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[HQR05-08] 30〜19 kaにおける高山景観への人類適応:最終氷期最寒冷期の黒曜石原産地開発
キーワード:黒曜石開発、後期旧石器時代、人間-環境相互作用
後期旧石器時代は最終氷期の寒冷気候に適応した狩猟採集民の社会である.石器に利用される石材は当時の生活資源であり,原産地が限定される黒曜石は特に重点的に獲得されていた.これまで,関東平野部の後期旧石器時代後半期前葉(約29〜25 ka cal BP)の遺跡では,長野県中部高地に産出する黒曜石の利用が減少することが経験的に知られており,LGMの寒冷・乾燥気候が標高1200 〜2000 mに分布する中部高地原産地へのアクセスを阻害していたのではないかと指摘されている.しかしながら,中部高地黒曜石の利用変動を示す定量的なデータや中部高地原産地の古環境記録は提示されておらず,仮説の域を出ていなかった.
本研究は,考古記録と古環境記録を統合することで,LGM気候と後期旧石器狩猟採集民の黒曜石獲得活動とのあいだの相互関係について検討する.このために3つのデータセットの相関を検討した.まず,中部・関東地方で得られた約8万点の黒曜石産地分析データを較正年代で区分した後期旧石器時代編年に組み込むことで,約38〜19 kaの黒曜石利用の変動を復元した.そして,中部高地原産地の後期旧石器遺跡の分布パターンにどのような通時的な変化があるかを観察した.これら黒曜石利用の変動と原産地遺跡パターンを中部高地に位置する標高1400 mの広原湿原で得られた過去3万年間の花粉記録(Yoshida et al., 2016)に放射性炭素較正年代を用いてマッチングさせた.データの相関は中部高地原産地の気候変動と景観に対する黒曜石資源の獲得活動に焦点をあて,30 ka以前,30〜25 ka,25〜20 ka,20〜19 kaの4つの段階に区分して変化を検討した.
結果は以下の通りである.(1)30 ka以前の中部高地黒曜石の利用は高い比率を示しているが,30〜25 kaにかけてその利用率は激減する.花粉記録(年間花粉堆積量:PARt)は,30 ka 以降、明らかに森林限界が1400 mよりも下降し原産地が高山景観に覆われていたことを示している.30〜25 kaの中部高地には遺跡がなく,石器製作などの人類活動が非常に希薄である.(2)25〜20 kaのLGM氷床拡大期には,花粉記録は引き続き森林限界が1400 m以下であり,中部高地の寒冷・乾燥化も20 kaにかけて進行していたことを示している.しかしながら,高山景観に遺跡が進出し明らかに遺跡数も増加している.また,大規模な遺跡が多く,原産地での黒曜石獲得と石器製作活動が活性化している.25〜20 kaの中部・関東地方全域での中部高地黒曜石利用も明らかに増加している.(3)20〜19 kaには17 kaに向かって森林限界の上昇が認められ,退氷期の温暖化を反映している.温暖化傾向にもかかわらず中部高地原産地の遺跡は減少し,中部高地黒曜石の利用の比率も減少した.これに対して,海洋運搬を必要とする神津島黒曜石の利用が急増し,中部高地黒曜石と拮抗する.また,中部高地黒曜石と神津島黒曜石は,中部・関東地方をそれぞれ北部と南部に二分するように分布している.
30〜19 kaにおける中部高地黒曜石原産地を覆った高山景観への人類適応は,複雑な経過をたどった.まず,30〜25 kaにおけるLGM初頭の気候寒冷化と中部高地へのアクセスの低下は強く相関している.平野部に近く標高の低い箱根や伊豆天城の原産地開発が拡大した.しかしながら25〜20 kaになると,依然として寒冷気候が支配的な高山景観への進出が活性化する.高山景観に対する居住技術の向上など文化的な適応が発達した結果と考えられる.そして,20〜19 kaの神津島黒曜石の利用増加は,中部高地を巡回して黒曜石を獲得する北部集団と神津島を巡回する南部集団が中部・関東地方に出現したことを強く示唆し,当時の狩猟採集集団の領域と編成に変動があった可能性が高い.したがって,中部高地原産地とその黒曜石の利用低下は,20 ka以降の寒冷気候の緩和と森林景観の発達という原産地の環境変化とはほぼ無関係であり,むしろ当時の社会構造の変化が資源開発行動に大きく影響を与えたと考えられる.
Yoshida, A., Kudo, Y., Shimada, K., Hashizume, J. and Ono, A. 2016 Impact of landscape changes on obsidian exploitation since the Palaeolithic in the central highland of Japan. Vegetation History and Archaeobotany, 25: 45-55.
本研究は,考古記録と古環境記録を統合することで,LGM気候と後期旧石器狩猟採集民の黒曜石獲得活動とのあいだの相互関係について検討する.このために3つのデータセットの相関を検討した.まず,中部・関東地方で得られた約8万点の黒曜石産地分析データを較正年代で区分した後期旧石器時代編年に組み込むことで,約38〜19 kaの黒曜石利用の変動を復元した.そして,中部高地原産地の後期旧石器遺跡の分布パターンにどのような通時的な変化があるかを観察した.これら黒曜石利用の変動と原産地遺跡パターンを中部高地に位置する標高1400 mの広原湿原で得られた過去3万年間の花粉記録(Yoshida et al., 2016)に放射性炭素較正年代を用いてマッチングさせた.データの相関は中部高地原産地の気候変動と景観に対する黒曜石資源の獲得活動に焦点をあて,30 ka以前,30〜25 ka,25〜20 ka,20〜19 kaの4つの段階に区分して変化を検討した.
結果は以下の通りである.(1)30 ka以前の中部高地黒曜石の利用は高い比率を示しているが,30〜25 kaにかけてその利用率は激減する.花粉記録(年間花粉堆積量:PARt)は,30 ka 以降、明らかに森林限界が1400 mよりも下降し原産地が高山景観に覆われていたことを示している.30〜25 kaの中部高地には遺跡がなく,石器製作などの人類活動が非常に希薄である.(2)25〜20 kaのLGM氷床拡大期には,花粉記録は引き続き森林限界が1400 m以下であり,中部高地の寒冷・乾燥化も20 kaにかけて進行していたことを示している.しかしながら,高山景観に遺跡が進出し明らかに遺跡数も増加している.また,大規模な遺跡が多く,原産地での黒曜石獲得と石器製作活動が活性化している.25〜20 kaの中部・関東地方全域での中部高地黒曜石利用も明らかに増加している.(3)20〜19 kaには17 kaに向かって森林限界の上昇が認められ,退氷期の温暖化を反映している.温暖化傾向にもかかわらず中部高地原産地の遺跡は減少し,中部高地黒曜石の利用の比率も減少した.これに対して,海洋運搬を必要とする神津島黒曜石の利用が急増し,中部高地黒曜石と拮抗する.また,中部高地黒曜石と神津島黒曜石は,中部・関東地方をそれぞれ北部と南部に二分するように分布している.
30〜19 kaにおける中部高地黒曜石原産地を覆った高山景観への人類適応は,複雑な経過をたどった.まず,30〜25 kaにおけるLGM初頭の気候寒冷化と中部高地へのアクセスの低下は強く相関している.平野部に近く標高の低い箱根や伊豆天城の原産地開発が拡大した.しかしながら25〜20 kaになると,依然として寒冷気候が支配的な高山景観への進出が活性化する.高山景観に対する居住技術の向上など文化的な適応が発達した結果と考えられる.そして,20〜19 kaの神津島黒曜石の利用増加は,中部高地を巡回して黒曜石を獲得する北部集団と神津島を巡回する南部集団が中部・関東地方に出現したことを強く示唆し,当時の狩猟採集集団の領域と編成に変動があった可能性が高い.したがって,中部高地原産地とその黒曜石の利用低下は,20 ka以降の寒冷気候の緩和と森林景観の発達という原産地の環境変化とはほぼ無関係であり,むしろ当時の社会構造の変化が資源開発行動に大きく影響を与えたと考えられる.
Yoshida, A., Kudo, Y., Shimada, K., Hashizume, J. and Ono, A. 2016 Impact of landscape changes on obsidian exploitation since the Palaeolithic in the central highland of Japan. Vegetation History and Archaeobotany, 25: 45-55.