13:45 〜 15:15
[O11-P62] 縄状溶岩の向きで分かった安永溶岩丘群の分布
キーワード:縄状溶岩、安永溶岩丘群、伊豆大島
目的
我々は伊豆大島に行きフィールドワークを行った。その中で安永溶岩丘群付近を散策していた時に奇妙な溶岩を発見した。その溶岩は二つのシワの向きがそれぞれ逆方向に向いている溶岩だった。そこで、我々は周囲に広がる他の縄状溶岩に付いて調査を行いシワの向きが逆行した溶岩が形成された過程を明らかにしようとした。
安永溶岩について
この丘群はその名の通り江戸時代の安永期に形成された。そして三原山北西麓から溶岩流が噴出したことで形成されたことが特徴の溶岩丘群。
調査方法
以下の5項目に関して調査を行った。
位置:実際に縄状溶岩が目の前にある状態で位置情報が示された地図(赤色立体地図)で確認した。
流れ、向き:傾斜と方角が測定できるアプリが搭載されているスマートフォンをその溶岩と平行になるように置き測定した。
全長:溶岩の進行方向前方の凸部分と最後尾の凸部分の長さを巻き尺あるいは折尺を用いて測定を行った。
シワの数:自分たちが確認できる範囲で溶岩の凸部分を数えた。
このようにして今回は逆行溶岩含め計37か所の縄状溶岩を測定することができた。
結果
溶岩丘の斜面に位置していた縄状溶岩はそのまま斜面に沿って上から下へと流れていることが分かった。一方で、比較的平坦な土地(ここでは実際に我々の目で確認したとき又は赤色立体地図で見たときにあからさまに溶岩丘の斜面ではないところと位置付けている)に位置している溶岩は流れの向きはバラバラであった。ちなみにシワの向きが逆行した溶岩も位置的に見てこちら側の溶岩に含まれる。
考察
比較的平坦な場所に位置する溶岩は一見すると一貫性がなさそうに見える。しかし、平坦な土地といえども僅かな高低差はありそれに影響しうるのではないかと考えた。逆行溶岩もこの高低差によって形成されたのではないかと考えた。
フィールドワーク後も我々は安永溶岩丘群についての資料や有識者の方などから話を伺った。その結果、既にある研究で丘群の形成過程、そして溶岩塚の割れ目から出た溶岩が縄状溶岩を形成しているという事が知られていることが分かった。しかし、その数や範囲まで言及したものは見つけることができなかった。今回の我々の調査によって、具体的に縄状溶岩の数や向きを調べたことで、1か所の溶岩丘の表面には少なくとも20箇所の小規模な溶岩が流れていたことを今回の我々のフィールドワークでの調査及び赤色立体地図で視覚的に示し明らかにしたと言える。
今後の展望
我々は伊豆大島での調査後、さらに「安永の噴火絵図」という古地図に注目した。この地図は、1917年(大正6年)ごろ大島の役場から発見されたもので、作者不明、制作年代不明だが伊豆大島の全体図の中に安永の大噴火の様子が描かれたものである。ただ波浮港が海とつながり、湾内に船が浮かんでいることから港として完成後の1800年以降に描かれたものと考えられている。この古地図の中には安永溶岩丘群と思わしきものが書かれている。今後は縄状溶岩の調査範囲を拡大していき、この古地図との関係を明らかにしたいと思う。
我々は伊豆大島に行きフィールドワークを行った。その中で安永溶岩丘群付近を散策していた時に奇妙な溶岩を発見した。その溶岩は二つのシワの向きがそれぞれ逆方向に向いている溶岩だった。そこで、我々は周囲に広がる他の縄状溶岩に付いて調査を行いシワの向きが逆行した溶岩が形成された過程を明らかにしようとした。
安永溶岩について
この丘群はその名の通り江戸時代の安永期に形成された。そして三原山北西麓から溶岩流が噴出したことで形成されたことが特徴の溶岩丘群。
調査方法
以下の5項目に関して調査を行った。
位置:実際に縄状溶岩が目の前にある状態で位置情報が示された地図(赤色立体地図)で確認した。
流れ、向き:傾斜と方角が測定できるアプリが搭載されているスマートフォンをその溶岩と平行になるように置き測定した。
全長:溶岩の進行方向前方の凸部分と最後尾の凸部分の長さを巻き尺あるいは折尺を用いて測定を行った。
シワの数:自分たちが確認できる範囲で溶岩の凸部分を数えた。
このようにして今回は逆行溶岩含め計37か所の縄状溶岩を測定することができた。
結果
溶岩丘の斜面に位置していた縄状溶岩はそのまま斜面に沿って上から下へと流れていることが分かった。一方で、比較的平坦な土地(ここでは実際に我々の目で確認したとき又は赤色立体地図で見たときにあからさまに溶岩丘の斜面ではないところと位置付けている)に位置している溶岩は流れの向きはバラバラであった。ちなみにシワの向きが逆行した溶岩も位置的に見てこちら側の溶岩に含まれる。
考察
比較的平坦な場所に位置する溶岩は一見すると一貫性がなさそうに見える。しかし、平坦な土地といえども僅かな高低差はありそれに影響しうるのではないかと考えた。逆行溶岩もこの高低差によって形成されたのではないかと考えた。
フィールドワーク後も我々は安永溶岩丘群についての資料や有識者の方などから話を伺った。その結果、既にある研究で丘群の形成過程、そして溶岩塚の割れ目から出た溶岩が縄状溶岩を形成しているという事が知られていることが分かった。しかし、その数や範囲まで言及したものは見つけることができなかった。今回の我々の調査によって、具体的に縄状溶岩の数や向きを調べたことで、1か所の溶岩丘の表面には少なくとも20箇所の小規模な溶岩が流れていたことを今回の我々のフィールドワークでの調査及び赤色立体地図で視覚的に示し明らかにしたと言える。
今後の展望
我々は伊豆大島での調査後、さらに「安永の噴火絵図」という古地図に注目した。この地図は、1917年(大正6年)ごろ大島の役場から発見されたもので、作者不明、制作年代不明だが伊豆大島の全体図の中に安永の大噴火の様子が描かれたものである。ただ波浮港が海とつながり、湾内に船が浮かんでいることから港として完成後の1800年以降に描かれたものと考えられている。この古地図の中には安永溶岩丘群と思わしきものが書かれている。今後は縄状溶岩の調査範囲を拡大していき、この古地図との関係を明らかにしたいと思う。
