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[HTT16-17] 日本から出土したツンナール銃弾のPb同位体比による産地推定
キーワード:ツンナール銃、Pb同位体
はじめに
歴史的な金属遺物中に含まれるPb同位体比の分析は,その遺物や原料の産地推定を行う上で強力なツールである。著者らは,江戸時代末の戊辰戦争,および明治時代初期の西南戦争で使用された銃弾のPb同位体分析を行い,約半数の銃弾が外国産,残り半数の銃弾が日本産の鉛を原料としていることを明らかとした[1]。
しかし,上述の研究[1]では,外国産の鉛についてイギリス産とドイツ産をPb同位体比では明瞭に識別することができず,銃器の輸入記録などの歴史的な背景に基づいて,銃弾もイギリス産だろうと仮定している。しかし,ドイツの鉱工業や軍事システムは19世紀中葉ごろから興隆し,1864年の第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(対デンマーク),1866年の普墺戦争(対オーストリア),1870年の普仏戦争(対フランス)に勝利するなど,戊辰戦争~西南戦争前後の年代には既に,鉱工業および軍事の覇権はイギリス一強とは言い難い状況であった。そこで本研究では,1836年にプロイセン王国で開発されたツンナール銃について,日本で使用された銃弾のPb同位体比分析を行い,ドイツ産鉛資源のPb同位体比の特徴について検討した。
ドイツ発祥の銃器 ―ツンナール銃について―
世界発の後装式ボルトアクション銃であるツンナール銃(ドライゼ銃,撃針銃とも)は,1836年に当時新興国家であったプロイセン王国において開発された。本銃を装備したプロイセン軍が対デンマーク戦,および対オーストリア戦において勝利を収めたことにより,本銃の撃発機構の先進性が国際的に認知された。日本でも,戊辰戦争直後の兵制改革に際し,紀州和歌山藩がプロイセン王国の下士官であったカール・ケッペンを招き,ツンナール銃の製造法,並びに部隊運用の指導を受けたとの記録が残る。ただし,ツンナール銃は,薬莢の構造および銃身の密閉性に問題があり,1870年代には既に旧式化していた。
日本における本銃の実戦投入は,1877年の西南戦争である。物資に窮乏していた西郷軍に対し,物量の優勢によって政府軍が勝利したとの文脈で説明されることの多い西南戦争であるが,当時の陸軍制式小銃であったスナイドル銃弾の製造能力については,政府軍側も不十分であり,前線以外の部隊では旧式のツンナール銃を装備している例がいくつか確認されており,大分・宮崎周辺の西南戦争関連遺構からの出土がある。
Pb同位体比分析
ツンナール銃弾は,当時主流だったエンフィールド銃やスナイドル銃などの中空型の弾頭とは異なり,独特な弾頭形状を示す(図)。これらの銃弾の表面に形成されている炭酸鉛錆を純水で湿らせた綿棒で拭い,実験室内で溶解してPbを抽出した。抽出したPb溶液に同位体分別補正のためのTlを添加し,総合地球環境学研究所,および琉球大学理学部のMC-ICP-MS(Thermo Scientific, Neptune Plus)によってPb同位体比を測定した。
日本のいくつかの地域から出土したツンナール銃弾のPb同位体比は,大きく3つのグループに区分される。1つ目は,日本の恐らく生野[2, 3, 4],明延[3],あるいは多田鉱山[5]周辺の鉛を原料とするグループ,2つ目は,ドイツ国内で武器生産の中心地であったZühl周辺の鉱山(恐らくErzgebirge deposits[6])の鉛を原料とするグループ,3つ目は両産地の原料を混合したようなPb同位体組成を有するグループである。歴史文書記録では,紀州和歌山藩がどこから銃弾用の資源を調達していたか不明であったが,Pb同位体比の分析により,ツンナール銃の発祥地であるドイツからの輸入と近隣鉱山からの鉛資源の自足,さらには原料の混合を行っていた可能性が明らかとなった。
※本研究に際し,2023年度総合地球環境学研究所同位体環境学共同研究「人・モノ・自然」プロジェクトにおけるPb同位体分析値を一部使用した。
引用文献
[1] Aizawa, M. et al. (2022), J. Archaeol. Sci. Rep., 41, 103268.
[2] 佐々木昭ほか(1982), 鉱山地質, 32, 457-474.
[3] 馬淵久夫・平尾良光(1987), 考古学雑誌, 73, 199-210.
[4] Ishida, M. et al. (2024), Geochemistry, 84, 126045.
[5] 中西哲也ほか(2015), 資源・素材学会講演要旨集.
[6] Niederschalg, E. et al. (2003), Archeometry, 45, 61-100.
歴史的な金属遺物中に含まれるPb同位体比の分析は,その遺物や原料の産地推定を行う上で強力なツールである。著者らは,江戸時代末の戊辰戦争,および明治時代初期の西南戦争で使用された銃弾のPb同位体分析を行い,約半数の銃弾が外国産,残り半数の銃弾が日本産の鉛を原料としていることを明らかとした[1]。
しかし,上述の研究[1]では,外国産の鉛についてイギリス産とドイツ産をPb同位体比では明瞭に識別することができず,銃器の輸入記録などの歴史的な背景に基づいて,銃弾もイギリス産だろうと仮定している。しかし,ドイツの鉱工業や軍事システムは19世紀中葉ごろから興隆し,1864年の第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争(対デンマーク),1866年の普墺戦争(対オーストリア),1870年の普仏戦争(対フランス)に勝利するなど,戊辰戦争~西南戦争前後の年代には既に,鉱工業および軍事の覇権はイギリス一強とは言い難い状況であった。そこで本研究では,1836年にプロイセン王国で開発されたツンナール銃について,日本で使用された銃弾のPb同位体比分析を行い,ドイツ産鉛資源のPb同位体比の特徴について検討した。
ドイツ発祥の銃器 ―ツンナール銃について―
世界発の後装式ボルトアクション銃であるツンナール銃(ドライゼ銃,撃針銃とも)は,1836年に当時新興国家であったプロイセン王国において開発された。本銃を装備したプロイセン軍が対デンマーク戦,および対オーストリア戦において勝利を収めたことにより,本銃の撃発機構の先進性が国際的に認知された。日本でも,戊辰戦争直後の兵制改革に際し,紀州和歌山藩がプロイセン王国の下士官であったカール・ケッペンを招き,ツンナール銃の製造法,並びに部隊運用の指導を受けたとの記録が残る。ただし,ツンナール銃は,薬莢の構造および銃身の密閉性に問題があり,1870年代には既に旧式化していた。
日本における本銃の実戦投入は,1877年の西南戦争である。物資に窮乏していた西郷軍に対し,物量の優勢によって政府軍が勝利したとの文脈で説明されることの多い西南戦争であるが,当時の陸軍制式小銃であったスナイドル銃弾の製造能力については,政府軍側も不十分であり,前線以外の部隊では旧式のツンナール銃を装備している例がいくつか確認されており,大分・宮崎周辺の西南戦争関連遺構からの出土がある。
Pb同位体比分析
ツンナール銃弾は,当時主流だったエンフィールド銃やスナイドル銃などの中空型の弾頭とは異なり,独特な弾頭形状を示す(図)。これらの銃弾の表面に形成されている炭酸鉛錆を純水で湿らせた綿棒で拭い,実験室内で溶解してPbを抽出した。抽出したPb溶液に同位体分別補正のためのTlを添加し,総合地球環境学研究所,および琉球大学理学部のMC-ICP-MS(Thermo Scientific, Neptune Plus)によってPb同位体比を測定した。
日本のいくつかの地域から出土したツンナール銃弾のPb同位体比は,大きく3つのグループに区分される。1つ目は,日本の恐らく生野[2, 3, 4],明延[3],あるいは多田鉱山[5]周辺の鉛を原料とするグループ,2つ目は,ドイツ国内で武器生産の中心地であったZühl周辺の鉱山(恐らくErzgebirge deposits[6])の鉛を原料とするグループ,3つ目は両産地の原料を混合したようなPb同位体組成を有するグループである。歴史文書記録では,紀州和歌山藩がどこから銃弾用の資源を調達していたか不明であったが,Pb同位体比の分析により,ツンナール銃の発祥地であるドイツからの輸入と近隣鉱山からの鉛資源の自足,さらには原料の混合を行っていた可能性が明らかとなった。
※本研究に際し,2023年度総合地球環境学研究所同位体環境学共同研究「人・モノ・自然」プロジェクトにおけるPb同位体分析値を一部使用した。
引用文献
[1] Aizawa, M. et al. (2022), J. Archaeol. Sci. Rep., 41, 103268.
[2] 佐々木昭ほか(1982), 鉱山地質, 32, 457-474.
[3] 馬淵久夫・平尾良光(1987), 考古学雑誌, 73, 199-210.
[4] Ishida, M. et al. (2024), Geochemistry, 84, 126045.
[5] 中西哲也ほか(2015), 資源・素材学会講演要旨集.
[6] Niederschalg, E. et al. (2003), Archeometry, 45, 61-100.