日本地球惑星科学連合2025年大会

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[O-05] 変動帯の地質と文化

2025年5月25日(日) 10:45 〜 12:15 展示場特設会場 (5) (幕張メッセ国際展示場 7・8ホール)

コンビーナ:鈴木 寿志(大谷大学)、川村 教一(兵庫県立大学大学院 地域資源マネジメント研究科)、先山 徹(NPO法人地球年代学ネットワーク 地球史研究所)、座長:川村 教一(兵庫県立大学大学院 地域資源マネジメント研究科)、鈴木 寿志(大谷大学)

10:45 〜 11:10

[O05-05] 京都はなぜ都になれたのか

★招待講演

*藤岡 換太郎1、原田 憲一 (1.国立大学法人静岡大学防災総合センター)

キーワード:京都、都、扇状地、三角州

要旨
京都がなぜ都になり、1000年間も都であり続けたのかを地球科学的な見地から検討した。その結果、かつて都であった奈良・京都および当時は大都市であった大坂・江戸との本質的な違いが何かについて、地球科学的な解答を得た。京都は扇状地であったために各種資源に恵まれ、長い間都として存続できた。一方、江戸は三角州であったため資源に恵まれず、そのために手工業が発達せず都になれなかった。

都の立地条件
天皇の居住地が都ですが、都が成り立つための地球科学的な条件として以下を考えました。①平坦で広い場所(土地)である、②地表に水が豊富にある、③土地の生産性が高い、④良質な地下水がある、⑤水はけのよい地面がある、⑥交通(陸路・水路)の要衝である、⑦天然の要害である、⑧地震に強い固い地盤がある、⑨山紫水明である、などです。

度重なる遷都の理由
平安京以前の都は飛鳥京、大津京、明日香浄御原京、藤原京、平城京、恭仁京、難波京、紫香楽京、平城京、長岡京と近畿地方で転々と変遷しています。原因は主に陰陽師による占いの結果や兄弟の骨肉の争いや、疫病の流行、などが考えられてきましたが、地球科学的にはどうでしょう。
奈良の都(飛鳥、藤原、平城京)はどこも比較的平坦ですが、水資源に制約があります。大津京は琵琶湖西岸断層の斜面にできた崖錐扇状地が南北に細長く連なっている地域で、平坦地がないために短命な都でした。紫香楽京も同様に狭くてやや斜面に作られました。恭仁京は、水回りは木津川があってよかったのですが、御所や貴族の邸宅、寺社などを建てるには面積が不足でした。
大阪の難波京は近くに難波津という港があって交通の便はよかったものの、港が淀川や大和川から運ばれた土砂によって埋め立てられたために港としての機能は早々に失われました。また大阪湾の高潮や津波の被害も受けました。
長岡京は、平城京に積もった怨念から逃れるために京都へ移ったと考えられていました。長岡京は平坦で、土地も広かったのですが、桂川と巨椋池の度重なる洪水に悩まされ平安京へと移らざるを得なかったのです。
こうして見ると上に挙げた条件をすべて満たしている平安京が、地球科学的に一番有利であったことが読み取れます。
平安京は南北5.2㎞、東西4.5㎞の正方形に近い都で、鴨川、高野川、桂川が都の中を流れていて、複合扇状地を作っています。そのために土地は水はけが良く、地下水も豊富でした。扇状地は砂礫層が主体なので地震になっても液状化や地盤沈下などは起こりにくいのです。河川の規模も小さいので洪水の範囲も限定的です。一方、海に面した三角州は含水率の高い泥質の沖積層が主体なので、地震によって液状化や地盤沈下などが生じ、河川が氾濫すると被害は広範囲に及びます。
以上に加えて、平安京には、風水でいう四神は、青竜が鴨川、白虎が松尾大社、朱雀が神泉池、玄武が船岡山、とすべて揃っていました。鬼門に当たる比叡山には延暦寺が建てられ、風水の観点からも平安京は万全だったと言えます。

多くの地球科学的条件のそろった平安京
もう一つ都に必要なことは先端的な文物を通じた文化の発信です。京都では、金細工、絹織物、染め物、陶器、漆器、仏像や仏壇、木工品、竹細工、庭園、酒、料理などが平安時代から特産品になっています。そして明治維新まで常に最高級品の生産地であり続けていたのです。
こうした物品を製造するには資源が不可欠です。幸い扇状地は良質の河川水と地下水に恵まれています。森林、岩石・鉱物、陶土などの資源は京都三山に豊富にあります。また希少な金銀、銅、水銀、生糸などは水運と陸路を使って、遠く西は山口県の美祢や北は岩手県の平泉からも運ばれてきました。
 これに対して三角州に発達した江戸・大坂には天然資源はほとんどありません。良質な地表水も地下水もないので、染色業や醸造業は発達しません。山から遠くて木材や岩石・鉱物などの資源も入手は困難なため木工業や窯業も発達しません。

結論
奈良・京都と大坂・江戸の本質的な違いは立地にあったのです。奈良・京都が立地する扇状地と大坂・江戸が立地する三角州では、資源(水、森林、鉱物・岩石など)の賦存状況と地盤の性質が大きく違っていて、それが文化のあり方に大きく影響していたからです。京都は扇状地であったために都として立地し、1000年もの間都として存続できました。これに対して三角州にあった江戸は都にはなれなかったのです。