日本地球惑星科学連合2025年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS14] 活断層と古地震

2025年5月26日(月) 09:00 〜 10:30 展示場特設会場 (6) (幕張メッセ国際展示場 7・8ホール)

コンビーナ:小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、矢部 優(産業技術総合研究所)、大橋 聖和((国研)産業技術総合研究所)、楮原 京子(山口大学)、座長:小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、楮原 京子(山口大学)

09:15 〜 09:30

[SSS14-02] 古代の地震の震央とマグニチュード

*纐纈 一起1中村 亮一2 (1.慶應義塾大学SFC研究所、2.中村地震調査技術士事務所)

キーワード:歴史地震、震度、震央、マグニチュード

被害地震総覧(総覧)に記載された歴史地震の震央やマグニチュード(M)は理科年表等に広く採用されているが,それらの値がどのように決められたかは明示的に書かれていない.宇佐美(1966)や宇津(2001)によれば,総覧の1975年初版にはKawasumi(1951,以下K1951)が決めた値が採用されているとのことだったが,そこにも震度データを用いるということ以外に具体的な決定方法は書かれていなかった.一方で,総覧においてK1951等の値から変更する場合にはその理由が本文に書かれており,それが方法の説明になっていることがある.

たとえば,震央の値がある最古の679年地震では,その値がK1951において130.4°E,32.7°Nであったが総覧1975において130.5°E,33.5°Nに改められ(上図角1),その理由として「『書紀』に筑紫とあるので」と本文に書かれている.これに相当する日本書紀の記述では「筑紫國大地動之」「百姓舍屋、每村多仆壞」とされているので,震央は筑紫国(上図実線)の中央付近に置いたということであろう.つまり,地震動・被害やそれらの指標である震度の分布を考えて,その中心付近を震央とする方法が取られたということになる.続いて,総覧の1987年第2版では豊後国風土記が新たな史料として加わり,震央が130½~131°E,33~33½°N(上図角2)に改められた.本文では「『豊後国風土記』によると,五馬山崩れ温泉がところどころに出た」という記述になっている.この被害地点と上記の地点に囲まれた領域の中に震央があるとした方法が取られたと理解できる.さらに,総覧の2003年第4版では点の震央に戻り130.68°E,33.32°Nと改められた(上図角3).本文には「水縄断層系の活動による. 震央を水縄断層系の中点とし」と書かれており,活断層研究の成果を取り入れる方法が取られたことがわかる.従って,歴史地震の震央やMは主に震度分布から決められ,活断層研究等の成果があればそれを取り入れて決められている.

この地震の震央やMを再考するとすれば,震度分布の方法と活断層研究の方法の両方を取り入れるということが考えられる.『わが国の歴史地震の震度分布・等震度線図』(宇佐美,1994)によれば前記の2地点は同じ震度「Ⅴ以上」と評価され,上図中の≧Vに丸印の場所にプロットされた.また,水縄断層系(上図橙線)に関する長期評価(地震調査委員会,2004)では,同断層系の最新活動時期がこの679年の地震と確定されている.以上を総合すれば,水縄断層系付近で同震度2地点と等距離に近いところを震央とできるであろう.データの精度を考慮して¼または⅓°単位でそうした点を探索すると130¾°E,33⅓°Nとなる(上図星印).確認のため松崎・他(2006)の距離減衰式,長期評価による想定Mと深さ(想定断層面中央の深さ)を用いて2地点(普通地盤とする)の震度を計算してみると5.14と5.02となり,宇佐美(1994)のⅤ以上に一致した.これによりMは長期評価の7.2,地域は筑紫・豊後が良い.

次に震央の値がある684年の地震では,その値がK1951において134.0°E,32.5°Nであったが(下図角1),総覧1987において133.5~135.0°E,32¼~33¼°Nに改められた(下図角2).宇佐美(1994)で震度が与えられている6地点のうち,現在の熊野市とは異なる熊野を除き,大田はC級史料に異なった月で記述されているので除いた.同書の2010年改訂版で追加された今治はC級史料だが正しい月で記述されているので含めた.ただし今治の5強は両版を比較して1994年版のⅤ以上に相当するとした.震度Eとされている土佐は,日本書紀に「田苑五十餘万頃、没為海」と書かれているので,震度判定表の追加事項における「地殻変動(隆起・沈降)が生じた」に相当するとして震度(Ⅵ)とした.同じく震度Eとなっている本宮は熊野年代記に「熊野三山大破」と書かれているので,震度判定表の「寺社:かなり破損する」に相当するとして震度5強としたが,東京都の1980年震度階解説表による体感震度であると示すためⅤ+と表記した.また,総覧1996以降に掲載されている地震考古学の成果一覧から川辺遺跡と両槻宮跡を採用し,震度Ⅴ+(地盤によっては液状化現象がおこり)とⅤ以上(地滑り,山崩れが発生した)とした.以上をまとめた下図の震度分布は1946年南海地震の震度分布に似通っているので,同地震に対するMurotani et al. (2015)の断層モデル(下図黄四角)を採用し,その中心に近い¼または⅓°単位の地点134½°E,33¼°Nを震央,そこにおける断層面深さ21kmを震源深さとした(下図星印).各地点からこの断層モデルへの断層最短距離をP4CFにより計算する.さらに松崎・他(2006)の距離減衰式,総覧1987以降のM8¼と,上記震源深さを用いて各地点(土佐は「田苑」なので軟弱地盤,他は普通地盤)の震度を計算した.土佐は5.6,他は5.0以上5.5未満となり下図と矛盾しない.各地点の属する五畿七道から地域は南海道・畿内とするのが良い.

以上のような解析を1185年より前の地震に対して行う予定である.