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[HDS17-01] 阿蘇火山高野尾羽根溶岩ドームの降下火砕物斜面で発見された古期地すべりとその発生年代
キーワード:阿蘇火山、高野尾羽根溶岩ドーム、降下火砕物層序、草千里ヶ浜軽石、古土壌、14C年代
2016年4月16日に熊本県を襲った強い地震(Mw7.0の本震とその後の余震;以下,2016年熊本地震と表記)により,阿蘇火山高野尾羽根溶岩ドームの降下火砕物斜面で地すべり(以下,高野台地すべりと表記)が発生し,長距離移動した土塊が甚大な被害をもたらした。降下火砕物斜面における地すべりが今後も起こる危険性を評価するためにも,高野尾羽根溶岩ドームにおける地すべり発生履歴を明らかにすることの意義は大きい。筆者らは高野台地すべりが発生した箇所の隣接斜面で過去の地すべりによるものとみられる幅約100mの窪地を発見した。そこでの堆積層序と古土壌層の放射性炭素年代測定により7,200〜7,000年前頃に地すべりが発生した可能性があることがわかったので報告する。
高野尾羽根溶岩ドームは,51,000年前頃(51ka)の溶岩流噴出によって形成された独立丘であり,5〜15°程度の緩斜面をもつ。地表は溶岩ドーム形成以降に降下した未固結の火砕物(おもにシルト質火山灰および土壌)に覆われる。この降下火砕物層中には,阿蘇カルデラ形成以降(90ka〜)で最大級の噴火堆積物である草千里ヶ浜軽石(Kpfa;30ka)のほか,広域テフラの姶良Tn火山灰(AT;29ka)と鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah;7.3ka)が鍵層として挟まる。層全体としての厚さは最大で13m程度である。高野台地すべりはKpfaやその下位の古土壌層にすべり面を形成し,最近約3万年間に降下した火砕物層を削剥した。
2013年1月に計測された航空レーザ測量データをもとに作成した高解像度地形図を判読したところ,溶岩ドーム斜面上に降下火砕物層の削剥によって形成されたとみられる窪地が複数あることがわかった。高野台地すべりは窪地が形成されていなかった南西向き斜面で発生していた。隣接する南向き斜面には馬蹄形の遷急線に囲まれた幅約100mの窪地が認められた。この遷急線を挟んだ斜面の落差は3〜6m程度あったが,全体に円みを帯びた不明瞭な地形になっており,古期地すべりの頭部滑落崖が地すべり発生後に降下した火砕物層に覆われたものと推察された。
窪地の中央で掘削したボーリングコアを観察したところ,高野尾羽根溶岩を覆う降下火砕物の層厚は4.80mしかなく,鍵層となるKpfa,AT,K-Ahが欠けていた。深度0.00〜2.30mまではクロボク-ローム互層で構成されていたが,その下位の深度2.30~3.15mには炭質物やKpfaとみられる橙色の軽石粒が混入する乱れた土層が挟在していた。一方で,深度3.15〜3.30mにある黄色の砂質火山灰層は上下の境界が明瞭で乱れが少なかった。その下位にある暗褐色の古土壌は深度3.60m付近で褐色の火山灰土に漸移し,高野尾羽根溶岩(深度4.80m~)を覆っていた。
これらの特徴を溶岩ドーム頂部で掘削したボーリングコアや高野台地すべりの滑落崖露頭で観察された層序と比較すると,深度2.30〜3.15mの乱れた土層内に不整合面があり,それより上位にあるクロボク-ローム互層は,K-Ahが侵食された後に発達したものと考えられる。また,不整合面の下位にある黄色の砂質火山灰層は,層相や鉱物組成の特徴から,Kpfaの基底をなすフォールユニットか,その下位の水ノ元第1軽石(MzP1;31ka)のいずれかに対比される。
窪地内のボーリングコアから採取した古土壌の放射性炭素年代をAMS法で測定したところ,深度2.20mのクロボクの補正14C年代として6,170±30yrBPが,深度3.35mの暗褐色古土壌の補正14C年代として27,410±110yrBPが得られた。これらの年代を暦年代較正(2σ)すると,それぞれ7,164〜6,976calBPと31,445〜31,064calBPになった。筆者らは不整合面より上位のクロボク-ローム互層はK-Ahが侵食された後に発達したもので,下位の砂質火山灰層はKpfaかMzP1のいずれかに対比されると考えたが,2つの古土壌からはそれと矛盾しない年代値が得られた。
以上より,高野尾羽根溶岩ドームの南向き斜面にある窪地内では,KpfaからK-Ahまでの過去約2万3千年間に堆積したテフラ層が削剥されており,その不整合面をK-Ah降下以降の最近約7千年間に発達したクロボク層が覆っていたことが明らかになった。この窪地のある斜面が降雨では地すべりが起こらないような緩傾斜であることと合わせて考えると,K-Ah降下後の7,200〜7,000年前頃(7,164〜6,976calBP)に阿蘇山周辺を強い地震が襲い,2016年熊本地震時の高野台地すべりと類似の土砂移動現象が発生した可能性がある。
高野尾羽根溶岩ドームは,51,000年前頃(51ka)の溶岩流噴出によって形成された独立丘であり,5〜15°程度の緩斜面をもつ。地表は溶岩ドーム形成以降に降下した未固結の火砕物(おもにシルト質火山灰および土壌)に覆われる。この降下火砕物層中には,阿蘇カルデラ形成以降(90ka〜)で最大級の噴火堆積物である草千里ヶ浜軽石(Kpfa;30ka)のほか,広域テフラの姶良Tn火山灰(AT;29ka)と鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah;7.3ka)が鍵層として挟まる。層全体としての厚さは最大で13m程度である。高野台地すべりはKpfaやその下位の古土壌層にすべり面を形成し,最近約3万年間に降下した火砕物層を削剥した。
2013年1月に計測された航空レーザ測量データをもとに作成した高解像度地形図を判読したところ,溶岩ドーム斜面上に降下火砕物層の削剥によって形成されたとみられる窪地が複数あることがわかった。高野台地すべりは窪地が形成されていなかった南西向き斜面で発生していた。隣接する南向き斜面には馬蹄形の遷急線に囲まれた幅約100mの窪地が認められた。この遷急線を挟んだ斜面の落差は3〜6m程度あったが,全体に円みを帯びた不明瞭な地形になっており,古期地すべりの頭部滑落崖が地すべり発生後に降下した火砕物層に覆われたものと推察された。
窪地の中央で掘削したボーリングコアを観察したところ,高野尾羽根溶岩を覆う降下火砕物の層厚は4.80mしかなく,鍵層となるKpfa,AT,K-Ahが欠けていた。深度0.00〜2.30mまではクロボク-ローム互層で構成されていたが,その下位の深度2.30~3.15mには炭質物やKpfaとみられる橙色の軽石粒が混入する乱れた土層が挟在していた。一方で,深度3.15〜3.30mにある黄色の砂質火山灰層は上下の境界が明瞭で乱れが少なかった。その下位にある暗褐色の古土壌は深度3.60m付近で褐色の火山灰土に漸移し,高野尾羽根溶岩(深度4.80m~)を覆っていた。
これらの特徴を溶岩ドーム頂部で掘削したボーリングコアや高野台地すべりの滑落崖露頭で観察された層序と比較すると,深度2.30〜3.15mの乱れた土層内に不整合面があり,それより上位にあるクロボク-ローム互層は,K-Ahが侵食された後に発達したものと考えられる。また,不整合面の下位にある黄色の砂質火山灰層は,層相や鉱物組成の特徴から,Kpfaの基底をなすフォールユニットか,その下位の水ノ元第1軽石(MzP1;31ka)のいずれかに対比される。
窪地内のボーリングコアから採取した古土壌の放射性炭素年代をAMS法で測定したところ,深度2.20mのクロボクの補正14C年代として6,170±30yrBPが,深度3.35mの暗褐色古土壌の補正14C年代として27,410±110yrBPが得られた。これらの年代を暦年代較正(2σ)すると,それぞれ7,164〜6,976calBPと31,445〜31,064calBPになった。筆者らは不整合面より上位のクロボク-ローム互層はK-Ahが侵食された後に発達したもので,下位の砂質火山灰層はKpfaかMzP1のいずれかに対比されると考えたが,2つの古土壌からはそれと矛盾しない年代値が得られた。
以上より,高野尾羽根溶岩ドームの南向き斜面にある窪地内では,KpfaからK-Ahまでの過去約2万3千年間に堆積したテフラ層が削剥されており,その不整合面をK-Ah降下以降の最近約7千年間に発達したクロボク層が覆っていたことが明らかになった。この窪地のある斜面が降雨では地すべりが起こらないような緩傾斜であることと合わせて考えると,K-Ah降下後の7,200〜7,000年前頃(7,164〜6,976calBP)に阿蘇山周辺を強い地震が襲い,2016年熊本地震時の高野台地すべりと類似の土砂移動現象が発生した可能性がある。