[MIS14-P13] 2016年新潟県糸魚川市駅北大火におけるジオ的要因
キーワード:糸魚川市、大火、フェーン現象、蓮華おろし、自然災害、糸魚川ユネスコ世界ジオパーク
2016(平成28)年12月22日(木曜日)午前10時20分頃に、糸魚川駅北口のラーメン店の大型コンロから出火した火災は、南風にあおられ延焼し、糸魚川市内では1954(昭和29)年以来の大火「糸魚川市駅北大火(暫定呼称)」となった(図1)。市民からの通報により消防が覚知した時間は午前10時28分であり、糸魚川市消防本部から12隊(消火隊9・救急隊等3)が出動した。消火活動が続けられたが、強風にあおられた火災は、午前11時21分に最初の飛び火による火災が発生するなど延焼した(図2)。糸魚川市消防本部は、近隣市町村に応援を要請、県内外を含む31隊(消火隊25・他6)が出動し、最終的に43隊が消火活動に当った。地元の糸魚川市消防団も、市内全域の50隊が活動を行なった。
糸魚川市は延焼を受けて午後0時20分に本町・大町2丁目に避難勧告を発令し、午後1時10分に火災現場の北側で海岸線を走る国道8号線を寺町交差点から横町交差点までを通行止めにした。午後1時46分に糸魚川市消防本部が約50棟に延焼し被害が出ていることを報告している。午後4時30分には大町1丁目にも避難勧告を発令した。最終的に、363世帯の744人に避難勧告が出された。消火活動において、近隣市町村からの応援による多数の消防車の放水で消火用水が不足した。そのため、災害協定を締結していた糸魚川地区生コン組合のミキサー車による水の搬送や、国土交通省北陸地方整備局の排水ポンプ車等を活用して消火用水の確保に努めた。また、新潟県は糸魚川市に対して災害救助法を適用し、陸上自衛隊第12旅団長(相馬原駐屯地)に対して災害派遣を要請した。それを受けて第2普通科連隊(高田駐屯地)の155人が翌日13時30分の撤収要請まで、捜索救助活動に当たった。
火災が延焼の危険のなくなる鎮圧状態となったのは午後8時50分であり、その後も消火活動は続けられ、鎮火した時間は翌日の午後4時30分であった。火災による負傷者は17名(一般人2名、消防団員15名)であり、1名が中等症、ほか16名は軽傷と、地域住民や警察の援護活動もあり死者は出なかった。建築物の被害は、1650年創業で県内最古の酒蔵である加賀の井酒造をはじめ、割烹「鶴来家」や、平安堂旅館など焼損棟数147棟(全焼120棟、半焼5棟、部分焼22棟)に上った。焼失面積は約40,000㎡と日本国内では過去20年で最大の大火となった。
糸魚川駅の北側に広がる旧市街地域は、大火が多い地域である。1730年から2016年までに29回の大火を経験している。強い西風(北西風)の場合、旧市街の東西方向に延焼し(昭和7年大火)、強い南風の場合は、南北方向に延焼(昭和3年大火、今回の大火)する。昭和7年の大火の後では、延焼を防止するために市街地の主要な11の道路を拡幅している。
火災発生日は、日本海上を温暖前線と寒冷前線を伴う低気圧が東へ移動していた(図3)。そのため、糸魚川では寒冷前線が通過するまでの間、乾燥した強い南風(フェーン現象)が卓越していた。糸魚川市の気象観測点では出火推定時刻の午前10時20分に最大風速13.9m/sを、糸魚川市消防本部では午前11時40分に最大瞬間風速27.2m/sをそれぞれ記録している。火災の進展はこの風向きにほぼ沿った形で進んでいる。よって、この強い南風が原因で延焼が広がったと考えられる。新潟県内の海岸にある河川沿いでは、特定の気圧パターンのときに「だし風」と呼ばれる局地的に強い風が発生することが知られている(鴨宮、1970)。だし風は、上越では姫川・関川沿いなどで発生することが知られており(荒木、2010)、糸魚川市内では、だし風のことを白馬地方から吹く南風の意味で「蓮華おろし」などと呼称している(図4)。
「蓮華おろし」は最上川で吹く「清川だし」と同様(力石、2006)に、山脈によるフェーン現象によるおろし風と,峡谷の出口附近で強まる地峡風が混合して吹く風であると考えられる。糸魚川は造山運動に伴う頸城山塊や飛騨山脈が背後にあり、フェーン現象による南風が起こりやすい地形である。また、糸魚川市の中央部を流れる姫川に沿って糸魚川-静岡構造線の大断層帯が分布している。そのため、姫川沿いは谷地形となっており、地峡風が発生しやすい環境でもある。
今回の大火は、頸城山塊や北アルプスの山脈と糸魚川-静岡構造線の谷地形によって発生した南風「蓮華おろし」によって被害が拡大しており、地形・地質が関係した、ジオ的要因が絡んだ災害であったと言える。
新潟県は12月30日に被災者生活再建支援法による自然災害に該当すると発表した。初めて同法が強風による大火に適応された背景として、「蓮華おろし」によって被害が拡大した自然災害(風害)の側面があることによる。これは、糸魚川ユネスコ世界ジオパークの活動を通して、気象条件と地形・地質を関連づけた説明が浸透しており、糸魚川に吹く「蓮華おろし」が糸魚川の地形・地質と密接に関係している風害であることを政府に対してアピールできたことが大きい。
糸魚川市は延焼を受けて午後0時20分に本町・大町2丁目に避難勧告を発令し、午後1時10分に火災現場の北側で海岸線を走る国道8号線を寺町交差点から横町交差点までを通行止めにした。午後1時46分に糸魚川市消防本部が約50棟に延焼し被害が出ていることを報告している。午後4時30分には大町1丁目にも避難勧告を発令した。最終的に、363世帯の744人に避難勧告が出された。消火活動において、近隣市町村からの応援による多数の消防車の放水で消火用水が不足した。そのため、災害協定を締結していた糸魚川地区生コン組合のミキサー車による水の搬送や、国土交通省北陸地方整備局の排水ポンプ車等を活用して消火用水の確保に努めた。また、新潟県は糸魚川市に対して災害救助法を適用し、陸上自衛隊第12旅団長(相馬原駐屯地)に対して災害派遣を要請した。それを受けて第2普通科連隊(高田駐屯地)の155人が翌日13時30分の撤収要請まで、捜索救助活動に当たった。
火災が延焼の危険のなくなる鎮圧状態となったのは午後8時50分であり、その後も消火活動は続けられ、鎮火した時間は翌日の午後4時30分であった。火災による負傷者は17名(一般人2名、消防団員15名)であり、1名が中等症、ほか16名は軽傷と、地域住民や警察の援護活動もあり死者は出なかった。建築物の被害は、1650年創業で県内最古の酒蔵である加賀の井酒造をはじめ、割烹「鶴来家」や、平安堂旅館など焼損棟数147棟(全焼120棟、半焼5棟、部分焼22棟)に上った。焼失面積は約40,000㎡と日本国内では過去20年で最大の大火となった。
糸魚川駅の北側に広がる旧市街地域は、大火が多い地域である。1730年から2016年までに29回の大火を経験している。強い西風(北西風)の場合、旧市街の東西方向に延焼し(昭和7年大火)、強い南風の場合は、南北方向に延焼(昭和3年大火、今回の大火)する。昭和7年の大火の後では、延焼を防止するために市街地の主要な11の道路を拡幅している。
火災発生日は、日本海上を温暖前線と寒冷前線を伴う低気圧が東へ移動していた(図3)。そのため、糸魚川では寒冷前線が通過するまでの間、乾燥した強い南風(フェーン現象)が卓越していた。糸魚川市の気象観測点では出火推定時刻の午前10時20分に最大風速13.9m/sを、糸魚川市消防本部では午前11時40分に最大瞬間風速27.2m/sをそれぞれ記録している。火災の進展はこの風向きにほぼ沿った形で進んでいる。よって、この強い南風が原因で延焼が広がったと考えられる。新潟県内の海岸にある河川沿いでは、特定の気圧パターンのときに「だし風」と呼ばれる局地的に強い風が発生することが知られている(鴨宮、1970)。だし風は、上越では姫川・関川沿いなどで発生することが知られており(荒木、2010)、糸魚川市内では、だし風のことを白馬地方から吹く南風の意味で「蓮華おろし」などと呼称している(図4)。
「蓮華おろし」は最上川で吹く「清川だし」と同様(力石、2006)に、山脈によるフェーン現象によるおろし風と,峡谷の出口附近で強まる地峡風が混合して吹く風であると考えられる。糸魚川は造山運動に伴う頸城山塊や飛騨山脈が背後にあり、フェーン現象による南風が起こりやすい地形である。また、糸魚川市の中央部を流れる姫川に沿って糸魚川-静岡構造線の大断層帯が分布している。そのため、姫川沿いは谷地形となっており、地峡風が発生しやすい環境でもある。
今回の大火は、頸城山塊や北アルプスの山脈と糸魚川-静岡構造線の谷地形によって発生した南風「蓮華おろし」によって被害が拡大しており、地形・地質が関係した、ジオ的要因が絡んだ災害であったと言える。
新潟県は12月30日に被災者生活再建支援法による自然災害に該当すると発表した。初めて同法が強風による大火に適応された背景として、「蓮華おろし」によって被害が拡大した自然災害(風害)の側面があることによる。これは、糸魚川ユネスコ世界ジオパークの活動を通して、気象条件と地形・地質を関連づけた説明が浸透しており、糸魚川に吹く「蓮華おろし」が糸魚川の地形・地質と密接に関係している風害であることを政府に対してアピールできたことが大きい。