13:45 〜 15:15
[O08-P46] 鯛のような島ができ、壊れるまでの過程
1 はじめに
和歌山県南部の海岸では,風化侵食によりさまざまな地形が形成され,名勝となっている.串本町の鯛島をはじめとした板状の形をした島の形成には,波による侵食に加え地層中に形成された節理の方向が大きく関わっていると考えられる.本研究の目的は,和歌山県南部に見られる特徴的な形をした島の形成過程を明らかにすることである.
2 調査方法
本研究では,串本町の九龍島および鯛島,白浜町の円月島および塔島の計4島を調査した.節理の方向は,国土地理院の地形図や空中写真から推定した.また,実地に露頭観察を行った.九龍島と鯛島について,空中写真を利用して約30本の節理の方向を読み取り,走向を記録した.
3 和歌山県南部にみられる侵食地形の様子
本研究で注目した4島は,いずれも新第三紀の礫岩層からできてる(中屋ほか,1999).このうち九龍島では,溝状の入り江が多数形成されており,その一部は島の内部に洞窟として続いている.入り江の延びの方向などから推定される節理の方向は,北を基準にして西に1°から22°および東に2°から20°の範囲にある.中でも,北を基準に10°から20°西の方向のものが多く見られた.鯛島は島全体が北北西-南南東の方向に長軸を持つ板状の形をしており,この島の形は九龍島に見られるものと同方向の節理に規制されている.
円月島から塔島にかけての地域で島や小さな岬が南北に連続している.塔島は,島全体に節理が発達しており,島の東壁では高さのある岩盤が大きく崩落した現場を確認できる.
4 プレートの動きと節理の方向
九龍島,鯛島と串本町にある火成岩岩脈の「橋杭岩」の線状の構造を比較すると,いずれの地点でも南北ないし北北西-南南東の方向性が認められる.また,地質図を見ると,橋杭岩と同じ向きの岩脈が複数示されている(中屋ほか,1999).これらの地質構造から推定される圧縮応力の向きは,現在のフィリピン海プレートの運動方向と近いものである.
フィリピン海プレートは,北北西方向へ年間4~5cmで紀伊半島の下に沈み込んでおり,これに伴い,紀伊半島の岩盤は同方向に圧縮される.一方,圧縮力の方向と直交する方向には,押し出すように力が働く.このため,北北西-南南東方向が弱線となり,節理を生じたりマグマが貫入したりしたと考えられる.
5 侵食過程と進行度
鯛島や円月島などのアーチ,トンネル状の地形をもつ島ができる過程を推定した.はじめ,波によって海岸が侵食され,島の海面付近の高さに凹地形が形成される(第1段階).この凹地形が島の内部に形成されている節理に達すると,足下の支えを失った壁面が一気に滑落する(第2段階).その後,再び波に侵食され凹地形が再生される.凹地形が節理に達するたびに島の壁面で大規模な崩落を繰り返し,段々と島が薄くなっていく(第3段階).最終的に,板状に薄くなった島は,側方から侵食を受けることでトンネルのように穴が貫通する(第4段階).
地形の形成は,長い年月を経て徐々に進行していく場合が多い.写真ほどの正確さはないが,古い絵画と現在の姿を比較することで,侵食に要する時間を推測できる可能性がある.今から約230年前の江戸時代(1793年)に描かれた塔島周辺の風景画が存在する(久保,2008;和歌山県立博物館 編,2013).この風景画によると,かつての塔島には3つの「窓」があり,絵が描かれた時代以降に崩落したということが分かる.第3段階から第4段階へ移行するのに要する時間は数百年未満,もしくはそれよりも短期間である可能性がある.
6 まとめ
侵食の進み具合を,節理に沿って侵食が進行している状態,節理と平行な方向にある島の両側が剥離して島が板状になっているもの,板状となった島が側方からの侵食を受け,島に穴が開いているもの,アーチが崩落していくつかの小島に分割されているもの4つに分類した.和歌山県南部の侵食地形は,九龍島,鯛島,円月島,塔島の順にそれぞれ当てはめることができる.
紀南の特徴的な侵食地形は,新生代新第三紀の礫岩層において発達している.島を細長い形にする節理は,北北西-南南東走向のものが卓越しており,橋杭岩の方向と一致する.これらの構造は,南海トラフから紀伊半島の下に沈み込んでいるフィリピン海プレートの運動を反映していると考えられる.
久保卓哉.2008.祇園南海の「遊灘渡」詩と「鉛山紀行」及び菊池西皐の『三山紀略』-塔島の三窓をめぐって-.福山大学人間文化学部紀要,vol.8,p.19-34.
中屋志津男・原田哲朗・吉松敏隆.1999.25万分の1紀伊半島四万十帯の地質図.アーバンクボタ,no.38,付図.
和歌山県立博物館 編.2013.特別展 桑山玉洲のアトリエ -紀州三大文人画家の一人、その制作現場に迫る-.107p.和歌山.
和歌山県南部の海岸では,風化侵食によりさまざまな地形が形成され,名勝となっている.串本町の鯛島をはじめとした板状の形をした島の形成には,波による侵食に加え地層中に形成された節理の方向が大きく関わっていると考えられる.本研究の目的は,和歌山県南部に見られる特徴的な形をした島の形成過程を明らかにすることである.
2 調査方法
本研究では,串本町の九龍島および鯛島,白浜町の円月島および塔島の計4島を調査した.節理の方向は,国土地理院の地形図や空中写真から推定した.また,実地に露頭観察を行った.九龍島と鯛島について,空中写真を利用して約30本の節理の方向を読み取り,走向を記録した.
3 和歌山県南部にみられる侵食地形の様子
本研究で注目した4島は,いずれも新第三紀の礫岩層からできてる(中屋ほか,1999).このうち九龍島では,溝状の入り江が多数形成されており,その一部は島の内部に洞窟として続いている.入り江の延びの方向などから推定される節理の方向は,北を基準にして西に1°から22°および東に2°から20°の範囲にある.中でも,北を基準に10°から20°西の方向のものが多く見られた.鯛島は島全体が北北西-南南東の方向に長軸を持つ板状の形をしており,この島の形は九龍島に見られるものと同方向の節理に規制されている.
円月島から塔島にかけての地域で島や小さな岬が南北に連続している.塔島は,島全体に節理が発達しており,島の東壁では高さのある岩盤が大きく崩落した現場を確認できる.
4 プレートの動きと節理の方向
九龍島,鯛島と串本町にある火成岩岩脈の「橋杭岩」の線状の構造を比較すると,いずれの地点でも南北ないし北北西-南南東の方向性が認められる.また,地質図を見ると,橋杭岩と同じ向きの岩脈が複数示されている(中屋ほか,1999).これらの地質構造から推定される圧縮応力の向きは,現在のフィリピン海プレートの運動方向と近いものである.
フィリピン海プレートは,北北西方向へ年間4~5cmで紀伊半島の下に沈み込んでおり,これに伴い,紀伊半島の岩盤は同方向に圧縮される.一方,圧縮力の方向と直交する方向には,押し出すように力が働く.このため,北北西-南南東方向が弱線となり,節理を生じたりマグマが貫入したりしたと考えられる.
5 侵食過程と進行度
鯛島や円月島などのアーチ,トンネル状の地形をもつ島ができる過程を推定した.はじめ,波によって海岸が侵食され,島の海面付近の高さに凹地形が形成される(第1段階).この凹地形が島の内部に形成されている節理に達すると,足下の支えを失った壁面が一気に滑落する(第2段階).その後,再び波に侵食され凹地形が再生される.凹地形が節理に達するたびに島の壁面で大規模な崩落を繰り返し,段々と島が薄くなっていく(第3段階).最終的に,板状に薄くなった島は,側方から侵食を受けることでトンネルのように穴が貫通する(第4段階).
地形の形成は,長い年月を経て徐々に進行していく場合が多い.写真ほどの正確さはないが,古い絵画と現在の姿を比較することで,侵食に要する時間を推測できる可能性がある.今から約230年前の江戸時代(1793年)に描かれた塔島周辺の風景画が存在する(久保,2008;和歌山県立博物館 編,2013).この風景画によると,かつての塔島には3つの「窓」があり,絵が描かれた時代以降に崩落したということが分かる.第3段階から第4段階へ移行するのに要する時間は数百年未満,もしくはそれよりも短期間である可能性がある.
6 まとめ
侵食の進み具合を,節理に沿って侵食が進行している状態,節理と平行な方向にある島の両側が剥離して島が板状になっているもの,板状となった島が側方からの侵食を受け,島に穴が開いているもの,アーチが崩落していくつかの小島に分割されているもの4つに分類した.和歌山県南部の侵食地形は,九龍島,鯛島,円月島,塔島の順にそれぞれ当てはめることができる.
紀南の特徴的な侵食地形は,新生代新第三紀の礫岩層において発達している.島を細長い形にする節理は,北北西-南南東走向のものが卓越しており,橋杭岩の方向と一致する.これらの構造は,南海トラフから紀伊半島の下に沈み込んでいるフィリピン海プレートの運動を反映していると考えられる.
久保卓哉.2008.祇園南海の「遊灘渡」詩と「鉛山紀行」及び菊池西皐の『三山紀略』-塔島の三窓をめぐって-.福山大学人間文化学部紀要,vol.8,p.19-34.
中屋志津男・原田哲朗・吉松敏隆.1999.25万分の1紀伊半島四万十帯の地質図.アーバンクボタ,no.38,付図.
和歌山県立博物館 編.2013.特別展 桑山玉洲のアトリエ -紀州三大文人画家の一人、その制作現場に迫る-.107p.和歌山.