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[SSS14-09] 13世紀に駿河湾で地震と津波が発生した可能性
キーワード:駿河湾、津波、液状化、南海トラフ、津波堆積物
13世紀後半には正嘉地震 (1257年) ,永仁 (正応) 地震 (1293年) など,関東地方南部で大きな地震が続発したことが知られている.1293年の地震は相模トラフで発生したプレート境界型地震と考えられている (石橋, 1991).1293年の地震では鎌倉などにおいて非常に多くの人的被害が記録されている.加えて,津波を直接示すような記述は無いものの,浜辺に多くの遺体があったことも記録されており,1293年の地震が津波を伴っていた可能性が指摘されている (石橋, 2018).一方,1257年正嘉地震では鎌倉における社寺の損傷や液状化現象などが文書に記されているが,人的被害についての記述は乏しく,1293年の永仁 (正応) 地震と比較して被害が小さかったと考えられている (石橋, 2018).
駿河湾西岸の上土遺跡では,9世紀〜13世紀と13世紀後半以降にできた液状化などの地震痕跡が見つかっている (矢田・鈴木, 1996).この2つの地震痕跡は別々の地震によってできたと考えられていた.しかしながら,これらは同一の遺跡から見つかった年代の重なる地震痕跡であるため,同一の地震によってできた可能性も考えるべきである.この2つの地震痕跡が1回の地震によってできたと仮定すると,その地震の発生年代は13世紀後半に限定される.
駿河湾東岸の井田低地で行われた津波堆積物調査で,海水の浸入によってできたイベント層が見つかった (Sawai et al., 2016).Sawai et al. (2016) によって得られた放射性炭素年代測定値を用いてOxCal v.4.4.4のPhase Modelによりイベント層の堆積年代を計算した結果,1σ暦年代範囲で1143–1281 AD,2σ暦年代範囲で1062–1333 ADとなった.上記の正嘉地震(1257年)はこの1σ暦年代範囲の中に収まっており,永仁 (正応) 地震 (1293年)や南海トラフ東部で発生したと考えられている永長地震 (1096年) は2σ暦年代範囲の中に入っている.
駿河湾東岸の沼津では,正嘉地震 (1257年) の翌年の1258年に日蓮が津波被害に苦しむ住民の求めに応じて津波よけの祈祷を行ったという記録が残っている (都司, 1993).都司 (1993) は日蓮が祈祷を行った時期が正嘉地震にごく近いことなどを根拠に正嘉地震が駿河湾で発生した地震であった可能性に言及した.石橋 (1999) が指摘したようにこの仮説は沼津の記録だけに基づいていたため,やや根拠が弱かった.しかしながら上土遺跡の地震痕跡と井田低地のイベント層の年代は正嘉地震 (1257年) と重なっており,このことは都司 (1993) の仮説を支持する.また,正嘉地震 (1257年) が駿河湾で発生したと考えると,鎌倉における被害が永仁 (正応) 地震 (1293年)より小さいことも矛盾なく説明することができる.
駿河湾西岸の上土遺跡では,9世紀〜13世紀と13世紀後半以降にできた液状化などの地震痕跡が見つかっている (矢田・鈴木, 1996).この2つの地震痕跡は別々の地震によってできたと考えられていた.しかしながら,これらは同一の遺跡から見つかった年代の重なる地震痕跡であるため,同一の地震によってできた可能性も考えるべきである.この2つの地震痕跡が1回の地震によってできたと仮定すると,その地震の発生年代は13世紀後半に限定される.
駿河湾東岸の井田低地で行われた津波堆積物調査で,海水の浸入によってできたイベント層が見つかった (Sawai et al., 2016).Sawai et al. (2016) によって得られた放射性炭素年代測定値を用いてOxCal v.4.4.4のPhase Modelによりイベント層の堆積年代を計算した結果,1σ暦年代範囲で1143–1281 AD,2σ暦年代範囲で1062–1333 ADとなった.上記の正嘉地震(1257年)はこの1σ暦年代範囲の中に収まっており,永仁 (正応) 地震 (1293年)や南海トラフ東部で発生したと考えられている永長地震 (1096年) は2σ暦年代範囲の中に入っている.
駿河湾東岸の沼津では,正嘉地震 (1257年) の翌年の1258年に日蓮が津波被害に苦しむ住民の求めに応じて津波よけの祈祷を行ったという記録が残っている (都司, 1993).都司 (1993) は日蓮が祈祷を行った時期が正嘉地震にごく近いことなどを根拠に正嘉地震が駿河湾で発生した地震であった可能性に言及した.石橋 (1999) が指摘したようにこの仮説は沼津の記録だけに基づいていたため,やや根拠が弱かった.しかしながら上土遺跡の地震痕跡と井田低地のイベント層の年代は正嘉地震 (1257年) と重なっており,このことは都司 (1993) の仮説を支持する.また,正嘉地震 (1257年) が駿河湾で発生したと考えると,鎌倉における被害が永仁 (正応) 地震 (1293年)より小さいことも矛盾なく説明することができる.