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[SVC26-P14] 歴史資料を活用した伊豆大島における19世紀噴火活動の復元

キーワード:伊豆大島火山、歴史資料、Y0.8噴火
近世伊豆大島において,19世紀ごろに発生した Y0.8噴火は灰色火山灰層の存在で定義されている中規模噴火である(小山・早川 1996).一方で,同時期に複数の噴火記録が存在しているものの,Y0.8噴火に相当記録がいずれかであるかは不明とされてきた.伊豆大島火山において,火山灰噴出を主とする噴火はY0.8噴火以降発生していないことから,Y0.8噴火について明らかにすることは重要であると言える.中・小規模噴火は噴出量が少ないことから野外での認定が難しい場合がある.しかし,歴史時代に発生した噴火は歴史資料に噴火記録が残されている可能性がある.そこで本研究では,露頭調査,室内分析と歴史資料の調査・分析により,総合的にY0.8噴火の噴火年代を検討した.
露頭調査では,伊豆大島島内でY0.8降下火砕物の認定と,上下に噴火の休止期を示す明瞭な土壌層が存在するかを確かめ,Y0.8降下火砕物が単独の噴火イベントによるものであるかを再検討した.歴史資料調査では,先行研究で挙げられている史料を中心に,できるかぎり原典資料を用いて分析を行い,史料の作成年代や著者,記述された背景などから,噴火記録としての信頼性を総合的に判断した.
露頭調査の結果,4地点でY0.8降下火砕物を観察し,そのうち1地点でY0.8降下火砕物が,1777〜1792年の大規模噴火によるY1降下火砕物と1986年降下スコリアの間に明確な土壌層を挟んで存在することを確認した.また,Y1噴火から1986年噴火までに,Y0.8噴火以外で降下火砕物が保存されている噴火は確認できなかった.したがって,Y0.8 噴火はそのほかの同時期に発生した中・小規模噴火と比べて突出して火砕物の噴出量が多かったことが考えられる.Y0.8降下火砕物の分布範囲と層厚から小山・早川(1996)と同様の計算式でY0.8噴火の噴出量を概算すると2.2×1010kgであり,中規模噴火に相当する.また,Y0.8降下火砕物は大島全域に分布することから,一定の期間中に断続的に発生した複数回の噴火に由来し,地上風の風向変化に応じて様々な方向に火山灰が降下したと考えられる.
19世紀ごろの歴史資料調査の結果,年代別に5件の噴火記録を認定した.これまで1846年の噴火記録と認識されていた史料は,1766年以前の噴火を指していたことが判明した.また,新たに1812年に噴火及び降灰が発生していたことが分かった.また,1822~24年の噴火記録は山崎(1896)で示されて以降原典の所在が不明とされてきた(中村 1915)が,『弘化3年大島差出帳』や『伊豆国大島明細帳』にその記述を見つけることができた.『弘化3年大島差出帳』や『伊豆国大島明細帳』は伊豆大島の公的な史料であるため,記録の信ぴょう性は高い.これらの他にも,中村(1915)などで言及されている1803年と1837~1838年の噴火記録をそれぞれ別の史料で確認した.
これらの結果から,複数年にわたり降灰を伴う噴火があったとする1822~24年の噴火記録がY0.8噴火に相当する可能性が高い.
露頭調査では,伊豆大島島内でY0.8降下火砕物の認定と,上下に噴火の休止期を示す明瞭な土壌層が存在するかを確かめ,Y0.8降下火砕物が単独の噴火イベントによるものであるかを再検討した.歴史資料調査では,先行研究で挙げられている史料を中心に,できるかぎり原典資料を用いて分析を行い,史料の作成年代や著者,記述された背景などから,噴火記録としての信頼性を総合的に判断した.
露頭調査の結果,4地点でY0.8降下火砕物を観察し,そのうち1地点でY0.8降下火砕物が,1777〜1792年の大規模噴火によるY1降下火砕物と1986年降下スコリアの間に明確な土壌層を挟んで存在することを確認した.また,Y1噴火から1986年噴火までに,Y0.8噴火以外で降下火砕物が保存されている噴火は確認できなかった.したがって,Y0.8 噴火はそのほかの同時期に発生した中・小規模噴火と比べて突出して火砕物の噴出量が多かったことが考えられる.Y0.8降下火砕物の分布範囲と層厚から小山・早川(1996)と同様の計算式でY0.8噴火の噴出量を概算すると2.2×1010kgであり,中規模噴火に相当する.また,Y0.8降下火砕物は大島全域に分布することから,一定の期間中に断続的に発生した複数回の噴火に由来し,地上風の風向変化に応じて様々な方向に火山灰が降下したと考えられる.
19世紀ごろの歴史資料調査の結果,年代別に5件の噴火記録を認定した.これまで1846年の噴火記録と認識されていた史料は,1766年以前の噴火を指していたことが判明した.また,新たに1812年に噴火及び降灰が発生していたことが分かった.また,1822~24年の噴火記録は山崎(1896)で示されて以降原典の所在が不明とされてきた(中村 1915)が,『弘化3年大島差出帳』や『伊豆国大島明細帳』にその記述を見つけることができた.『弘化3年大島差出帳』や『伊豆国大島明細帳』は伊豆大島の公的な史料であるため,記録の信ぴょう性は高い.これらの他にも,中村(1915)などで言及されている1803年と1837~1838年の噴火記録をそれぞれ別の史料で確認した.
これらの結果から,複数年にわたり降灰を伴う噴火があったとする1822~24年の噴火記録がY0.8噴火に相当する可能性が高い.