られた石川県能登町布浦地区および九里川尻地区において現地調査を実施した.本発表では,津波痕跡と津波堆積物の調査結果から推察された津波の挙動を報告する.津波痕跡調査では,家屋や木などに残されたウォーターマークから浸水深を計測し,倒れた稲などの方向から津波の流向を推定した.津波堆積物については,スコップとハンドコアラーを用いて82地点において掘削し,堆積学的特徴を記載した.
能登町布浦地区と九里川尻地区は,低地の東側で湾口幅約600 m,面積約0.6 km2,水深10 m以下の小さく浅い湾に面している.低地の幅は約550 mで,標高は1〜3 m程度である.低地を東西に流れる九里川尻川を隔てて,北東側に布浦地区,南西側に九里川尻地区が位置している.ここでは,内陸約750 mまで津波の浸水が認められた.布浦地区は,野球場や陸上競技場などの大型施設が大部分を占めている.ここでの津波の浸水深は330 cm以上であった.布浦地区の一面に広く堆積した津波堆積物の43地点における最大層厚は9.0 cm,平均層厚は4.6 cmであり,明瞭な内陸薄層化は認められなかった.南西側の九里川尻地区には,民家と田んぼが広がっている.ここでの津波の浸水深は70 cm以下であった.浸水限界付近の田んぼで計測した津波の流向は,海から内陸方向ではなく,河川から広がる傾向を示していた.この場所では,河川の堤防が幅約23 m,高さ50〜70 cmにわたって決壊したと推定され,河川を遡上した津波によって堤防が決壊したことで,九里川尻地区が広く浸水したと考えられる.決壊した堤防の背後では,津波堆積物はクレバススプレー堆積物に類似したローブ状の形態を示していた.また,ここでは津波堆積物の最大層厚が16.0 cmであり,海岸に近い布浦地区よりも厚いことからも,九里川尻地区では河川からの土砂供給が卓越していたことが示唆される.さらに,この場所の津波堆積物に含まれる貝形虫を予察的に同定した結果,Cythere属,Loxoconcha属,Aurila属などの沿岸浅海帯の砂底や海藻上に生息するタクサが多産した.このことに加えて本調査地域の沿岸に砂浜が存在しないことから,津波堆積物の大部分は浅海底から供給されたと考えられる.砂質堆積物に加えて,少なくとも3個の津波石が,河川と九里川尻地区の低地で見つかった.最も内陸まで運搬された津波石は,海岸線から約750 mの場所に存在しており,大きさは130 × 110 × 80 cmであった.この津波石は,主に火山砕屑物で構成されており,様々なサイズの砕屑岩を含んでいた.河口付近に崩壊した露頭が認められたことから,地震動によって崩壊した岩石のブロックが河口に落下し,津波によって内陸へ運搬されたと考えられる.
津波直後の現地調査によって,津波堆積物の分布や供給源,津波の挙動が明らかになった.まだ予察段階ではあるが,本調査地域では浅海から多くの堆積物が供給されたことに加えて,河川を遡上した津波が堤防決壊を起こしたことで,広範囲に津波堆積物が形成されたと考えられる.今回のように比較的小規模な津波の場合には,津波堆積物が広範囲に形成されるかどうかは地形条件に依存している可能性がある.様々な場所で過去の津波履歴を復元するための古津波堆積物研究が行われているが,本研究の成果は,本調査地域のような河口域や内湾域における津波の挙動や堆積過程を予測するためには,局所的な地形の影響を理解することが必要であり,古津波堆積物調査を実施する前に数値シミュレーションによって十分に検討しておくことの重要性を示している.また,今回の地震では,地震動による被害は能登半島の広範囲に及んだ一方で,津波の浸水被害は局所的であった.本研究地域における堆積物のデータとそこから得られた津波の挙動は,今後の津波浸水計算や土砂移動計算を実施する上で有用であり,海底地すべりも含めた津波の波源域の解明に貢献すると期待される
能登町布浦地区と九里川尻地区は,低地の東側で湾口幅約600 m,面積約0.6 km2,水深10 m以下の小さく浅い湾に面している.低地の幅は約550 mで,標高は1〜3 m程度である.低地を東西に流れる九里川尻川を隔てて,北東側に布浦地区,南西側に九里川尻地区が位置している.ここでは,内陸約750 mまで津波の浸水が認められた.布浦地区は,野球場や陸上競技場などの大型施設が大部分を占めている.ここでの津波の浸水深は330 cm以上であった.布浦地区の一面に広く堆積した津波堆積物の43地点における最大層厚は9.0 cm,平均層厚は4.6 cmであり,明瞭な内陸薄層化は認められなかった.南西側の九里川尻地区には,民家と田んぼが広がっている.ここでの津波の浸水深は70 cm以下であった.浸水限界付近の田んぼで計測した津波の流向は,海から内陸方向ではなく,河川から広がる傾向を示していた.この場所では,河川の堤防が幅約23 m,高さ50〜70 cmにわたって決壊したと推定され,河川を遡上した津波によって堤防が決壊したことで,九里川尻地区が広く浸水したと考えられる.決壊した堤防の背後では,津波堆積物はクレバススプレー堆積物に類似したローブ状の形態を示していた.また,ここでは津波堆積物の最大層厚が16.0 cmであり,海岸に近い布浦地区よりも厚いことからも,九里川尻地区では河川からの土砂供給が卓越していたことが示唆される.さらに,この場所の津波堆積物に含まれる貝形虫を予察的に同定した結果,Cythere属,Loxoconcha属,Aurila属などの沿岸浅海帯の砂底や海藻上に生息するタクサが多産した.このことに加えて本調査地域の沿岸に砂浜が存在しないことから,津波堆積物の大部分は浅海底から供給されたと考えられる.砂質堆積物に加えて,少なくとも3個の津波石が,河川と九里川尻地区の低地で見つかった.最も内陸まで運搬された津波石は,海岸線から約750 mの場所に存在しており,大きさは130 × 110 × 80 cmであった.この津波石は,主に火山砕屑物で構成されており,様々なサイズの砕屑岩を含んでいた.河口付近に崩壊した露頭が認められたことから,地震動によって崩壊した岩石のブロックが河口に落下し,津波によって内陸へ運搬されたと考えられる.
津波直後の現地調査によって,津波堆積物の分布や供給源,津波の挙動が明らかになった.まだ予察段階ではあるが,本調査地域では浅海から多くの堆積物が供給されたことに加えて,河川を遡上した津波が堤防決壊を起こしたことで,広範囲に津波堆積物が形成されたと考えられる.今回のように比較的小規模な津波の場合には,津波堆積物が広範囲に形成されるかどうかは地形条件に依存している可能性がある.様々な場所で過去の津波履歴を復元するための古津波堆積物研究が行われているが,本研究の成果は,本調査地域のような河口域や内湾域における津波の挙動や堆積過程を予測するためには,局所的な地形の影響を理解することが必要であり,古津波堆積物調査を実施する前に数値シミュレーションによって十分に検討しておくことの重要性を示している.また,今回の地震では,地震動による被害は能登半島の広範囲に及んだ一方で,津波の浸水被害は局所的であった.本研究地域における堆積物のデータとそこから得られた津波の挙動は,今後の津波浸水計算や土砂移動計算を実施する上で有用であり,海底地すべりも含めた津波の波源域の解明に貢献すると期待される