日本地球惑星科学連合2025年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-VC 火山学

[S-VC31] 火山防災の基礎と応用

2025年5月25日(日) 09:00 〜 10:30 コンベンションホール (CH-B) (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:宝田 晋治(産業技術総合研究所活断層・火山研究部門)、宮城 洋介(国立研究開発法人 防災科学技術研究所)、及川 輝樹(国立研究開発法人産業技術総合研究所)、森田 雅明(東京大学地震研究所)、座長:及川 輝樹(国立研究開発法人産業技術総合研究所)、森田 雅明(東京大学地震研究所)

09:15 〜 09:30

[SVC31-02] 噴火記録・体験談からみた浅間火山1960年前後の噴火事例

*安井 真也1 (1.日本大学文理学部)

キーワード:浅間火山、噴火体験談

Lewotvi Lakilaki火山(インドネシア)の2024年11月の活動では、噴煙が最大16kmに達し、火砕流が山腹の各方向に流下、風下地域に降灰があった。Global Volcanism Programのウエブサイトによると半径5km以内に1.8万人以上が居住している。大規模噴火の際には爆発音が響き、火砕流で10人が死亡、多くの村が被災し話題となった。浅間火山の1960年前後の噴火も上記事例と類似点がある。ここでは主に1958年11月10日と1961年8月18日噴火の現象の実態や影響範囲を知ることを目的とする。浅間火山では20世紀前半を中心に活動が活発で、1911年から観測が始まった。Minakami(1935)は噴火タイプをA(猛烈な爆発)からD(爆音なし)まで分類した。宮﨑(2003)によると、1935年~1990年の噴火ではAとBは低頻度で、Dが最も多い。タイプAは581110噴火が最後であるが、この噴火は明治以降最大規模とされ、その火砕流は火山防災マップの数値シミュレーションに用いられている。記録によると581110噴火は長期的前兆の後に発生し、その後も小規模噴火が続いたが、610818噴火(B)は突発的噴火であった。両噴火の噴煙高度は7000mで、火口周辺に火砕流が流下した。581110では広範囲で爆発音、空振が観測された。610818では登山者1名が行方不明となり、農業被害も著しかった。
浅間火山は1961年以降、60年以上活動が低調で、火口底までマグマが上昇したのは1973年と2004年のみである。筆者は、噴火を知らない若い世代への伝承も目的に2023年秋から山麓住民にアンケートを実施中である。本研究では宮﨑(2003)やMurai and Hosoya(1964)などの文献調査に加え、住民の体験談や新聞記事の内容を地図に落とし、現象や被害範囲を多角的に検討した。  
581110噴火は22時55分に発生し、軽井沢駅から火柱の炸裂が目撃された。山麓では2.8万枚以上のガラスが破損し、鹿児島でも微気圧計の変化が観測された。浅間家畜育成牧場には熱気を帯びた火山弾が降下し、東北東へ流れた噴煙から小名浜まで降灰があった。鬼押出園では火の粉を浴びた店員5名が生死を危ぶんだという。火口縁には6m大の噴石が落下し、南山腹では森林火災が発生、消防団が出動した。その後も降灰が続き、4時間半後に再度爆発が発生し軽石が降下した。610818噴火は盛夏の午後15時前に発生し、長野、前橋、高崎などで爆音が聞かれた。雷雨の中、噴煙は北北西風に流され南麓へ降灰、伊豆半島下田方面まで泥雨が降った。岩村田は噴煙の西縁外で、爆発音のみ確認された。南麓では拳大の溶岩片が降下し、軽井沢駅周辺では親指大の軽石も確認された。一方、北麓では50cm大の石の降下が見られ、火山ルートの有料道路ではバスが猛スピードで逃げたとの記録がある。鬼押出園付近では熱灰と小石で車の塗料が剥がれ、浅間牧場では強い爆風を感じたとの記述がある。両噴火とも火砕流本体は火口近傍で停止したが、その延長数キロ以上先まで影響が及んだと考えられる。また581110噴火では最初の大爆発による減圧発泡で4.5時間後に小規模な軽石噴火が生じたらしい。
 1961年までの活動では、黒色噴煙の噴出が日常的であったが、たまのタイプAとBの噴火は衝撃的だったらしく、大きく報道されたらしい。山麓住民の体験談は記憶の曖昧さや他の噴火との混同も予想されるものの、直後の取材による新聞記事とともに数を集めることで傾向が見えてくる。これらは噴火の実態を知る情報源として有効であると考えられる。