JpGU-AGU Joint Meeting 2017

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[JJ]Eveningポスター発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS15] [JJ] 強震動・地震災害

2017年5月24日(水) 17:15 〜 18:30 ポスター会場 (国際展示場 7ホール)

[SSS15-P12] 1889(明治22)年明治熊本地震の詳細震度分布

新井田 倫子2、*山中 佳子1 (1.名古屋大学大学院環境学研究科、2.名古屋大学理学部)

キーワード:明治22年熊本地震、震度分布

歴史上の地震についての文献記録は従来の研究でも広く収集・整理され,「新収日本地震史料」「日本の歴史地震史料」などとして刊行されている.本研究では,熊本県内の歴史的地震被害を調査するため,市町村史・郡史などを含めた郷土資料を中心に新聞記事・官報などの文献調査を行った.これらの資料から明治22年7月28日熊本地震について地域ごとの被害情報をまとめ,家屋、橋、地割れなどの被害情報をもとに宇佐美(2016)の基準を用いて各地の震度を推定し,震度分布図を作成した.被害情報から震度を推定しているため,被害を生じる震度4以上の震度しか求めることはできない.
得られた震度分布とJ-SHISで公開されている表層地盤増幅率の分布とを比較した.概ね震源から離れるほど震度は小さくなっているが,離れていても表層地盤増幅率の大きな場所では大きな被害が出ていることがわかる.また求められた震度分布は北側に広がる傾向にあるが,その原因として震央の北側に比較的揺れやすい地盤が広がっていることも関係していると思われる.
すでに武村(2016)が,今村(1920)による家屋の被害統計に基づいてこの地震の詳細震度分布を作成している.本研究の結果は武村の結果とほぼ一致するが,震度が大きく異なった場所がいくつかあった.3段階(震度4→震度6)大きく判定された村が2カ所、2段階(震度5弱→震度6)大きく判定された村が3カ所である.それらの地点について,表層地盤増幅率の分布及び地震発生当時の土地利用を参考にして原因を検討した.
震度が2段階違った玉名郡伊倉町では,「家屋全倒1,半倒4,橋梁壊落2」などの被害があったことが報告されている.そこで同町について明治期の地形図から当時の家屋の分布を抽出し,表層地盤増幅率の分布と重ね合わせてみた.すると当時の家屋は揺れにくい地盤に立地していたということが確認できた.一方,橋のある河川域は地盤増幅率が大きい.その結果家屋の全半潰率のみから震度を推定している武村の結果では,橋梁壊落など他の被害も含めて検討している本研究より小さな震度になったことがわかった.上益城郡飯野村や託麻郡廣畑村,上益城郡津森村でも同様の傾向がみられた.上益城郡杉合村は,家屋被害がなかったために武村では震度4とされた地域である.官報によると「裂地2、橋梁壊落2」の被害がでているため,本研究では震度6としたが,この村のほぼ全域が軟弱地盤となっており,家屋被害はなかったものの実際の揺れは場所によって震度4よりは大きかったことが推測される.このように、地震の揺れは表層地盤の影響によって同じ地区の中でも強弱があるということが確認された.歴史地震のように被害の情報のみで震度を求める場合には,地盤の影響がかなり含まれること,どのような被害情報から決められた震度かを注意して使う必要がある.
また今回明治期の土地利用と地盤増幅率の分布を重ねてみたことで,当時の家屋が比較的地盤の良好な場所に位置していることがわかった.現在は当時と比べて比較的弱い地盤の上にまで家屋の分布が広がっている.かつては被害が少なかった地域でも,再び同規模の地震が起きた場合,大きな被害が出る恐れがあることは注意すべきである.