日本地球惑星科学連合2024年大会

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ41] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2024年5月26日(日) 17:15 〜 18:45 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 6ホール)

コンビーナ:矢島 道子(東京都立大学)、青木 滋之(中央大学文学部)、山田 俊弘(大正大学)、山本 哲

17:15 〜 18:45

[MZZ41-P06] 地域における「人新世」:人文主義的地質学者による地誌記述の系譜

*山田 俊弘1 (1.大正大学)

キーワード:人新世、地誌、人文主義的地質学者、地学史、地域の全体性

日本における近代的な地誌記述が地質学者の手によって始められたことは比較的よく知られている(石田 1984など)。実際、小藤文次郎(1856-1935)が「阿波地理小史」として徳島県地誌を『地学雑誌』(地学会、1889)誌上に発表したのを皮切りに、神保小虎(1867-1924)の「北海道地勢総論」(1892)をはじめとする「北方地誌」や、小川琢治(1870-1941)による『臺湾諸島誌』(東京地学協会、1896)のような実作を経て、山崎直方(1870-1929)と佐藤伝蔵(1870-1928)による『大日本地誌』全10巻(1903-1915)の集成に至る過程を追うことができる(山田 2006)。
その記述内容は、自然地理・人文地理・地方誌(沿革を含む)の三副対として整理されていくが、人文地理学の未発達から、あくまで専門的な地誌学成立までの「前史」とみなされることがある(田村 1984)。しかし、最近の研究によると、地質学者の望月勝海(1905-1963)が、地球科学を総合する基底に地誌記述を置いて地域の全体性の認識を得ることを考えていたことが分かってきている(山田ほか 2023)。これ自体は残念ながら十分な実を結ばなかったが、上記の伝統の延長線に位置づけることも可能だろう。
本発表では、小藤以来の地誌記述を行う地質学者を「人文主義的地質学者」として性格づけ、『大日本地誌』以降の地質学者による地誌記述の様相をたどるなかから、望月の理論と実践の試みを、地史(自然の歴史)と沿革(人間の歴史)を併存させて地域・惑星のあり方を問う「人新世」時代の地学的実践形態につながるものとして再定位してみたい。取りあげるのは、矢部長克(1878-1969)「房総半島」(1914)から、中村新太郎(1881-1941)の朝鮮半島地誌、田山利三郎(1897-1952)の南洋における海洋地質誌、田中舘秀三(1884-1951)の火山誌、そして望月勝海による「能登と伊豆」(1958)を掉尾とする地誌記述と教育の試みである。
〔主要参照文献〕
山田俊弘(2006):地質学者、地誌を書く――日本地理学の近代化、1888年-1925年、科学史研究、45、64-66。
山田俊弘・矢島道子・須貝俊彦・島津俊之(2023):20世紀日本地学史を日記の読解から再考する――地学者望月勝海の生涯と仕事、1914-1963年、地学雑誌、132、217-230。