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[HQR05-09] 森林限界の垂直移動と遺跡分布:オーストリア・北チロルの早期中石器時代
キーワード:北チロル 、ウラーフェルゼン遺跡、早期中石器時代、森林限界、遺跡立地
筆者らは,日本の中部山岳地長野県長和町の海抜1,400mに所在する後期旧石器時代から縄文時代早期におよぶ広原遺跡群において,黒曜石原石の獲得活動と周辺の森林限界の垂直移動の関係の解明に努めてきた.比較研究の観点から編年的に対比可能で精度の高いオーストリアの北チロルにある海抜1,869mのウラーフェルゼン遺跡を中心に更新世末から完新世初頭の遺跡立地と森林限界の関係を検討した.
ウラーフェルゼン遺跡は完新世プレボレアル期の早期中石器時代(ca. 112,000 cal yrBP-10,650 cal yrBP )の遺跡で,インスブルック市の南西約19kmの地点にあり,シュトゥバイアルプスの一部を成す.北方のドイツ(バイエルン),南方のチロル(イタリア側)の石材が認められ,盛んな交流と移動の証拠が具体的明らかにされた.石器の型式学的特徴からもこれが追証され,現在ドイツのドナウ川上流域のボロン文化Beuronian, 南チロルのソーヴェテル文化Sauveterrianの特長を示す石器が複数発見された.三角形細石器(トライアングル)は前者の,尖頭細石器は後者のそれを示す.異なる文化の集団がこの場を断続的に使用した証拠である.遺跡が形成されたころは氷床は遺跡よりも南に後退していたが,森林限界は遺跡地近くに迫ってはいたがまだ森林にはおおわれていなかったことが遺跡地の炭化物の分析から解明された.ボレアル期の後期中石器時代になると遺跡はさらに高所に立地するようになり,森林限界の上昇と遺跡立地の高所移動との間には相関があることが復元できる.アルプスアイベックスなど,森林限界近くの比較的植生の豊かなゾーンに生息する中型動物の狩猟などの生業との関係が規定要因であろうとの議論されている.時代が新しくなるにつれて高所に立地するようになるが,アトランティック期になると北チロルからは突然遺跡がなくなる.中石器時代になると集団の移動範囲は狭くなると一般に想定されている.ウラーフェルゼン遺跡のデータは,1)氷河が退いた広い空間に早期中石器時代の集団が後期旧石器時代の集団よりもいっそう広域の移動を伴う狩猟活動を展開したことを示し、また2)森林限界の垂直移動と遺跡立地の相関も,更新世-完新世移行期の環境変動と人類生業の応答を如実に示すものである.
ウラーフェルゼン遺跡は完新世プレボレアル期の早期中石器時代(ca. 112,000 cal yrBP-10,650 cal yrBP )の遺跡で,インスブルック市の南西約19kmの地点にあり,シュトゥバイアルプスの一部を成す.北方のドイツ(バイエルン),南方のチロル(イタリア側)の石材が認められ,盛んな交流と移動の証拠が具体的明らかにされた.石器の型式学的特徴からもこれが追証され,現在ドイツのドナウ川上流域のボロン文化Beuronian, 南チロルのソーヴェテル文化Sauveterrianの特長を示す石器が複数発見された.三角形細石器(トライアングル)は前者の,尖頭細石器は後者のそれを示す.異なる文化の集団がこの場を断続的に使用した証拠である.遺跡が形成されたころは氷床は遺跡よりも南に後退していたが,森林限界は遺跡地近くに迫ってはいたがまだ森林にはおおわれていなかったことが遺跡地の炭化物の分析から解明された.ボレアル期の後期中石器時代になると遺跡はさらに高所に立地するようになり,森林限界の上昇と遺跡立地の高所移動との間には相関があることが復元できる.アルプスアイベックスなど,森林限界近くの比較的植生の豊かなゾーンに生息する中型動物の狩猟などの生業との関係が規定要因であろうとの議論されている.時代が新しくなるにつれて高所に立地するようになるが,アトランティック期になると北チロルからは突然遺跡がなくなる.中石器時代になると集団の移動範囲は狭くなると一般に想定されている.ウラーフェルゼン遺跡のデータは,1)氷河が退いた広い空間に早期中石器時代の集団が後期旧石器時代の集団よりもいっそう広域の移動を伴う狩猟活動を展開したことを示し、また2)森林限界の垂直移動と遺跡立地の相関も,更新世-完新世移行期の環境変動と人類生業の応答を如実に示すものである.