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[HQR05-11] 景観変化の要因としての災害-福井県あわら市北潟湖地域を例として
キーワード:花粉分析、植生、災害
景観の形成は気候変動や人間活動、災害など多くの要素が絡まって形成される。現在、見られる里山の景観も、近年の人間活動の変化により大きく変化している。福井県嶺北地方に位置する北潟湖は大聖寺川の河口付近にあり、海側は砂丘、陸側は海岸段丘に囲まれ、平地部には水田が広がる。この地域には多くの考古学遺跡が分布し、古墳時代から平安時代には製塩や製鉄の活動も活発であったことが伺える。平地部では12世紀初頭に河口庄が春日一切経料所として奈良興福寺に寄進され、水田の開発が行われ、現在の平野部の景観が形成されたと考えられる。この地域での災害は多く記録されていないが、江戸時代、西暦1712年に塩害に起因した不作のために一揆が起こった記録がある。台風による高波によるものであった可能性がある。また、西暦1586年には天正津波が日本海側で起こったと言われるが、その影響はよく知られていない。ここでは、過去に起こった災害がどの程度周辺の景観に影響を与えたか検討した。2014年12月に北潟湖でロシア式ピートサンプラーによるボーリング調査を行い、3か所から採取したコアの花粉分析を行った。
花粉分析結果から、製塩活動が行われるようになる前は、平野部もカシやシイといった常緑広葉樹の森に覆われていたことがわかった。製塩活動により、平野部の森は伐採され、荘園の発達時期にはそこに水田が開発されたと考えられる。13世紀終わりになると主に海岸段丘上でソバ栽培が始まり、樹木は少なくなっていった。この樹木の少ない時代、大聖寺川河口付近のコアでは、草本花粉やシダ胞子の割合が非常に多いことから、今のような常緑樹の森はなかったと考えられる。17世紀にはマツ林が広がっていく。近年、スギ花粉が増加する。
植生への影響を与えた可能性のある災害は、1586年の天正の津波と1712年の一揆の前の塩害であるが、花粉分析結果を詳細にみると、大きくはないが短期間の変動が認められた。まず、天正の津波の層準付近の花粉分析結果では、花粉フラックスが全体的に減少する。それに対し、ニヨウマツ類の花粉減少は認められず、割合としてわずかにニヨウマツ類が増加していた。しかしながら、塩に強いアカザ科の花粉の増加は見られなかった。天正の地震の津波は大きな被害はもたらさなかったようである。一方、1712年ごろを見ると、アカザ科の花粉がフラックス、割合とも異様に増加する層準が認められた。塩害が起こっていたことが認められる。しかしながら、いずれも一過性であった。災害の植生への影響は認められたものの、長期に続くものではなかった。景観を大きく変化させる要因は、人間活動や気候のほうがはるかに大きい。
花粉分析結果から、製塩活動が行われるようになる前は、平野部もカシやシイといった常緑広葉樹の森に覆われていたことがわかった。製塩活動により、平野部の森は伐採され、荘園の発達時期にはそこに水田が開発されたと考えられる。13世紀終わりになると主に海岸段丘上でソバ栽培が始まり、樹木は少なくなっていった。この樹木の少ない時代、大聖寺川河口付近のコアでは、草本花粉やシダ胞子の割合が非常に多いことから、今のような常緑樹の森はなかったと考えられる。17世紀にはマツ林が広がっていく。近年、スギ花粉が増加する。
植生への影響を与えた可能性のある災害は、1586年の天正の津波と1712年の一揆の前の塩害であるが、花粉分析結果を詳細にみると、大きくはないが短期間の変動が認められた。まず、天正の津波の層準付近の花粉分析結果では、花粉フラックスが全体的に減少する。それに対し、ニヨウマツ類の花粉減少は認められず、割合としてわずかにニヨウマツ類が増加していた。しかしながら、塩に強いアカザ科の花粉の増加は見られなかった。天正の地震の津波は大きな被害はもたらさなかったようである。一方、1712年ごろを見ると、アカザ科の花粉がフラックス、割合とも異様に増加する層準が認められた。塩害が起こっていたことが認められる。しかしながら、いずれも一過性であった。災害の植生への影響は認められたものの、長期に続くものではなかった。景観を大きく変化させる要因は、人間活動や気候のほうがはるかに大きい。