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[MZZ41-P03] 「東京地学協会規則」の制定とその源泉
キーワード:地理学史、王立地理学協会、渡邊洪基、鍋島直大、長岡護美、スミス海軍大将
19世紀の欧米では,地域主義から帝国主義に至る政治経済的潮流の中で広義の地理的知識への渇望が生じ,地理学協会(geographical society)の乱立を見るに至った。1879(明治12)年設立の東京地学協会は,当時活動した地理学協会の中では52番目の設立であり,アジアでは最初の独立した地理学協会であった。それゆえ,東京地学協会の歴史はこうした19世紀の世界情勢の中に位置付けて理解する必要がある。本発表では,とくに「東京地学協会規則」が誰によって何を源泉として制定されたのかを新出史料に基づき論じる。以下に記す内容は,英文で公表予定の論考(Shimazu 2024)の一部に補足的情報を加えてまとめたものである。「東京地学協会規則」は,鍋島直大,長岡護美,渡邊洪基,桂太郎,北澤正誠を立案委員として策定され,1879年3月21日開催の学習院における設立総会で議決された。その第二條に「本会ノ目的トシテ調査スル各科ノ学術ハ龍動地学協会ノ如ク之ヲ区分ス」とあり,王立地理学協会(Royal Geographical Society,以下RGS)がモデルとされたことがわかる。しかし,当該規則がRGSのいかなる規則に基づいて作られたのかは明らかでなかった。東京地学協会設立の主唱者は渡邊洪基であり,彼が外務一等書記官としてオーストリア=ハンガリー帝国駐在中にウィーン帝立王立地理学協会の正会員になったことが,東京に同種の協会を設立する動機となったことは知られている。「渡邊洪基日記」(東京大学文書館所蔵)には,1879年3月1日付で「東京地学協会規則案ヲ作ル」と記され,渡邊自身がこの「規則案」を起草したことが分かる。彼の日記には,3月4日に立案委員が永田町の鍋島直大邸に集まり「規則案」を議定したこと,それを印刷して学習院での会議に付す旨を決定したことも記される。英国留学の経歴をもつ鍋島直大と長岡護美はRGSの正会員であったが,渡邊とRGSとの関連は明らかでない。また,印刷された「規則案」の存在も研究史の上では知られてこなかった。発表者はNDLサーチやGoogleブックス等を通じた探索の結果,この「規則案」が福井県文書館と国文学研究資料館の両方に所蔵されていることを突き止めた。「規則案」と「東京地学協会規則」の内容は概ね同一といえるが,微妙な文言の違いもみられる。その一つが,「規則案」の「本会ノ目的トシテ調査スル各科ノ学術ハ龍動地学協会規則中英国亡海軍大将スミツス氏ノ定ムル所ニ因リ左ノ如ク之ヲ区分ス」という第二條の文章である。「各科ノ学術」とは,「規則案」が定める「地学」の中身を意味し,「本科」「形質科」「特科」「政略科」に区分されていた。そして「英国亡海軍大将スミツス氏」とは,1849~50年にRGSの会長を務めたAdmiral William Henry Smyth (1788-1865) のことであり,Journal of the Royal Geographical Society of Londonに掲載された1851年5月26日の会長最終公演(Smyth 1851)が「規則案」の一源泉であることが判明した。そこではGeographyのdivisionsとして“Absolute”“Physical”“Special”“Political”が挙げられ,それぞれが幾つかのsubdivisionsに細区分されていた。これらの原文が,ほぼそのまま和訳されて「規則案」や「東京地学協会規則」の中に取り入れられたことが判明した。そもそもSmythはRGSの創設者の一人であり (Markham 1881),RGSの“Prospectus (設立趣意書)”を起草したのも彼であった。そこではRGSの目的として,①新たな地理的事実や発見の収集と広報,②地理書や地図類を収蔵する図書室の整備,③旅行者が携帯すべき器具類の見本の収集,④調査旅行のための手引書作成や助成,⑤海外の地理学協会との交流,⑥関連分野の学協会との交流,の6つが挙げられた (Anonymous 1832)。そして驚くべきことに,「東京地学協会規則」の第一條として掲げられた「本会設立ノ目的」の大半は, RGSの前記の6つの目的を要約したものといえる。約20年の時を隔てて書かれたSmythの2つのテクストが,「東京地学協会規則」の主要部分の源泉となっていたことになる。RGSの正会員であった鍋島直大や長岡護美が,渡邊洪基にこれらの先行テクストの存在を教えたとも推測されるが,真相は明らかでない。【文献】Anonymous 1832. Prospectus of the Royal Geographical Society. Journal of the Royal Geographical Society of London 1, vii-xii, Markham, C. E. 1881. The fifty years' work of the Royal Geographical Society. John Murray, Shimazu. T. 2024. A whole new world of chigaku: The early years of the Tokyo Geographical Society, 1879–1900. in Geographical societies in the nineteenth century, ed. M. Georg, Springer Nature (in press), Smyth, W. 1851. Address to the Royal Geographical Society of London: Delivered at the Anniversary Meeting on the 26th May, 1851. Journal of the Royal Geographical Society of London 21, lvi-cii.