17:15 〜 18:45
[SGL18-P07] 唐津市呼子周辺の放射状岩脈とその中心のカルデラ: 筑豊型構造をつくった中期中新世の弧平行伸長
キーワード:沖縄トラフ、応力逆解析、ジルコンU–Pb及びFT年代、九州
九州北西部の中期中新世末の岩脈群が,小カルデラを中心として放射状をなしていたこと,また同時期,より広域には島弧平行引っ張り応力場だったことを報告する.
沖縄トラフ北部の拡大は中期中新世に開始したと考えられている(Sibuet et al., 1987, 1995).他方で,九州地方から西南日本弧西部の背弧域には,筑豊型構造とよばれるおよそNW-SE走向の地質図規模の正断層が多く存在し(松下, 1951),その形成が沖縄トラフ拡大の副次的効果であるとする説がある(Ushimaru & Yamaji, 2023).しかし,九州北部には中部中新統が分布しないため,筑豊型構造をつくった伸長テクトニクスの年代制約は弱かった.
九州北西部,呼子地域では漸新統~下部中新統の佐世保層群に多くの岩脈が貫入している.しかし,これらの貫入年代・方向には議論がある.すなわち,渡辺・石橋 (1987)は,岩脈に捕獲された花崗岩中のジルコンから15 Ma前後のフィッション・トラック(FT)年代を報告し,この岩脈群を中期中新世の肥前粗粒玄武岩類(山崎, 1959)に対比した.また,岩脈群は放射状をなすとも述べている.松本・矢野 (1998)は,呼子地域の岩脈から12.3 Maと12.6 MaのK–Ar年代を報告し,やはり前粗粒玄武岩に対比した.他方で,山元 (1991)は,同岩脈群をこの地域に広く分布する約3 Maの東松浦玄武岩(Nakamura et al., 1986)の供給岩脈とみなし,NW-SE方向の岩脈群としている.
そこでわれわれは,呼子岩脈群の再調査を行っている.これまでに計77枚の安山岩から玄武岩質安山岩の岩脈の方向を測定した.その結果,岩脈の傾斜はおおむね70°以上と高角で,走向は放射状をなしていた.方向データが十分に得られた区画のデータを使って予察的に応力解析(Yamaji and Sato, 2011)を行った結果,正断層型応力が得られた.また,調査範囲外も含めてより広域的に岩脈群の方向をみると,放射状からNW-SE方向の平行状に遷移していると判断され,貫入時の広域応力はNE-SW引張であったと推定される.
これまで放射状岩脈の中心付近には,貫入岩体が複数分布するとされていた(小林ほか, 1955; 渡辺・石橋, 1987).しかし,本研究でその中心付近には直径が1 kmスケールのカルデラが存在したことを見出した.すなわち,中心付近に安山岩から玄武岩質安山岩の凝灰角礫岩および溶岩および,湖沼成を思わせる成層した明白細粒凝灰岩が露出することが分かった.また,佐世保層群と火砕岩は高角な境界面をもち,その境界近傍では,前者由来と考えられる砂岩礫を主体とした角礫岩や,数メートル規模の砂岩ブロックも認められた.これらの火山岩・火砕岩類は,呼子岩脈群の中心火口の堆積物であると考えられる.
岩脈に捕獲され焼かれたシルト岩ブロックのジルコンU–Pb年代とFT年代を京都フィッション・トラック(株)に依頼して測定した結果,U–Pb年代は23 Maから2400 Ma代の幅広い値を示した.他方で,30粒のジルコンのFT年代は13 Ma前後の比較的まとまった値を示し,岩脈の既存のK–Ar年代(松本・矢野, 1998)と矛盾しない.
本研究の結果から,12から13 Ma頃に呼子地域はNE-SW引張の応力状態であったと考えられる.これは,沖縄トラフ拡大初期に九州北部が伸長場であったとする説(Ushimaru & Yamaji, 2023)を支持する.しかし,応力状態には地域差があったらしい.というのも,12.5 Ma頃には対馬海盆南縁ではNW-SE圧縮により褶曲形成が始まっており(Kim et al., 2020),呼子地域と瀬戸内海西部でのσ3軸方向(Sato & Haji, 2021)はほとんど直交するからである.
沖縄トラフ北部の拡大は中期中新世に開始したと考えられている(Sibuet et al., 1987, 1995).他方で,九州地方から西南日本弧西部の背弧域には,筑豊型構造とよばれるおよそNW-SE走向の地質図規模の正断層が多く存在し(松下, 1951),その形成が沖縄トラフ拡大の副次的効果であるとする説がある(Ushimaru & Yamaji, 2023).しかし,九州北部には中部中新統が分布しないため,筑豊型構造をつくった伸長テクトニクスの年代制約は弱かった.
九州北西部,呼子地域では漸新統~下部中新統の佐世保層群に多くの岩脈が貫入している.しかし,これらの貫入年代・方向には議論がある.すなわち,渡辺・石橋 (1987)は,岩脈に捕獲された花崗岩中のジルコンから15 Ma前後のフィッション・トラック(FT)年代を報告し,この岩脈群を中期中新世の肥前粗粒玄武岩類(山崎, 1959)に対比した.また,岩脈群は放射状をなすとも述べている.松本・矢野 (1998)は,呼子地域の岩脈から12.3 Maと12.6 MaのK–Ar年代を報告し,やはり前粗粒玄武岩に対比した.他方で,山元 (1991)は,同岩脈群をこの地域に広く分布する約3 Maの東松浦玄武岩(Nakamura et al., 1986)の供給岩脈とみなし,NW-SE方向の岩脈群としている.
そこでわれわれは,呼子岩脈群の再調査を行っている.これまでに計77枚の安山岩から玄武岩質安山岩の岩脈の方向を測定した.その結果,岩脈の傾斜はおおむね70°以上と高角で,走向は放射状をなしていた.方向データが十分に得られた区画のデータを使って予察的に応力解析(Yamaji and Sato, 2011)を行った結果,正断層型応力が得られた.また,調査範囲外も含めてより広域的に岩脈群の方向をみると,放射状からNW-SE方向の平行状に遷移していると判断され,貫入時の広域応力はNE-SW引張であったと推定される.
これまで放射状岩脈の中心付近には,貫入岩体が複数分布するとされていた(小林ほか, 1955; 渡辺・石橋, 1987).しかし,本研究でその中心付近には直径が1 kmスケールのカルデラが存在したことを見出した.すなわち,中心付近に安山岩から玄武岩質安山岩の凝灰角礫岩および溶岩および,湖沼成を思わせる成層した明白細粒凝灰岩が露出することが分かった.また,佐世保層群と火砕岩は高角な境界面をもち,その境界近傍では,前者由来と考えられる砂岩礫を主体とした角礫岩や,数メートル規模の砂岩ブロックも認められた.これらの火山岩・火砕岩類は,呼子岩脈群の中心火口の堆積物であると考えられる.
岩脈に捕獲され焼かれたシルト岩ブロックのジルコンU–Pb年代とFT年代を京都フィッション・トラック(株)に依頼して測定した結果,U–Pb年代は23 Maから2400 Ma代の幅広い値を示した.他方で,30粒のジルコンのFT年代は13 Ma前後の比較的まとまった値を示し,岩脈の既存のK–Ar年代(松本・矢野, 1998)と矛盾しない.
本研究の結果から,12から13 Ma頃に呼子地域はNE-SW引張の応力状態であったと考えられる.これは,沖縄トラフ拡大初期に九州北部が伸長場であったとする説(Ushimaru & Yamaji, 2023)を支持する.しかし,応力状態には地域差があったらしい.というのも,12.5 Ma頃には対馬海盆南縁ではNW-SE圧縮により褶曲形成が始まっており(Kim et al., 2020),呼子地域と瀬戸内海西部でのσ3軸方向(Sato & Haji, 2021)はほとんど直交するからである.