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[HSC07-06] 北丹後地震における全壊家屋―犠牲者比率からみる地表地震断層近傍の人的被害について
キーワード:北丹後地震、全壊家屋―犠牲者比率、地表地震断層
内陸直下型地震の場合地表地震断層近傍に被害が集中する傾向になることは以前より指摘されている。しかし、地表地震断層が出現したときにその近傍に地震計が設置されている可能性は低く、地震後の余震では一般に地表地震断層は出現しないので地表地震断層出現時特有の現象についての解明は十分に行われていない。建物などの人工物が倒潰する現象が同じであっても、それがどのような経緯で倒潰に至るのかは耐震対策を考える上で重要である。本研究では建物被害に至る経緯の違いが人的被害に差異をもたらすのではないかと考え、北丹後地震の人的被害と建物被害の差に着目して地表地震断層近傍で被害が集中する現象について論じる。
北丹後地震は、1927 年(昭和2年)3 月 7 日18 時 28 分ごろに丹後半島基部で発生したマグニチュードは 7.3 の内陸直下型の地震である。死者2.898 人、負傷者 7.595 人、全壊家屋 4.899 戸となっており、人的・建物の両方に建物倒壊および火災によって甚大な被害がもたらされた地震である(地震調査研究推進本部,2014)。この地震に伴って、共役断層である郷村断層帯と山田断層帯沿いに郷村断層の陸上部18km、山田断層8km程度の地表地震断層が出現した。
本研究では永浜(1929)の『丹後地震誌』による旧市町村および字単位の集計データと財団法人丹後震災記念館(1927)の『昭和二年奥丹後震災 遭難者名簿』に書かれた戸ごとにおける犠牲者数と住所データを用いて分析し、一部聞き取り調査を実施した。
分析には火災による被害が大きかった旧峰山町および旧市場町を対象外とした。その結果、被害が大きかった地区の一つである久美浜地区は地表地震断層からは距離が有り、軟弱地盤である特徴がある。ここででは全壊率とともに半壊率も高く、半壊の延長に全壊があったと考えられる。この地域での人的被害は相対的に小さい。それに対して、郷村断層沿いの各集落では、旧市町村の統計でも字ごとの統計でも地表地震断層に近いほど建物被害に対する人的被害の割合が高い傾向が認められる。この傾向は郷集落内における家屋ごとの分析でも認められ、地表地震断層から100m以内では顕著に被害が大きく200mを越えると被害が小さくなることが明らかとなった。断層沿いに被害が集中することは、地表地震断層にのみ認められ、山田断層沿いの地表地震断層が出現しなかった場所では認めることができない。これは地表地震断層が出現する際の加速度の変化などが衝撃的なダメージを建物に及ぼし瞬時に全壊したことを示唆している。
北丹後地震は、1927 年(昭和2年)3 月 7 日18 時 28 分ごろに丹後半島基部で発生したマグニチュードは 7.3 の内陸直下型の地震である。死者2.898 人、負傷者 7.595 人、全壊家屋 4.899 戸となっており、人的・建物の両方に建物倒壊および火災によって甚大な被害がもたらされた地震である(地震調査研究推進本部,2014)。この地震に伴って、共役断層である郷村断層帯と山田断層帯沿いに郷村断層の陸上部18km、山田断層8km程度の地表地震断層が出現した。
本研究では永浜(1929)の『丹後地震誌』による旧市町村および字単位の集計データと財団法人丹後震災記念館(1927)の『昭和二年奥丹後震災 遭難者名簿』に書かれた戸ごとにおける犠牲者数と住所データを用いて分析し、一部聞き取り調査を実施した。
分析には火災による被害が大きかった旧峰山町および旧市場町を対象外とした。その結果、被害が大きかった地区の一つである久美浜地区は地表地震断層からは距離が有り、軟弱地盤である特徴がある。ここででは全壊率とともに半壊率も高く、半壊の延長に全壊があったと考えられる。この地域での人的被害は相対的に小さい。それに対して、郷村断層沿いの各集落では、旧市町村の統計でも字ごとの統計でも地表地震断層に近いほど建物被害に対する人的被害の割合が高い傾向が認められる。この傾向は郷集落内における家屋ごとの分析でも認められ、地表地震断層から100m以内では顕著に被害が大きく200mを越えると被害が小さくなることが明らかとなった。断層沿いに被害が集中することは、地表地震断層にのみ認められ、山田断層沿いの地表地震断層が出現しなかった場所では認めることができない。これは地表地震断層が出現する際の加速度の変化などが衝撃的なダメージを建物に及ぼし瞬時に全壊したことを示唆している。