17:15 〜 19:15
[MIS24-P08] 歴史史料から復元した北埼玉・埼葛地域の近世以降における洪水氾濫特性と地形との関係
埼玉県北東部(北埼玉・埼葛地域)は,関東造盆地運動による沈降域にあり,江戸・明治時代まで河川改修が何度も行われるほど利根川からの甚大な外水氾濫被害を受けてきたが,昭和22年のカスリーン台風による水災害以降,利根川からの外水氾濫被害が無い.近年,進行する気候変動により,短時間強雨(50 mm/h以上)年間発生回数や氾濫危険水位を超過した河川数が増加傾向にあるため,水災害の激甚化・頻発化を懸念されている.
過去の水害の状況を明らかにすることが今後の洪水被害の低減に有効なソフト対策になると考え,本研究目的を利根川からの破堤により,埼玉県北部から東部にわたる北埼玉・埼葛地域に被害を与えた弘化3年(1846)水害,明治23年(1890)水害について歴史資料から読み取った情報を地理空間情報化し,氾濫状況と地形との関係を検討し,北埼玉・埼葛地域における洪水氾濫特性について明らかにすることとした.
研究手法として,研究対象地域である埼玉県埼葛・北埼玉地域における洪水に関する史料を郷土資料館等に赴いて収集を行い,史料から得られた洪水被害情報から地名や時間情報を抽出し,時間経過に伴う氾濫流の挙動や被害状況を地理空間情報にまとめた.また,水塚の数,高さ等のデータを処理し,地理空間情報にまとめた.これらの情報を地形情報等のデータと重ね合わせることで,氾濫流の挙動や被害状況と地形との関係を検討した.
歴史史料より得られた情報から弘化3年水害と明治23年水害の氾濫流の挙動を推定した.弘化3年水害と明治23年水害の主な破堤箇所は,利根川曲流部の攻撃斜面側と荒川左岸にあたり,両河川からの氾濫流は,旧流路に沿って東京湾に向かって流下したことが分かった.また,排水能力を上回る増水により,島川や庄内古川といった旧河道を逆流して破堤を引き起こすことが分かった.弘化3年の庄内古川の締切部から破堤した氾濫流は,標高に逆らい北方向にも流れたことが分かり,これは庄内古川の旧河道や新田開発された複数の沼跡といった低地に沿って流れたと考えられる.
明治23年水害の見沼用水からの氾濫流は自然堤防,河畔砂丘が発達した利根川旧流路の会の川を境に東部に被害が見られず,弘化3年,明治23年水害時の古利根川左岸においても河畔砂丘東部の被害が無いことから,自然堤防や河畔砂丘といった微高地が氾濫流を妨げる効果があると考えられる.弘化3年の浸水域を示したかわら版においても,同様に庄内古川締切部の氾濫流が自然堤防に沿うように止まった痕跡が見られた.
水塚の大字ごとの数を見ると,特定の地域に多く分布していることが分かった.羽生市および久喜市南西部では台地上に水塚が築かれており,関東造盆地運動による沈降によって台地と氾濫平野の比高が小さいため,台地上でも氾濫流の被害を受ける可能性があったと考えられる.また,久喜市南西部は元荒川が流れる大宮台地の北部にあたり,台地の狭さく部のため,氾濫水が溜まりやすい地域と考えられる.
本研究は茨城大学地球・地域環境共創機構(GLEC)の助成を受けたものである.
過去の水害の状況を明らかにすることが今後の洪水被害の低減に有効なソフト対策になると考え,本研究目的を利根川からの破堤により,埼玉県北部から東部にわたる北埼玉・埼葛地域に被害を与えた弘化3年(1846)水害,明治23年(1890)水害について歴史資料から読み取った情報を地理空間情報化し,氾濫状況と地形との関係を検討し,北埼玉・埼葛地域における洪水氾濫特性について明らかにすることとした.
研究手法として,研究対象地域である埼玉県埼葛・北埼玉地域における洪水に関する史料を郷土資料館等に赴いて収集を行い,史料から得られた洪水被害情報から地名や時間情報を抽出し,時間経過に伴う氾濫流の挙動や被害状況を地理空間情報にまとめた.また,水塚の数,高さ等のデータを処理し,地理空間情報にまとめた.これらの情報を地形情報等のデータと重ね合わせることで,氾濫流の挙動や被害状況と地形との関係を検討した.
歴史史料より得られた情報から弘化3年水害と明治23年水害の氾濫流の挙動を推定した.弘化3年水害と明治23年水害の主な破堤箇所は,利根川曲流部の攻撃斜面側と荒川左岸にあたり,両河川からの氾濫流は,旧流路に沿って東京湾に向かって流下したことが分かった.また,排水能力を上回る増水により,島川や庄内古川といった旧河道を逆流して破堤を引き起こすことが分かった.弘化3年の庄内古川の締切部から破堤した氾濫流は,標高に逆らい北方向にも流れたことが分かり,これは庄内古川の旧河道や新田開発された複数の沼跡といった低地に沿って流れたと考えられる.
明治23年水害の見沼用水からの氾濫流は自然堤防,河畔砂丘が発達した利根川旧流路の会の川を境に東部に被害が見られず,弘化3年,明治23年水害時の古利根川左岸においても河畔砂丘東部の被害が無いことから,自然堤防や河畔砂丘といった微高地が氾濫流を妨げる効果があると考えられる.弘化3年の浸水域を示したかわら版においても,同様に庄内古川締切部の氾濫流が自然堤防に沿うように止まった痕跡が見られた.
水塚の大字ごとの数を見ると,特定の地域に多く分布していることが分かった.羽生市および久喜市南西部では台地上に水塚が築かれており,関東造盆地運動による沈降によって台地と氾濫平野の比高が小さいため,台地上でも氾濫流の被害を受ける可能性があったと考えられる.また,久喜市南西部は元荒川が流れる大宮台地の北部にあたり,台地の狭さく部のため,氾濫水が溜まりやすい地域と考えられる.
本研究は茨城大学地球・地域環境共創機構(GLEC)の助成を受けたものである.