14:15 〜 14:45
[O09-02] 令和6年能登半島地震と白山手取川ユネスコ世界ジオパーク-何ができて何ができなかったのか-
★招待講演
キーワード:白山手取川ユネスコ世界ジオパーク、能登半島地震
【はじめに】
2024年1月1日に石川県能登半島を震源として発生したMj7.6(Mw7.5)の令和6年能登半島地震(以下,能登半島地震)は,能登地方最大震度7に大きな被害をもたらした.自然災害として石川県に大きな影響をもたらしたことはもちろんのことである.その一方で,この地震は内陸活断層による地震としては明治24(1891)年に発生した濃尾地震(Mj8.0/Mw7.5)以来の大規模地震であり,能登半島北岸では4mを超える海岸隆起が生じたり,沿岸部では津波が発生したり,土砂崩れや液状化も多数発生するなど,「地学的事象」としても注目すべきことが多かった.
内的作用・外的作用のいずれもが活発な日本列島において,地学的事象と人間社会・地域との関係を把握し,社会に発信することは日本のジオパークの役割であることは「島原宣言」で述べた通りである.能登半島地震が発生した能登半島にはジオパークは存在しないが,同じ県内の白山市には白山手取川ユネスコ世界ジオパーク(UGGp)が存在している.本発表では能登半島地震の発生に対して白山手取川UGGpがどのように向き合ったのか報告する.
【地震発生直後の事務局の状況】
白山手取川UGGpが位置する白山市は能登半島地震によって震度5弱を観測したが,顕著な被害は生じなかった.一方で,震源となった能登半島では「高齢化・過疎化が著しいこと」「交通網の寸断により孤立化したこと」「厳冬期であったこと」という条件から域内避難が困難であり,県の判断として広域二次避難が実施された.白山市にも多くの被災者が二次避難をしてきた(24施設・231人/2024年2月1日時点)ことに加え,輪島市の中学生の集団疎開の受け入れも実施した.
受け入れ自治体となった白山市の行政職員は,これらの避難者対応にあたることになった.通常業務を行いながらの災害対応業務となるため,相対的に生活必須職ではない部署の職員が受け入れ対応をすることになり,白山市のジオパーク・エコパーク推進課の職員も災害対応をすることになった.
白山手取川UGGpの地学系専門員は白山市の正規の常勤職員であり,ジオパーク専門員としての行動以前に「白山市職員/公務員」としての職務が求められることになり,地震発生直後に「専門員としての活動」が難しくなったことを指摘する必要があろう.ジオパーク専門員の待遇改善として正規職員化,常勤化が進みつつあることはジオパークの運営の安定性と質的な向上に寄与しているが,その一方で公務員としての職責と専門員としての活動の矛盾が存在することは広く存在する(齋藤 2025MS).全庁的な対応が必要になるレベルの大規模な自然災害が発生した場合,必ずしも被災地直近のジオパークが求められるレベルで対応できるわけではないことを理解しておく必要がある.
【白山手取川UGGpによる対応】
●北陸のジオパークによる共同声明
前述のように対応が難しい状況下にあった2024年2月後半には,白山手取川UGGpとして能登半島地震に対する声明をどのように発表すべきなのかの検討を内部的に始めていた.その後,5月中頃には地震による影響が生じた北陸地域の他のジオパークと連携して共同声明を発表する方向で糸魚川UGGpと調整を開始し,福井,富山,新潟の日本ジオパークと連名で,9月に開催された日本ジオパーク全国大会の下北大会で,白山手取川UGGp推進協議会長である田村白山市長が発表することに至った.
●市民向けの講習会の開催
5月に実施された推進協議会総会で能登半島地震に関する学術委員による講演会が開かれ,主要なステークホルダーへの説明が行われた.2024年12月と25年1月には学術委員による市民向けの連続講演会を開催している.県内大学の研究者が学術委員となっているため,研究者が地震の調査対応に携わることでジオパークに関する活動が制約された面もあるが,日常的に事務局と学術委員が密に連携をとれており,スムースに講演会の開催につなげることができた.
●県による能登半島をジオパークにする構想への対応
石川県の能登半島地震からの復興計画である「創造的復興プラン」の中で,能登半島をジオパーク化することが示されている.白山手取川UGGpはヒアリングに応じたりアドバイスをするなど,県のジオパーク構想に対する側面支援を行うとともに,JGNと県の仲介の役割も担っている.
2024年1月1日に石川県能登半島を震源として発生したMj7.6(Mw7.5)の令和6年能登半島地震(以下,能登半島地震)は,能登地方最大震度7に大きな被害をもたらした.自然災害として石川県に大きな影響をもたらしたことはもちろんのことである.その一方で,この地震は内陸活断層による地震としては明治24(1891)年に発生した濃尾地震(Mj8.0/Mw7.5)以来の大規模地震であり,能登半島北岸では4mを超える海岸隆起が生じたり,沿岸部では津波が発生したり,土砂崩れや液状化も多数発生するなど,「地学的事象」としても注目すべきことが多かった.
内的作用・外的作用のいずれもが活発な日本列島において,地学的事象と人間社会・地域との関係を把握し,社会に発信することは日本のジオパークの役割であることは「島原宣言」で述べた通りである.能登半島地震が発生した能登半島にはジオパークは存在しないが,同じ県内の白山市には白山手取川ユネスコ世界ジオパーク(UGGp)が存在している.本発表では能登半島地震の発生に対して白山手取川UGGpがどのように向き合ったのか報告する.
【地震発生直後の事務局の状況】
白山手取川UGGpが位置する白山市は能登半島地震によって震度5弱を観測したが,顕著な被害は生じなかった.一方で,震源となった能登半島では「高齢化・過疎化が著しいこと」「交通網の寸断により孤立化したこと」「厳冬期であったこと」という条件から域内避難が困難であり,県の判断として広域二次避難が実施された.白山市にも多くの被災者が二次避難をしてきた(24施設・231人/2024年2月1日時点)ことに加え,輪島市の中学生の集団疎開の受け入れも実施した.
受け入れ自治体となった白山市の行政職員は,これらの避難者対応にあたることになった.通常業務を行いながらの災害対応業務となるため,相対的に生活必須職ではない部署の職員が受け入れ対応をすることになり,白山市のジオパーク・エコパーク推進課の職員も災害対応をすることになった.
白山手取川UGGpの地学系専門員は白山市の正規の常勤職員であり,ジオパーク専門員としての行動以前に「白山市職員/公務員」としての職務が求められることになり,地震発生直後に「専門員としての活動」が難しくなったことを指摘する必要があろう.ジオパーク専門員の待遇改善として正規職員化,常勤化が進みつつあることはジオパークの運営の安定性と質的な向上に寄与しているが,その一方で公務員としての職責と専門員としての活動の矛盾が存在することは広く存在する(齋藤 2025MS).全庁的な対応が必要になるレベルの大規模な自然災害が発生した場合,必ずしも被災地直近のジオパークが求められるレベルで対応できるわけではないことを理解しておく必要がある.
【白山手取川UGGpによる対応】
●北陸のジオパークによる共同声明
前述のように対応が難しい状況下にあった2024年2月後半には,白山手取川UGGpとして能登半島地震に対する声明をどのように発表すべきなのかの検討を内部的に始めていた.その後,5月中頃には地震による影響が生じた北陸地域の他のジオパークと連携して共同声明を発表する方向で糸魚川UGGpと調整を開始し,福井,富山,新潟の日本ジオパークと連名で,9月に開催された日本ジオパーク全国大会の下北大会で,白山手取川UGGp推進協議会長である田村白山市長が発表することに至った.
●市民向けの講習会の開催
5月に実施された推進協議会総会で能登半島地震に関する学術委員による講演会が開かれ,主要なステークホルダーへの説明が行われた.2024年12月と25年1月には学術委員による市民向けの連続講演会を開催している.県内大学の研究者が学術委員となっているため,研究者が地震の調査対応に携わることでジオパークに関する活動が制約された面もあるが,日常的に事務局と学術委員が密に連携をとれており,スムースに講演会の開催につなげることができた.
●県による能登半島をジオパークにする構想への対応
石川県の能登半島地震からの復興計画である「創造的復興プラン」の中で,能登半島をジオパーク化することが示されている.白山手取川UGGpはヒアリングに応じたりアドバイスをするなど,県のジオパーク構想に対する側面支援を行うとともに,JGNと県の仲介の役割も担っている.