日本地球惑星科学連合2024年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-CG 固体地球科学複合領域・一般

[S-CG54] 海域火山

2024年5月31日(金) 10:45 〜 12:00 301B (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:田村 芳彦(海洋研究開発機構 海域地震火山部門)、藤田 英輔(防災科学技術研究所 火山防災研究部門)、前野 深(東京大学地震研究所)、小野 重明(国立研究開発法人海洋研究開発機構)、座長:田村 芳彦(海洋研究開発機構 海域地震火山部門)、小野 重明(国立研究開発法人海洋研究開発機構)、前野 深(東京大学地震研究所)、藤田 英輔(防災科学技術研究所 火山防災研究部門)

10:45 〜 11:00

[SCG54-06] 口永良部島火山活動と危機対応

★招待講演

*井口 正人1 (1.京都大学防災研究所火山活動研究センター)

キーワード:口永良部島、噴火警戒レベル、避難

我が国は多数の海域火山を有するが、火山島を形成していてもその面積は小さい。ここでは、南西諸島の口永良部島を例に、小規模な火山島における研究と噴火災害対策上の課題について考察する。
口永良部島は鹿児島県屋久島の西方14kmの洋上にある火山島である。有史以降にのこる噴火は1841年以降しかないが、それ以降噴火を新岳火口内及びその東の割れ目において頻繁に繰り返してきた。
1931年から1934年にかけて噴火が頻繁に発生した。1931年には3回の爆発があり、新岳火口縁の一部を破壊してブロック・アンド・アッシュフローが発生した。最も大きな被害をもたらしたのは、1933年12月24日の爆発であり、この噴火の発生により新岳火口の南東1.9kmの距離にあった七釜集落が全滅した。死者8名と負傷者26名が記録されている。この噴火活動は翌年1月まで繰り返された。1945年には新岳東の割れ目において噴火が発生した。1966年11月22日に新岳火口内で発生した噴火は爆発的であり、火山岩塊が北方約3kmの距離まで到達した。それ以降、噴火が毎年のように繰り返されたが、1980年に新岳東の割れ目において発生した噴火により一連の噴火活動は静穏化した。
1980年の噴火以降、2014年8月3日の噴火まで噴火は発生していないが、この期間の活動は噴火発生の準備過程を考える上で、極めて重要な知見をもたらした。活動推移は遺憾のようにまとめられる。①山体の膨張(1995年ごろ?)、②火山性地震活動の活発化(1999年以降)と繰り返し、特に、新岳火口付近に局在する地盤変動と同期した火山性地震の繰り返し、③火口直下の蓄熱と地熱活動の地表面における顕在化(2002年以降)、➃噴気活動の活発化、特に、SO2放出量の増加(2008年以降)。マグマの貫入による応力の増加、さらに破壊強度を超えることによる火山構造性地震の増加という内生的プロセスから、熱活動の顕在化や火山ガス放出量の増加という外生的活動に変化していったことである。
2015年5月29日の噴火では、火砕流が新岳火口から3kmの距離にある向江浜の海岸にまで達したので、噴火警戒レベルが3から5に引き上げられ、その後、全島避難が行われた。気象庁が2007年12月に噴火警報発表を開始してから初めてのレベル5の発表と警報に基づく避難(しかも全島避難)が行われた。この噴火については事前に噴火警戒レベルを5に引き上げて避難(島内避難でよい)することが可能であった。その理由は、2014年噴火に前駆する現象よりもはるかに強い現象が観測されていたからである。これらは、①SO2放出量の増加(1桁大きい)、②山体全体に及ぶ地盤変動、③地熱活動更なる活発化(火映の出現)、➃有感を含む火山構造性地震の発生及びその後の多様な波形の火山性地震である。このうち、警報発表のトリガーとなりうるのは噴火発生の6日前の5月23日に発生した有感地震(M2.4)であり、口永良部島においては1931年と1966年の噴火でも前駆する有感地震が発生している。
2020年以降、新岳火口における火山活動は低下したが、2023年7月以降、新岳の南0.5km付近に辺りにある古岳において火山性地震が増加するとともに、地熱活動と噴気活動が活発化し、古岳火口内の状況は一変したが、今のところ噴火発生に至っていない。古岳においては200年前にブロック・アンド・アッシュフローを伴う噴火があり、長期間にわたり火口内の多数の噴気において温度は100度を超えていたので、古岳における噴気活動の活発化は以前から噴火の可能性は指摘されていた。
以上のことから海域火山における研究や防災対応における課題は以下の通り整理される。①噴火シナリオの構築においては有史以前の噴火についても調査できる範囲が限定されるので発見されている噴火が少ない上、より詳細な検討を可能とする文書記録に残る噴火が少ない。口永良部島の文書記録は200年にも満たない。②近代的な観測が始まってからの期間が短く、データの蓄積が少ない。火山性地震の観測は最も歴史が古いが、多くの火山島における観測を気象庁が常時化したのは21世紀に入ってからである。陸域の火山に比べて電力の供給、データ通信、観測の維持に難があった。③噴火の記録が少ないこととも関連するが、ハザードマップの作成が遅れている。口永良部島の場合、噴火規模想定とシミュレーションに基づくハザードマップが作成されたのは、2020年のことである。➃毎年火山防災協議会は開催されてはいるが、口永良部島の桜島以南4火山(桜島、薩摩硫黄島、口永良部島、諏訪之瀬島)の合同火山防災協議会として開催されており、口永良部島に割り当てられる時間が少ない。むしろ、協議会の幹事会機能を持つ火山防災連絡会の方が有効である。しかし、事務局のある鹿児島県、役場のある屋久島と火山の現場である口永良部島はそれぞれ離れた場所にあり、連携しにくい状況にある。私の経験では、鹿児島市に役所機能がある桜島、薩摩硫黄島、諏訪之瀬島に比べて、屋久島に役場がある口永良部島の場合は、行政機関との連携が疎遠になる。⑤島外への避難は屋久島町営フェリー、漁船、民間の船舶、海上保安庁や自衛隊の船舶を利用することとしている。2015年の全島避難の際には、屋久島町営フェリーが使用されたが、このフェリーは種子島~屋久島~口永良部島の間を1日1往復しており、緊急的に避難するときに口永良部島の近海を航行している保証はない。実際、2015年噴火が発生したときは、種子島近くを航行していた。緊急時にはすぐに急行できる船舶を使うべきであり、より実効性のある避難計画を立案すべきである。