JpGU-AGU Joint Meeting 2017

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[JJ] ポスター発表

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[O-05] 高校生によるポスター発表

2017年5月21日(日) 13:45 〜 15:15 ポスター会場 (国際展示場 7ホール)

13:45 〜 15:15

[O05-P01] 「二條家内々御番所日次記」からみた江戸時代の天気―「関口日記」との比較―

*米沢 玲来1、*下園 麗1 (1.池田学園池田中学・高等学校)

1 研究の動機
国語の時間に教わった、永井荷風の日記「断腸亭日乗」に天気の記述があることを知り、日本最古の天気図、即ち、明治16年以前の天気を知るために、古文書を探し、江戸時代の天気が記録された「関口日記」を見つけた。関口日記とは、武蔵国橘樹郡生麦村(現在の神奈川県鶴見区生麦) に居住していた関口家の歴代の当主5人が、1762年 (宝暦12年)から1901年(明治34年)までの約140年間、ほぼ毎日のように天候や生活の実体を書き継いできた全部で90冊の古文書である。
今年は、「二條家内々御番所日次記」を分析した。「二條家内々番所日次記」は二條家の旧蔵資料で1635年(寛永12年)~1912年(明治45年)まで、途中の欠落もあるが、京都で起きた事柄や天気を記録してある。
2 研究の目的
江戸時代の京都の古文書「二條家内々御番所日次記」の天気をデータ化して分析し、現代のデータや昨年調べた、江戸時代の古文書「関口日記」のデータと比較する。
3 研究の方法
(1)気象の記述をデジタル化する際に、西暦と和暦は併記しましたが、天気の出現率の比較は西暦で括って算出した。1年の3分の1以上欠落がある年も、2月29日も、集計から削除しました。
(2) 「二條家内々御番所日次記」に記録された天気は、現代の気象庁の判断に近づけて、分類した。
(3) 1739年9月1日・天文4年7月28日の「曇 午ノ半刻ゟ晴」のような記述は、24時間のうち、8割以上(19時間)曇っていれば「曇り」、19時間未満であれば「晴れ」と雲量を時間に換算して分類した。
4 データ①
天気の年間出現率を現代と比較すると、江戸時代はどの期間でも晴れの出現率が70%前後と高く、雨と雪は出現率が低いことがわかった。1782年から1787年は天明の飢饉の期間で、この飢饉の期間を含む時期の晴れの出現率は66.9%で調査した中で最低である。1835年から1837年までは天保の飢饉の期間で、雨と雪の出現率はいずれも一番低い期間である。
データ②
1677年から1867年までの晴れと雨の出現率をグラフにするとどの飢饉の期間も晴れの出現率は下がるとわかった。
データ③
江戸時代の京都の初雪は現代よりも遅く、終雪は2月が大半で現代よりも早く、初雪から終雪の期間が短いことがわかった。
5 結果
江戸時代の天気は、晴れの出現率は現代より15%以上高く、雨と雪の出現率は低いとわかった。また、雪は春よりも冬の出現率が特に高い。
6 考察
「二條家内々御番所日次記」から見ると、江戸時代はデータ①のように、雨と雪の出現率が低く、小氷期の影響を受けていると考えられる。
江戸時代は暖気が弱かった影響で、南岸低気圧があまり発達をしないために、3月~5月の雪の日が少なくなったと考察した。
また、データ②のように、晴れの出現率が高いのは、冬季のシベリア高気圧が強いため、結果的に日本付近で冬型の気圧配置となったためと考える。
7 今後の課題
他の古文書をデータ化して、さらに幅広い年代と地域で天気を分析する。