日本地球惑星科学連合2025年大会

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[J] 口頭発表

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[M-ZZ41] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2025年5月26日(月) 15:30 〜 17:00 コンベンションホール (CH-A) (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:矢島 道子(東京都立大学)、青木 滋之(中央大学文学部)、山田 俊弘(大正大学)、山本 哲、座長:青木 滋之(中央大学文学部)、山田 俊弘(大正大学)

16:45 〜 17:00

[MZZ41-12] 和達ベニオフ帯の人物模様

*石渡 明

キーワード:和達ベニオフ帯、リチャード・ミーハン 原子力と断層、上田誠也 新しい地球観、フランク・プレス ベニオフ追悼文、ベニオフ以前に日本の地質学者が深発地震帯逆断層説

石渡(2025, https://geosociety.jp/faq/content1183.html)は、Hugo Benioff (1949; Bull. GSA, 60, 1837-1856)以前に江原眞伍らが太平洋下の岩盤の日本列島下への沈み込みと海溝の形成との関係を議論したことを指摘した。鈴木尉元他(2003, 日本地質学会静岡大会要旨p.196)は「和達からベニオフまでの深発地震の研究史」をまとめたが、今回は和達ベニオフ帯の人物模様を見る。
 Meehan (1984)の ”The Atom and the Fault” (MIT Press(販売中)、紹介文:https://geosociety.jp/faq/content0859.html)のp.57に「1920年代、ベニオフが日本から戻ってきた時、地震係数0.1 g (水平加速度約100ガル)の地震力を仮定して設計された建築物は伝統的な建物より1923年の破滅的な地震(関東大震災)によく耐えたという知見をもたらした。これ以後、カリフォルニアの建築構造指針はより強固な設計を要求するようになり、地震動による完全な崩壊に対して最小限の抵抗力を持たせるようになった」とある。ベニオフ青年の来日は未確認だが、0.1 g や日本の地震の記述はBenioff (1934, Bull. Seis. Soc. Am.,24, 398-403) にもある。Meehanのp. 43ではカリフォルニアで唯一稼働中のDiablo Canyon原発につき、「カル・テックの地震学者ベニオフの勧めに従い、プラントは原子炉直下で発生するM6.75の地震による強震動に耐えるよう設計された」とあり、その後、5km沖合のHosgri断層によるM8.5の地震や原子炉から600mに発見された海岸線断層の地震も考慮された。Malibu原発については、M7.25の直下地震を想定すべきと主張し、この候補地からの撤退の一因になった(p. 41)。このように、ベニオフは原発を含むカリフォルニアの耐震設計の向上に貢献した。なお、この本には「日本人が米国の輸出用原発について安全対策が過剰だと述べた」という記述もあり(p. 2)、残念である。彼は地震計や伸縮計の改良・開発に尽力したほか、趣味でピアノ等の電子楽器を開発した。地震は地球が発する音であり、彼は音を聞くこと全般に長けていたとの評価がある。
 ところで、Wadati-Benioff zoneという語を提案したのはUyeda (1978, “The New View of the Earth: Moving Continents and Moving Oceans”, Freeman)である。この本は上田(1971)の岩波新書「新しい地球観」(副題なし)の英訳で、訳者は大貫昌子である(現在は東海大学レボジトリーから無料ダウンロード可)。この本は英訳が非常に優れていて、米国や世界各国で広く読まれ、19カ国語に翻訳されたという。Frohlich (1987, JGR, 92(B13), 13,777-13,788)は上田 (1971)がWadati-Benioff zoneという語を示唆したと述べたが、元の岩波新書にその語はない。一方、Benioff zoneという語はDickinson and Hatherton (1967; Science, 157, 801-803)が初出とされる(Frohlich)。和達(1981 (当時79歳), 地震, 34, 特別号「日本の地震学100年」, 180-184)は、「この面(層)がWadati-Zoneと呼ばれることもあり恐縮である」と述べたが、実際米国でその提案があり(上田, 1971, p.135)、Glossary of Geologyの見出し語にもある。
 ベニオフは1968年に死去し、Frank Press (1973)がNational Academy of ScienceにBiographical Memoirを書いた。このプレスにつき、竹内均(1969;「地球の構成 増補版」, 岩波, p.20)が面白いことを述べた。「プレスは1925年の生まれ、…1957年グーテンベルクの後をおそってパサデナにあるカリフォルニア工科大学地震研究所の所長に就任した時には、その若さに一同目をみはったという。…観測、実験、理論から社交、政治にいたるまで、ゆくとして可ならざるはない。これから先数十年アメリカの地球物理界を指導する人物であろう」。プレスは2020年に95歳で死去したが、カーターら4人の米大統領の顧問になったり、中国で鄧小平に会い米国への留学生受け入れの地ならしをしたり、日本国際賞(Japan Prize, 1993年,「近代地震学の発展並びに災害科学における国際活動の推進」)を受けたり(MIT News, 2020年2月7日号)、竹内の見立て通り世界的大活躍の人生だった。
 このように、ベニオフという人の生きざまを知り、世界的大活躍の後継者による追悼文を読むと、米国人が深発地震帯をベニオフの名で呼ぶことは理解できる。しかし、日本人地質学者がベニオフより前に深発地震帯の意義を議論していたことは事実であり、学問的な先取権の問題は検討が必要だと思う。