JpGU-AGU Joint Meeting 2017

講演情報

[JJ] 口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-IS ジョイント

[M-IS23] [JJ] 古気候・古海洋変動

2017年5月22日(月) 13:45 〜 15:15 国際会議室 (国際会議場 2F)

コンビーナ:入野 智久(北海道大学 大学院地球環境科学研究院)、岡 顕(東京大学大気海洋研究所)、北場 育子(立命館大学古気候学研究センター)、佐野 雅規(総合地球環境学研究所)、座長:岡崎 裕典(九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門)

14:15 〜 14:30

[MIS23-09] 樹木年輪酸素同位体比の年層内データと古日記天気記録による江戸時代三大飢饉期の高分解能気候復元

★招待講演

*庄 建治朗1荒神 勇太2濱田 育実1鎌谷 かおる3佐野 雅規3對馬 あかね3中塚 武3 (1.名古屋工業大学、2.大成建設(株)、3.総合地球環境学研究所)

キーワード:樹木年輪セルロース、酸素安定同位体比、年層内変動、相対湿度、江戸三大飢饉、古日記天気記録

樹木年輪中のセルロースの酸素安定同位体比(δ18O)は、年輪形成当時の相対湿度をよく反映することが確かめられている。従来、セルロース酸素同位体比の測定には多大な時間と労力を要したが、近年の同位体比分析装置と試料作製技術の進歩により、現在では以前よりも飛躍的に測定効率が高まり、1年輪毎に測定するだけでなく、その年層内の細かな変動まで連続的に測定することも可能になった。本研究は、気候変化が江戸時代の社会に重大な影響を及ぼしたとされる三大飢饉期(享保、天明、天保)を中心とした時期について、年輪酸素同位体比の年層内変動を測定し、従来よりも高時間分解能で当時の気候の特異性を探ることを目的とする。

樹木年輪試料には、滋賀県太神山産のヒノキ2個体を用いた。一方は18世紀初頭まで遡る300近い年輪数を持つ個体(F11)、他方は樹齢約150年で最近数十年分の年輪幅が広い個体(A5)である。測定対象期間は、江戸時代の享保期(1716-1736年)、天明期(1781-1789年)、天保期(1831-1845年)前後の時期(F11)と、気象観測データと重なる20世紀中~後期(F11及びA5)とした。サンプルは「板ごと抽出法」により、厚さ約2mmの木口面の板からセルロースを抽出した後、双眼実体顕微鏡下で眼科用ナイフを用いて年層内を成長方向に細分割した。年層内の分割数は12を基本とし、幅が狭い年輪では6または2分割、特に広い年輪では24分割とした。同位体比測定には、総合地球環境学研究所に設置の熱分解元素分析計と同位体質量分析計のオンラインシステム(TCEA-Delta V Advantage)を用いた。

20世紀中~後期についての測定結果を相対湿度(彦根)のデータと照合した結果、年輪酸素同位体比の年層内変動パターンは数週間程度の時間分解能で成長期の湿度の変動をよく反映していることが分かった。また、成長期は概ね5~7月(F11)または5~9月(A5)であり、2つの個体で成長期の終了時期が大きく異なることが分かった。この結果を用いて、年層内の前半部分(F11)または年層内の前期1/3(A5)の酸素同位体比データを用いることによって初夏~梅雨季前期(概ね5月下旬~6月中旬)の、年層内の後半部分(F11)または年層内の中期1/3(A5)の酸素同位体比データを用いることによって梅雨季中~後期(概ね6月下旬~7月中旬)の、経年的な乾湿変動をそれぞれ復元した(図)。初夏~梅雨季前期については、享保年間(1716~1736年)に酸素同位体比が数年周期で激しく変動している時期が見られた。江戸時代は近世小氷期にあたり、現代より冷涼多雨の気候であったとされるが、この時期には梅雨入りが遅れて5~6月に近年の渇水年と同程度に乾燥した年が数年おきに訪れていたと推測される。享保の大飢饉が発生した1732年もそのような年にあたる。また、天保年間(1831-1845年)には、乾燥傾向にあった1820年代から急激に湿潤化が進んでおり、天保の飢饉のピークとされる1836年に湿潤のピークに達している。この時期には5月頃から梅雨のような天候であったと考えられる。梅雨季中~後期については、初夏~梅雨季前期のような酸素同位体比の激しい変動は見られない。享保期頃には特に変動が小さく、比較的湿潤な年が連続していたと考えられる。

梅雨季を中心とした夏季の乾湿変動を月単位ないしそれ以上の時間分解能で連続的に復元するため、江戸時代の他の時期についても年層内酸素同位体比の分析を順次進めていく予定である。また、上記の結果を検証するとともに、樹木成長期以外の季節の気候変化を復元するため、もう一つの高時間分解能資料である古日記天気記録の収集整理も江戸時代の京都・近江地域を中心に進めているところである。