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[U15-P106] 令和6年能登半島地震に伴う内灘町の液状化による地表変状と人工地形改変・地質構造との関係
キーワード:令和6年能登半島地震、液状化、側方流動、砂丘
2024年1月1日16時10分に発生した令和6年能登半島地震(M7.6,気象庁, 2024)では,最大約4 mにおよぶ海岸隆起や土砂崩れ、液状化などの幅広い地盤災害が発生した。そのうち液状化被害は石川県、富山県、新潟県、福井県の4県で報告されており(防災科学技術研究所, 2024)、震央距離は最大約180 kmと広範囲におよんでいる。特に震源から約100 km南南西に位置し、最大震度5弱を記録した石川県河北郡内灘町では、液状化に伴う側方流動による被害が顕著である。内灘町の被害地域は日本海沿岸に沿って発達する内灘砂丘の内陸側に集中しており、地表亀裂や噴砂などの地表変状も認められている。本研究では、現地調査によって液状化被害と地表変状の特徴をまとめるとともに、地震以前に取得された地形・地質情報を整理し、内灘町における地表変状と地形変化・地質構造との関係を検討した。
2024年2月21日および24日に内灘町室地区から宮坂地区にかけて現地調査を実施し、ドローンによる空撮を行った。空撮映像からMetashapeを用いてオルソ画像を作成し、国土地理院が提供する全国最新写真(シームレス)で比較可能な構造物を基準にグラウンドコントロールポイント(GCP)を設定することでQGIS上に投影し、地表亀裂と噴砂が生じた箇所をマッピングした。
オルソ画像から確認できる地表亀裂は、県道8号東側において一部の地域で認められる一方、県道8号西側では調査範囲全域の標高3~5 m程度に分布し、全体として低地側へ沈降する変位(図1の黄色矢印の方向)が認められる。特に県道8号西側の地表亀裂については、県道8号西縁に沿って分布する地盤隆起域とおおむね一致しており、その間の地域に噴砂が多く確認できる。ただし、西荒屋地区および宮坂地区の一部地域では、県道8号の西に整備された北東―南西方向に走る道路(図1の白破線)に沿って地表亀裂および地盤隆起域が分布している。今昔マップ(谷, 2017)で確認できる1930年頃の地形図および空中写真と比較すると、これらの道路は河北潟干拓事業以前の湖岸に相当し、砂丘の内陸側斜面が近接していた。さらに砂丘内陸側斜面は、河北潟干拓のための大規模な切土によって最大40 m程度の厚さの砂が取り除かれており、現在の砂丘内陸側斜面末端部は西へ最大150 m程度後退し、標高3~5 mの平坦地へ人工的に改変されたことがわかる。このことから、切土による上載圧の減少やそれに伴う地下水位の変化との関連が示唆される。
一方、西荒屋小学校付近では周辺地域を取り囲むように弧状に亀裂群が分布している。この地域は現地調査において路面の激しい起伏を確認した範囲と一致している。さらに国土地理院が公開している1961年から1969年の空中写真と比較すると、同地域において砂丘斜面を河北潟の水面以下まで掘り下げていることが確認できる。このことから、造成地を埋め立てた盛土全体が移動したことによって、大規模な地盤変状につながった可能性が考えられる。
国土地理情報センターが公開している、室と宮坂における県道8号近傍のボーリング柱状図では、地下水位が地表面から約0.5mと非常に浅く、室で地表面から深度6 mにかけて、宮坂で深度1 mから深度5 mにかけてN値0~5の細砂層が確認できる。また、深度5~6 m以深は河北潟の堆積物と考えられるシルト質粘土が深度20 m程度まで認められることから、表層から5~6 mの深度区間において液状化が発生した可能性が考えられる。一方、内灘砂丘を開削して建設された河北潟放水路におけるボーリング柱状図では、最上位の緩い区間を含む中粒砂層の下位にN値50を超えるよく締まった中粒砂層が分布している。この砂層は内灘砂丘の日本海側で厚く発達する一方、内陸側においても砂丘縁辺部まで確認できる。人工地形改変によって掘削されているため上限深度ははっきりしないものの、砂丘縁辺部における液状化層の基盤として働いた可能性も考えられる。液状化が発生した堆積層やその深度を理解するためには、今後さらに砂丘堆積物の年代やその地質構造、ならびに物性を詳細に把握する必要がある。
図1、内灘町における地表変状(地表亀裂、噴砂、地盤隆起)の分布.
(a)西荒屋から宮坂, (b)室から西荒屋. 背景地図は地理院タイルの全国最新写真(シームレス)を用いた. 挿入図には内灘町周辺の地理院地図を用い、黒枠線は(a)および(b)の範囲を示す.
2024年2月21日および24日に内灘町室地区から宮坂地区にかけて現地調査を実施し、ドローンによる空撮を行った。空撮映像からMetashapeを用いてオルソ画像を作成し、国土地理院が提供する全国最新写真(シームレス)で比較可能な構造物を基準にグラウンドコントロールポイント(GCP)を設定することでQGIS上に投影し、地表亀裂と噴砂が生じた箇所をマッピングした。
オルソ画像から確認できる地表亀裂は、県道8号東側において一部の地域で認められる一方、県道8号西側では調査範囲全域の標高3~5 m程度に分布し、全体として低地側へ沈降する変位(図1の黄色矢印の方向)が認められる。特に県道8号西側の地表亀裂については、県道8号西縁に沿って分布する地盤隆起域とおおむね一致しており、その間の地域に噴砂が多く確認できる。ただし、西荒屋地区および宮坂地区の一部地域では、県道8号の西に整備された北東―南西方向に走る道路(図1の白破線)に沿って地表亀裂および地盤隆起域が分布している。今昔マップ(谷, 2017)で確認できる1930年頃の地形図および空中写真と比較すると、これらの道路は河北潟干拓事業以前の湖岸に相当し、砂丘の内陸側斜面が近接していた。さらに砂丘内陸側斜面は、河北潟干拓のための大規模な切土によって最大40 m程度の厚さの砂が取り除かれており、現在の砂丘内陸側斜面末端部は西へ最大150 m程度後退し、標高3~5 mの平坦地へ人工的に改変されたことがわかる。このことから、切土による上載圧の減少やそれに伴う地下水位の変化との関連が示唆される。
一方、西荒屋小学校付近では周辺地域を取り囲むように弧状に亀裂群が分布している。この地域は現地調査において路面の激しい起伏を確認した範囲と一致している。さらに国土地理院が公開している1961年から1969年の空中写真と比較すると、同地域において砂丘斜面を河北潟の水面以下まで掘り下げていることが確認できる。このことから、造成地を埋め立てた盛土全体が移動したことによって、大規模な地盤変状につながった可能性が考えられる。
国土地理情報センターが公開している、室と宮坂における県道8号近傍のボーリング柱状図では、地下水位が地表面から約0.5mと非常に浅く、室で地表面から深度6 mにかけて、宮坂で深度1 mから深度5 mにかけてN値0~5の細砂層が確認できる。また、深度5~6 m以深は河北潟の堆積物と考えられるシルト質粘土が深度20 m程度まで認められることから、表層から5~6 mの深度区間において液状化が発生した可能性が考えられる。一方、内灘砂丘を開削して建設された河北潟放水路におけるボーリング柱状図では、最上位の緩い区間を含む中粒砂層の下位にN値50を超えるよく締まった中粒砂層が分布している。この砂層は内灘砂丘の日本海側で厚く発達する一方、内陸側においても砂丘縁辺部まで確認できる。人工地形改変によって掘削されているため上限深度ははっきりしないものの、砂丘縁辺部における液状化層の基盤として働いた可能性も考えられる。液状化が発生した堆積層やその深度を理解するためには、今後さらに砂丘堆積物の年代やその地質構造、ならびに物性を詳細に把握する必要がある。
図1、内灘町における地表変状(地表亀裂、噴砂、地盤隆起)の分布.
(a)西荒屋から宮坂, (b)室から西荒屋. 背景地図は地理院タイルの全国最新写真(シームレス)を用いた. 挿入図には内灘町周辺の地理院地図を用い、黒枠線は(a)および(b)の範囲を示す.