09:45 〜 10:00
[MIS24-03] 地震による富士塚の被災について
キーワード:富士塚、地震災害、修復碑、文化財、構造分類、保存
富士塚とは
現在まで様々な人たちにより受け継がれてきている富士山信仰は、江戸時代に富士講という民間山岳信仰の宗教組織を生み出した。富士信仰とは、富士山に対する畏敬の念を持ち、富士山の麓での祭祀、あるいは富士山を遙拝、修験道としての登山など(登拝)をすることで、山の持つ霊力を自身に受け入れ、諸病平癒、無病息災、旅行安全、良縁子授け安産など庶民の願いの拠り所とした信仰形態である。江戸期後半、登拝などを含む互助組織である富士講は、食行身禄や村上光清により急速に発展した。しかし、徒歩で遠方の富士山まで出向き登るという行為は個人で行うには経済的や時間的にも困難で、また女性の場合には女人禁制地である富士山に登ることすら許されない時代でもあった。そこで生まれたものが富士山のミニチュアで登拝の代替施設となる富士塚である。
富士塚構造分類と文化財指定
現在、関東地方を中心に本州、四国などに残る富士塚は、その構造から大きく5種類に分類できる。 (1)黒ボクと呼ばれる溶岩ブロックや砂利などの岩石を積み上げて造られたもの、 (2) 土を積み上げて造られたもの、(3)土と黒ボク(岩石)を混ぜて造られたもの、(4)コンクリートで造られたもの、(5)古墳や自然の地形を利用したものである。また、建築年代、構造、規模、景観などが優れ、保存会や富士講があり、現在も年中行事が行われている富士塚の中には、国や地方自治体の有形民俗文化財に指定されているものもある。
富士塚の地震被害例と修復碑
多くの構造物に損傷をもたらす被害地震は、富士塚が構築始められた江戸期以降においても発生している。被害の状況は、被害の修復後に富士塚に設置された修復碑や近代では地震被害報告書あるいは修復報告書に記載されているものもある。被害の様相は、①山体の崩壊、②山体亀裂、③被覆構造物、設置されている石造物や礼拝物などの祭祀施設の崩壊、損傷など多岐にわたる。たとえば志木市にある田子山富士塚修復碑では、明治東京地震(1894)において被災・修復された碑が設置されている。大正関東地震(1923)においては前述の田子山富士塚のほか所沢市にある荒幡富士塚、千駄ヶ谷の鳩森富士塚等で崩壊などの被害が発生し、いくつかの修復碑には被害の状況が記載されたものもある。東北地方太平洋沖地震(2011)で被災した富士塚の被害について被害の状況や修復にかかった費用が国や自治体、民間の報告や報道で記録されている。
本研究における研究の方向性と課題
祭祀施設である富士塚は、文化財としての保存活用あるいは土木構造物側面も持っており、その構築法や耐震性などについて検討理解することは、保存活用あるいは防災面で必要になる。ところが構造物としての調査が行われていないのが現状である。特に富士塚の強度特性や耐震性についてはほとんどの富士塚で調査・検討は行われていない。一方富士塚の立地個所は、都市化が進むとともに周辺に人家が増え地震時に隣接家屋被害や人的被害を及ぼす可能性が生じた塚もある。文化財の特性や防災を踏まえた早急な調査・対策が必要である。今後これらの点を踏まえた富士塚の地震被害原因特定や被害事例の収集、文化財特性を踏まえた調査手法の構築、対策法の方向性の確立を進めてゆく。
参考・引用文献
1)各富士塚の修復碑文 2)震災予防調査会報告3(1895) 3)田子山富士塚管理計画書(2015)、羽田神社富士塚保存修理報告書(2022)十条台遺跡群Ⅲ (2023)など
現在まで様々な人たちにより受け継がれてきている富士山信仰は、江戸時代に富士講という民間山岳信仰の宗教組織を生み出した。富士信仰とは、富士山に対する畏敬の念を持ち、富士山の麓での祭祀、あるいは富士山を遙拝、修験道としての登山など(登拝)をすることで、山の持つ霊力を自身に受け入れ、諸病平癒、無病息災、旅行安全、良縁子授け安産など庶民の願いの拠り所とした信仰形態である。江戸期後半、登拝などを含む互助組織である富士講は、食行身禄や村上光清により急速に発展した。しかし、徒歩で遠方の富士山まで出向き登るという行為は個人で行うには経済的や時間的にも困難で、また女性の場合には女人禁制地である富士山に登ることすら許されない時代でもあった。そこで生まれたものが富士山のミニチュアで登拝の代替施設となる富士塚である。
富士塚構造分類と文化財指定
現在、関東地方を中心に本州、四国などに残る富士塚は、その構造から大きく5種類に分類できる。 (1)黒ボクと呼ばれる溶岩ブロックや砂利などの岩石を積み上げて造られたもの、 (2) 土を積み上げて造られたもの、(3)土と黒ボク(岩石)を混ぜて造られたもの、(4)コンクリートで造られたもの、(5)古墳や自然の地形を利用したものである。また、建築年代、構造、規模、景観などが優れ、保存会や富士講があり、現在も年中行事が行われている富士塚の中には、国や地方自治体の有形民俗文化財に指定されているものもある。
富士塚の地震被害例と修復碑
多くの構造物に損傷をもたらす被害地震は、富士塚が構築始められた江戸期以降においても発生している。被害の状況は、被害の修復後に富士塚に設置された修復碑や近代では地震被害報告書あるいは修復報告書に記載されているものもある。被害の様相は、①山体の崩壊、②山体亀裂、③被覆構造物、設置されている石造物や礼拝物などの祭祀施設の崩壊、損傷など多岐にわたる。たとえば志木市にある田子山富士塚修復碑では、明治東京地震(1894)において被災・修復された碑が設置されている。大正関東地震(1923)においては前述の田子山富士塚のほか所沢市にある荒幡富士塚、千駄ヶ谷の鳩森富士塚等で崩壊などの被害が発生し、いくつかの修復碑には被害の状況が記載されたものもある。東北地方太平洋沖地震(2011)で被災した富士塚の被害について被害の状況や修復にかかった費用が国や自治体、民間の報告や報道で記録されている。
本研究における研究の方向性と課題
祭祀施設である富士塚は、文化財としての保存活用あるいは土木構造物側面も持っており、その構築法や耐震性などについて検討理解することは、保存活用あるいは防災面で必要になる。ところが構造物としての調査が行われていないのが現状である。特に富士塚の強度特性や耐震性についてはほとんどの富士塚で調査・検討は行われていない。一方富士塚の立地個所は、都市化が進むとともに周辺に人家が増え地震時に隣接家屋被害や人的被害を及ぼす可能性が生じた塚もある。文化財の特性や防災を踏まえた早急な調査・対策が必要である。今後これらの点を踏まえた富士塚の地震被害原因特定や被害事例の収集、文化財特性を踏まえた調査手法の構築、対策法の方向性の確立を進めてゆく。
参考・引用文献
1)各富士塚の修復碑文 2)震災予防調査会報告3(1895) 3)田子山富士塚管理計画書(2015)、羽田神社富士塚保存修理報告書(2022)十条台遺跡群Ⅲ (2023)など