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[HDS09-08] 三重県大紀町錦におけるコミュニティベースの津波避難計画の可能性と限界性
キーワード:津波避難、災害リスク軽減、コミュニティベース、三重県大紀町錦
2024年能登半島地震では、津波による深刻な人的被害は発生しなかったものの、改めて津波避難の難しさが浮き彫りになった。近年、津波被害や避難行動などにかかわる学術研究が進展し、進展津波警報システムやハザードマップなどの改善が進められているにもかかわらず、なぜ人は逃げないのかという、津波防災の最大の問題は未解決のままである。遡ること約20年、2004年9月5日深夜に発生した紀伊半島南東沖地震において、気象庁から津波警報が発出されたにもかかわらず、三重県下関係地域の平均避難率は6%ほどだった。ところが、大紀町錦地区では、当時の想定浸水域居住者に占める避難者の割合が80%以上を記録した。当地区では、1944年昭和東南海地震において約6メートルの高さの津波によって死者64名、流出・全壊家屋447戸の大被害を被ったこともあり、津波防災が大きな課題であった。町当局(当時紀勢町)は、1993年北海道南西沖地震の視察結果を検討し、緊急避難場所と避難路の整備(津波避難タワー建設を含む)、避難訓練の徹底などによる災害文化の醸成、町役場を中心にしたローカル津波警報システムの開発の三本柱からなる独自のコミュニティベースの津波避難計画を確立しようとしていた。わたしたちはその取り組みについて地震学や社会学などの観点から多角的に検討・報告し(kimata and Nakaseko 2008; Nakaseko et al. 2008; Takahashi et al. 2008)、そのことは国際的にも注目された(たとえば、Velotti et al. 2013; León and March 2014; de Oliveira and Fra.Paleo 2014)。しかし、その後、人口減少と高齢化、産業不振という、日本の多くの農山漁村が抱える共通の問題に直面し、町当局は、その計画の一部に直しに着手せざるをえなくなった。この発表では、わたしたちがかつて「錦モデル」として概念化した津波避難計画について改めて詳細に振り返り、どのような限界があり、それに対してどのような打開策が考えられているかを検討したい。