[MIS14-P01] ジオ鉄を楽しむ-7.三陸鉄道・南リアス線
キーワード:ジオ鉄、三陸鉄道、南リアス線、ジオポイント、リアス海岸、三陸鉄道ジオ鉄マップ
1.ジオ鉄の活動と目的
「ジオ鉄」とは,身近で安全な公共交通機関である鉄道を利用して,誰もが気軽に楽しみながら地質・地形など自然や地球環境のことを学ぶ活動の呼び名であり(加藤ほか,2009),深田研ジオ鉄普及員会により活動が継続されている(藤田ほか,2013).ジオ鉄では鉄道を通じて「見る・触れる・感じる」ことのできる地質・地形遺産やそれらと深く関わる鉄道施設や廃線遺構,さらには文化遺産を「ジオポイント」として選定し,一般の人向けに専門家の解説で見どころを紹介している.本稿では「三陸鉄道ジオ鉄マップ」(深田研ジオ鉄普及委員会編,2017)を基に,とくに南リアス線にスポットを当ててジオ鉄第7路線のルートを紹介する.
2.ジオ鉄を楽しむ―第7路線三陸鉄道・南リアス線
(1)三陸鉄道・南リアス線の概要
岩手県沿岸を走る三陸鉄道・南リアス線は同県大船渡市と宮古市を盛~釜石間36.6kmで結ぶ非電化の路線である.盛駅でJR大船渡線(震災後BRTで復旧)と接続し,釜石駅でJR山田線(休止中)とJR釜石線と接続する.列車本数は約1時間ごとに普通列車が運行し,通学や観光アクセスの役割を担う.オリジナル36形車輌のほか昭和レトロ調車輌が走り,年間を通して多彩なイベント列車の企画がある.リアスの名の通りリアス海岸地形の車窓展望が広がる南リアス線.三陸のジオの豊かさと津波災害克服の歴史が鉄道施設と密接に関わる路線である.
三陸鉄道・南リアス線の建設経緯は明治29年の明治三陸大津波に遡る.津波で甚大な被害を受けた東北沿岸への救援物資輸送を阻んだのが,急峻な地形と港湾の破壊であった.これを機に三陸沿岸への鉄道建設の機運が高まり,同年「三陸鉄道創立申請書」を提出.大正11年の改正鉄道敷設法にて「山田ヨリ釜石ヲ経テ大船渡ニ至ル鉄道」が予定線に掲げられ,国鉄により盛線(盛~吉浜・昭和48年)が建設された.国鉄改革が山場を迎えた昭和59年,国鉄の転換鉄道としては日本初の第三セクター三陸鉄道株式会社が国鉄3線(久慈線・宮古線・盛線)を引き継ぎ,未成線区間(田老~普代,吉浜~釜石)の開通を経て,昭和59年4月三陸鉄道南北リアス線は開業した.平成23年3月東日本大震災で被災した南リアス線は,橋梁や築堤等の強化と復旧を経て,震災から3年後の平成26年4月北リアス線とともに全線復旧を果たした.現在は被災地フロントライン研修や震災学習列車の形で防災・減災を学ぶ企画が継続されている.
(2)三陸鉄道・南リアス線の恵まれた地形・地質遺産
南リアス線は北上山地(北上高地)の東縁に位置し,北部北上帯のジュラ紀付加体,前期白亜紀の火山岩類や花崗岩類のほか,沿線で最も古い南部北上帯のペルム系が分布する.急峻な山地をトンネルで貫きリアス海岸の半島の付け根を列車は走る.起点の盛駅を出発すると,かつて金を産出した今出山を遠望しながら列車は東へ進む.盛川橋梁を渡り石灰石を運ぶ貨物専用の岩手開発鉄道を跨ぐと,佐野トンネルでペルム系を貫き陸前赤崎駅に到着.市街地を見下ろす築堤の駅には大洞貝塚が隣接し,周辺の縄文貝塚では現在も発掘が続く.ここから地質は前期白亜紀火山岩類の分布域へ.綾里トンネル2960mを抜けると線形は弧を描き90度方向を変え,綾里駅から先で列車は北上し同線で最も標高の高い恋し浜駅(標高43.6m)に到着.駅舎には沢山のホタテ絵馬が飾られ見学のため数分停車する. 越喜来湾に沿って走る恋し浜~三陸間は津波に強い盛土法面工の築堤で復旧された.三陸駅を出ると地質は前期白亜紀花崗岩類の分布域を行く.羅生峠を羅生トンネル1978mで抜けて吉浜湾へ. 吉浜は過去の津波被害に学び津波犠牲者を出さなかった奇跡の集落で,昭和三陸大津波の石碑や津波石を見学できる.特産キッピンあわびの解説に耳を傾けるうちに列車は鍬台峠を貫く鍬台トンネル3907mへ.トンネル内で地質はジュラ紀付加体に変わる.荒川橋梁,熊の木トンネルを過ぎると唐丹湾を望む唐丹駅に到着.春の本郷の桜並木は格別.伊能忠敬ゆかりの星座石の近傍に明治・昭和・平成の津波記念碑がある.唐丹駅の先で沿線最長の石塚トンネル4670mを進みトンネル内でかつての藩境・石塚峠を越えると平田駅に到着.鉄の歴史館と釜石大観音(高さ48.5m)が見える.釜石製鉄所の専用鉄道(廃線)はかつて平田湾まで延び,運ばれた鉱滓による埋立地が平成4年開催の三陸海の博覧会の会場になった. 釜石トンネル1957mを出ると近代製鉄発祥の地・釜石へ.新日鐵住金(株)の火力発電所からもうもうと上がる水蒸気が町を包む.大渡川に架かる2つのトラス橋を渡ると終点の釜石駅に到着.JR釜石線と接続があり宮古・山田方面はバスに乗換.釜石~宮古間が三陸鉄道により運行再開となる平成31年春を心待ちにしたい.
「ジオ鉄」とは,身近で安全な公共交通機関である鉄道を利用して,誰もが気軽に楽しみながら地質・地形など自然や地球環境のことを学ぶ活動の呼び名であり(加藤ほか,2009),深田研ジオ鉄普及員会により活動が継続されている(藤田ほか,2013).ジオ鉄では鉄道を通じて「見る・触れる・感じる」ことのできる地質・地形遺産やそれらと深く関わる鉄道施設や廃線遺構,さらには文化遺産を「ジオポイント」として選定し,一般の人向けに専門家の解説で見どころを紹介している.本稿では「三陸鉄道ジオ鉄マップ」(深田研ジオ鉄普及委員会編,2017)を基に,とくに南リアス線にスポットを当ててジオ鉄第7路線のルートを紹介する.
2.ジオ鉄を楽しむ―第7路線三陸鉄道・南リアス線
(1)三陸鉄道・南リアス線の概要
岩手県沿岸を走る三陸鉄道・南リアス線は同県大船渡市と宮古市を盛~釜石間36.6kmで結ぶ非電化の路線である.盛駅でJR大船渡線(震災後BRTで復旧)と接続し,釜石駅でJR山田線(休止中)とJR釜石線と接続する.列車本数は約1時間ごとに普通列車が運行し,通学や観光アクセスの役割を担う.オリジナル36形車輌のほか昭和レトロ調車輌が走り,年間を通して多彩なイベント列車の企画がある.リアスの名の通りリアス海岸地形の車窓展望が広がる南リアス線.三陸のジオの豊かさと津波災害克服の歴史が鉄道施設と密接に関わる路線である.
三陸鉄道・南リアス線の建設経緯は明治29年の明治三陸大津波に遡る.津波で甚大な被害を受けた東北沿岸への救援物資輸送を阻んだのが,急峻な地形と港湾の破壊であった.これを機に三陸沿岸への鉄道建設の機運が高まり,同年「三陸鉄道創立申請書」を提出.大正11年の改正鉄道敷設法にて「山田ヨリ釜石ヲ経テ大船渡ニ至ル鉄道」が予定線に掲げられ,国鉄により盛線(盛~吉浜・昭和48年)が建設された.国鉄改革が山場を迎えた昭和59年,国鉄の転換鉄道としては日本初の第三セクター三陸鉄道株式会社が国鉄3線(久慈線・宮古線・盛線)を引き継ぎ,未成線区間(田老~普代,吉浜~釜石)の開通を経て,昭和59年4月三陸鉄道南北リアス線は開業した.平成23年3月東日本大震災で被災した南リアス線は,橋梁や築堤等の強化と復旧を経て,震災から3年後の平成26年4月北リアス線とともに全線復旧を果たした.現在は被災地フロントライン研修や震災学習列車の形で防災・減災を学ぶ企画が継続されている.
(2)三陸鉄道・南リアス線の恵まれた地形・地質遺産
南リアス線は北上山地(北上高地)の東縁に位置し,北部北上帯のジュラ紀付加体,前期白亜紀の火山岩類や花崗岩類のほか,沿線で最も古い南部北上帯のペルム系が分布する.急峻な山地をトンネルで貫きリアス海岸の半島の付け根を列車は走る.起点の盛駅を出発すると,かつて金を産出した今出山を遠望しながら列車は東へ進む.盛川橋梁を渡り石灰石を運ぶ貨物専用の岩手開発鉄道を跨ぐと,佐野トンネルでペルム系を貫き陸前赤崎駅に到着.市街地を見下ろす築堤の駅には大洞貝塚が隣接し,周辺の縄文貝塚では現在も発掘が続く.ここから地質は前期白亜紀火山岩類の分布域へ.綾里トンネル2960mを抜けると線形は弧を描き90度方向を変え,綾里駅から先で列車は北上し同線で最も標高の高い恋し浜駅(標高43.6m)に到着.駅舎には沢山のホタテ絵馬が飾られ見学のため数分停車する. 越喜来湾に沿って走る恋し浜~三陸間は津波に強い盛土法面工の築堤で復旧された.三陸駅を出ると地質は前期白亜紀花崗岩類の分布域を行く.羅生峠を羅生トンネル1978mで抜けて吉浜湾へ. 吉浜は過去の津波被害に学び津波犠牲者を出さなかった奇跡の集落で,昭和三陸大津波の石碑や津波石を見学できる.特産キッピンあわびの解説に耳を傾けるうちに列車は鍬台峠を貫く鍬台トンネル3907mへ.トンネル内で地質はジュラ紀付加体に変わる.荒川橋梁,熊の木トンネルを過ぎると唐丹湾を望む唐丹駅に到着.春の本郷の桜並木は格別.伊能忠敬ゆかりの星座石の近傍に明治・昭和・平成の津波記念碑がある.唐丹駅の先で沿線最長の石塚トンネル4670mを進みトンネル内でかつての藩境・石塚峠を越えると平田駅に到着.鉄の歴史館と釜石大観音(高さ48.5m)が見える.釜石製鉄所の専用鉄道(廃線)はかつて平田湾まで延び,運ばれた鉱滓による埋立地が平成4年開催の三陸海の博覧会の会場になった. 釜石トンネル1957mを出ると近代製鉄発祥の地・釜石へ.新日鐵住金(株)の火力発電所からもうもうと上がる水蒸気が町を包む.大渡川に架かる2つのトラス橋を渡ると終点の釜石駅に到着.JR釜石線と接続があり宮古・山田方面はバスに乗換.釜石~宮古間が三陸鉄道により運行再開となる平成31年春を心待ちにしたい.