日本地球惑星科学連合2025年大会

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS11] 強震動・地震災害

2025年5月30日(金) 17:15 〜 19:15 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 7・8ホール)

コンビーナ:久保 久彦(国立研究開発法人防災科学技術研究所)、友澤 裕介(鹿島建設)

17:15 〜 19:15

[SSS11-P26] 南海地震は何か変?

*山中 佳子1 (1.名古屋大学大学院環境学研究科)

キーワード:昭和南海地震、安政南海地震

歴史地震史料から震度や津波高を推定し,地図上に表示することで歴史地震の特徴をとらえてきた.しかし震度や津波高の推定は研究者の考え方の違いのために大きく異なることもある.また震度や津波高のように数値化できない情報もたくさん史料には含まれている.それらも含めて地震の特徴を抽出するため,史料そのものをGISを使って史料の面的整理を行っている.これまでに,三重県における宝永地震と安政東海地震での津波到来時間の違いを指摘し,破壊したアスペリティの違いについて検討してきた(山中, 2022).
現在和歌山県の南部の史料整理を行っている.そこでの紀伊半島南部(印南町以南)の揺れについて報告する.
●昭和南海地震の紀伊半島南部の被害状況
昭和南海地震では,和歌山県内で死者195人,全壊家屋2442軒などの甚大な被害(紀州災異誌続,1955)が出た.紀伊半島南部では地殻変動も観測されており,南端では隆起していることから,断層は紀伊半島に及んでいたことがわかる.また津波到来も紀伊半島南部では数分後に到着しており,半島南部にかなり近いところで破壊が起こった事が推測される.
この地震については多くの体験談が残っている.そこに書かれた状況をみると,印南町や芳養町,すさみ町,串本町では震源域に近いにもかかわらず,地震の揺れの被害はほとんどない.揺れは大きく長く続いたことが書かれている.早朝4時19分過ぎに起きた地震のため寝ていた人が多いが,寝間着を着替えて避難するなど家の中の被害もそれほど大きくなさそうである.気象庁の震度をみても震度4~5程度である.しかしその後すぐに町が壊滅的になるような大きな津波が来ている.中には安政南海地震より高い津波がきたと言っている人もいる.あくまで感覚なので実際にはわからないが,羽鳥(1980)によると,紀伊半島南部では安政南海地震と同程度の津波であったとされている.紀州災異誌続(1955)にも「災害は地震動そのものによる直接被害は少なく,津波による被害がはるかに大きい」と指摘されている.
●安政南海地震の紀伊半島南部の被害状況
 宇佐美(1984)による紀伊半島南部の震度は4~5である.田辺や新宮など地盤の悪い地域のみ震度6となっていて,昭和南海地震同様,安政南海地震でも震度は大きくない.従って被害に関する記述も少なく,高い石垣にひび割れができた程度である.この地震でも低地域での津波被害は大きいが,すさみから串本にかけては標高がやや高いため津波の被害にあっていないところが多い.そういった地域について玉置善右衛門記録では「無事」と記載している.もし揺れによって家が倒壊していれば「無事」とは報告しないであろう.そう考えるとやはり安政南海地震でも紀伊半島南部の揺れによる被害は小さいと考えられる.
●考察
 これまで三重県における安政東海,昭和東南海の被害状況を調べてきたが,震源に近い地域では揺れによる家屋倒壊など多くの被害が出ていた.それに比べると,昭和南海地震は震源が近いにもかかわらず揺れによる被害が少ない.安政南海地震については,震源域の場所の特定はできていないが,揺れと津波の被害の傾向は昭和南海地震によく似ている.
要因としては,①大きなすべり域が紀伊半島から遠い.②紀伊半島南部でのすべりが小さい.③長周期成分が卓越した地震であった.などが考えられる.Murotani et al. (2014)をみるとアスペリティは紀伊半島から遠い紀伊水道沖にある.ただしこの場所は海底地殻変動データから示された現在歪みをためている場所(Yokota et al., 2016)とはずれている.またこの海域では海山の存在,VLFEが発生するなど,足摺沖や東南海の巨大固着域の周辺とは違った状況にある.今回は史料から安政南海地震,昭和南海地震とも紀伊半島南部の揺れが小さいが津波の被害は大きいことを確認した.今後この原因について検討したい.