JpGU-AGU Joint Meeting 2017

講演情報

[JJ] 口頭発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-QR 第四紀学

[H-QR05] [JJ] ヒト-環境系の時系列ダイナミクス

2017年5月25日(木) 09:00 〜 10:30 106 (国際会議場 1F)

コンビーナ:須貝 俊彦(東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻)、小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、水野 清秀(国立研究開発法人産業技術総合研究所地質情報研究部門)、米田 穣(東京大学総合研究博物館)、座長:須貝 俊彦(東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻)、座長:水野 清秀(国立研究開発法人産業技術総合研究所地質情報研究部門)

09:15 〜 09:30

[HQR05-02] 後志利別川低地の氾濫原発達過程

*石井 祐次1,2 (1.名古屋大学環境学研究科地理学講座、2.日本学術振興会特別研究員DC)

キーワード:氾濫原、泥炭、海水準変動、気候変動、東アジア夏季モンスーン、完新世

沿岸域にみられる沖積低地においては,細粒な堆積物によって構成される氾濫源が発達することが多い.これらの氾濫原の発達過程は,主に氾濫堆積物やクレバススプレイ堆積物などの上方への累重によって特徴づけられる.そのため,これらの堆積物の上方への累重過程は多くの既存研究によって検討されてきた.しかし,完新世の氾濫原の発達過程を詳細な編年にもとづいて復元し,海水準変動および気候変動が氾濫原の発達過程に与える影響を数百年スケールで議論した例は少ない.本研究では北海道の渡島半島に位置する後志利別川低地を対象として氾濫原の発達過程を明らかにし,海水準変動および気候変動が氾濫原の発達過程に与えた影響を検討する.
後志利別川は流域面積が約720 km2,流路長が約80 kmと比較的小規模な河川である.氾濫原は幅約2 kmで南北を段丘や丘陵で境されており,東西に長い.三日月湖は現在の流路付近のみに分布しており,蛇行帯の外側には6つの泥炭地が認められる.泥炭層の層厚は3–6 mである.
13地点においてハンドオーガーにより最大深度5 mの試料を5 cm間隔で採取した.泥炭や有機質泥層を定量的に区分するために10 cm間隔で強熱減量を測定した.また,堆積物に含まれる植物片,枝,木片について放射性炭素年代測定をおこなった.さらに,深度5 m以深の層序を明らかにするため,既存ボーリング柱状図を収集して地形地質断面図を作成した.
後志利別川低地では最上部の泥炭層の下位に砂層が主に分布していることが,ハンドオーガーによる試料の採取および地形地質断面図から明らかである.これらの砂層はクレバススプレイや自然堤防堆積物と解釈され,これらの放棄にともない泥炭層が形成されるようになったと考えられる.泥炭層の下端から得られた年代値から,約6500 cal BPには既に泥炭層の形成が開始していた地点が存在すると考えられる.約6500 cal BP以降に泥炭地は次第に拡大し,約4000 cal BPには最も拡大したと推測される.異なる泥炭地において約5300–5000,4100–3900 cal BPに泥炭層の形成が開始した地点が認められることから,この時期におけるクレバススプレイおよび自然堤防の放棄とそれにともなう泥炭層の形成開始が,外的な要因の影響を受けた結果であることが示唆される.
後志利別川低地の約5300–5000,4100–3900 cal BPにおける泥炭層の形成開始は,約5600–5000,4000–3500 cal BPの東アジア夏季モンスーンの弱化にともなう降水量の低下に対比できる.東アジア夏季モンスーンの弱化による降水量の低下は,中国の多くの石筍の酸素同位体比の記録から示唆されている.この時期の夏季モンスーンの弱化は,花粉分析や様々な指標にもとづく湖水位変動の記録からも推測されている.また,後志利別川低地においては約4000 cal BP以降に泥炭層が連続的に形成されており,東アジア夏季モンスーンの強度が弱まっていた期間と一致する.したがって,東アジア夏季モンスーンの弱化による降水量の低下が流量の低下を引き起こし,クレバススプレイおよび自然堤防の放棄を促したと推測される.同様の気候変動に対する氾濫原の応答は,石狩低地においても確認されている.
一方,東アジア夏季モンスーンの弱化する約5600–5000 cal BP以前から,泥炭層の形成が部分的に開始していたことも明らかである.一般的に,完新世初期の急速な海水準上昇は氾濫原においてクレバススプレイの形成やアバルションにともなう急速なアグラデーションを引き起こす.そのため,汎世界的な海水準上昇速度が低下した約7000 cal BP以降には,アグラデーション速度は低下すると考えられる.後志利別川低地における約6500 cal BP以前の泥炭層の部分的な形成開始は,海水準上昇速度の低下が強く関連していると推測される.