13:45 〜 15:15
[O05-P37] 古狩野湾の復元
キーワード:縄文海進、ウバメガシ、伊豆半島
Ⅰ.動機
最終氷期後の約6000年前に、地球の平均気温が上昇したことにより海面が2~3m上昇する縄文海進が起きた。その際、伊豆半島の田方平野にも海が進行し、古狩野湾を形成したとされている。しかし、その海岸線は特定されていない。そこで海岸線を確定するためにこの研究を始めた。
Ⅱ.方法
1.地質調査データの解析
GIS(静岡県地理情報システム)を使用し、平成22年から27年度に狩野川中~下流域で行われたボーリングデータの中から「貝殻片を含む」とあるデータを抽出し、緯度・経度をもとに分布図を作り、分布図より柱状図をつなげて断面図化する。また、伊豆の国市役所に実際のボーリングで採取した土をお借りして貝殻片を取りだし、地球科学研究所に放射性炭素年代測定を依頼し、年代を確認する。
2.ウバメガシ林の分布の解析
インターネット上の航空写真を用いて、ウバメガシの分布の予想を立て、田方平野の15ヶ所に実地調査に行きウバメガシを確認し、その分布を調べる。また、伊豆半島沿岸部のウバメガシ6本と、内陸部の3本の計9本を採集し、その葉の葉緑体のDNAを抽出して、非コード領域trnT-trnFスペーサー、trnLイントロン及びtrnL-trnFスペーサー2)をPCR法によって増幅させ電気泳動法を行い、その遺伝的差異から、ウバメガシが縄文海進によってその分布を広げたことを確認する。
Ⅲ.結果
地質調査データの解析
貝殻片を含んでいたのは、約3000年前の皮子平の噴火による軽石の層と約10000年前の富士山の噴火による凝灰岩の層に挟まれたシルト層であり、その最奥部は伊豆の国市白山堂付近であった。そして、14C年代測定の結果、取り出した貝殻片は、海進のピークである1950年を基準として6600~7150年前のものだった。
2.ウバメガシ林の分布の解析
実地調査に行った15ヶ所のうち、ウバメガシを確認できたのは7ヶ所で、いずれも伊豆の国市大仁の水晶山より下流側であった。ウバメガシの確認できなかった8ヶ所では、いずれもシラキとみられる植物が確認された。また電気泳動法ではすべてのDNAを増幅することはできなかった。
Ⅳ.考察
・貝殻片を含んでいた層の年代は3000~10000年前、その貝が生存していたのは約7000年前で、縄文海進の年代と一致すると言える。
・貝殻片を含むシルト層がみられた最奥部である伊豆の国市白山堂より上流側の地域では、標高が上がっているため、海面は上がってきていなかったと考えられる。そのため、地質調査データの解析から古狩野湾の最奥部は、伊豆の国市白山堂付近であると予想される。
・狩野川の東側と西側で、貝殻片の見つかる深度に差があったことは、駿河湾でフィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈降していることと関連しているか、田方平野の中央部に断層があるとも考えられる。
・狩野川流域のウバメガシ林の分布から、古狩野湾の最奥部は大仁の水晶山付近であると考えられる。
・8ヶ所でシラキが見られた原因としては、ウバメガシが常緑樹であるのに対し、航空写真で枝分かれを基準に調査対象の場所を決めたためと考えられる。PCRの結果が出なかったため、DNA抽出方法等を検証していきたい。
以上から、古狩野湾の最奥部は、伊豆の国市白山堂付近であり、現在の標高15m以下の地域に広がっていたと推測される。(fig.参照)
Ⅴ.結論及び今後の展望
この研究により、古狩野湾の大まかな海岸線を復元することができた。かつて古狩野湾であった田方平野の大部分の地盤が軟弱である可能性が高いので、今後、貝殻片が含まれていたシルトの土壌的性質や東西の地層の傾きの原因、ウバメガシのより詳細な分布を調べ、立体図を作成し、田方平野の地震の揺れの予想や対策につなげていきたい。また、ウバメガシの遺伝的差異については、確実に差異を確認するために、DNAシーケンサを使った遺伝子解析を行いたい。
Ⅵ.謝辞
本研究を進めるにあたり、伊豆半島ジオパーク推進協議会事務局専任研究員、鈴木雄介様にご協力をいただきました。厚く御礼申し上げます。
Ⅶ.参考文献
1)静岡県交通基盤部技術管理課「静岡県地理情報システム 静岡地質情報(https://www.gis.pref.shizuoka.jp/)
2)Pierre Taberlet, et al: Universal primers for amplification oh three non-coding regions of chloroplast DNA. Plant Molecular Biology 17: 1105-1109 (1991).
最終氷期後の約6000年前に、地球の平均気温が上昇したことにより海面が2~3m上昇する縄文海進が起きた。その際、伊豆半島の田方平野にも海が進行し、古狩野湾を形成したとされている。しかし、その海岸線は特定されていない。そこで海岸線を確定するためにこの研究を始めた。
Ⅱ.方法
1.地質調査データの解析
GIS(静岡県地理情報システム)を使用し、平成22年から27年度に狩野川中~下流域で行われたボーリングデータの中から「貝殻片を含む」とあるデータを抽出し、緯度・経度をもとに分布図を作り、分布図より柱状図をつなげて断面図化する。また、伊豆の国市役所に実際のボーリングで採取した土をお借りして貝殻片を取りだし、地球科学研究所に放射性炭素年代測定を依頼し、年代を確認する。
2.ウバメガシ林の分布の解析
インターネット上の航空写真を用いて、ウバメガシの分布の予想を立て、田方平野の15ヶ所に実地調査に行きウバメガシを確認し、その分布を調べる。また、伊豆半島沿岸部のウバメガシ6本と、内陸部の3本の計9本を採集し、その葉の葉緑体のDNAを抽出して、非コード領域trnT-trnFスペーサー、trnLイントロン及びtrnL-trnFスペーサー2)をPCR法によって増幅させ電気泳動法を行い、その遺伝的差異から、ウバメガシが縄文海進によってその分布を広げたことを確認する。
Ⅲ.結果
地質調査データの解析
貝殻片を含んでいたのは、約3000年前の皮子平の噴火による軽石の層と約10000年前の富士山の噴火による凝灰岩の層に挟まれたシルト層であり、その最奥部は伊豆の国市白山堂付近であった。そして、14C年代測定の結果、取り出した貝殻片は、海進のピークである1950年を基準として6600~7150年前のものだった。
2.ウバメガシ林の分布の解析
実地調査に行った15ヶ所のうち、ウバメガシを確認できたのは7ヶ所で、いずれも伊豆の国市大仁の水晶山より下流側であった。ウバメガシの確認できなかった8ヶ所では、いずれもシラキとみられる植物が確認された。また電気泳動法ではすべてのDNAを増幅することはできなかった。
Ⅳ.考察
・貝殻片を含んでいた層の年代は3000~10000年前、その貝が生存していたのは約7000年前で、縄文海進の年代と一致すると言える。
・貝殻片を含むシルト層がみられた最奥部である伊豆の国市白山堂より上流側の地域では、標高が上がっているため、海面は上がってきていなかったと考えられる。そのため、地質調査データの解析から古狩野湾の最奥部は、伊豆の国市白山堂付近であると予想される。
・狩野川の東側と西側で、貝殻片の見つかる深度に差があったことは、駿河湾でフィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈降していることと関連しているか、田方平野の中央部に断層があるとも考えられる。
・狩野川流域のウバメガシ林の分布から、古狩野湾の最奥部は大仁の水晶山付近であると考えられる。
・8ヶ所でシラキが見られた原因としては、ウバメガシが常緑樹であるのに対し、航空写真で枝分かれを基準に調査対象の場所を決めたためと考えられる。PCRの結果が出なかったため、DNA抽出方法等を検証していきたい。
以上から、古狩野湾の最奥部は、伊豆の国市白山堂付近であり、現在の標高15m以下の地域に広がっていたと推測される。(fig.参照)
Ⅴ.結論及び今後の展望
この研究により、古狩野湾の大まかな海岸線を復元することができた。かつて古狩野湾であった田方平野の大部分の地盤が軟弱である可能性が高いので、今後、貝殻片が含まれていたシルトの土壌的性質や東西の地層の傾きの原因、ウバメガシのより詳細な分布を調べ、立体図を作成し、田方平野の地震の揺れの予想や対策につなげていきたい。また、ウバメガシの遺伝的差異については、確実に差異を確認するために、DNAシーケンサを使った遺伝子解析を行いたい。
Ⅵ.謝辞
本研究を進めるにあたり、伊豆半島ジオパーク推進協議会事務局専任研究員、鈴木雄介様にご協力をいただきました。厚く御礼申し上げます。
Ⅶ.参考文献
1)静岡県交通基盤部技術管理課「静岡県地理情報システム 静岡地質情報(https://www.gis.pref.shizuoka.jp/)
2)Pierre Taberlet, et al: Universal primers for amplification oh three non-coding regions of chloroplast DNA. Plant Molecular Biology 17: 1105-1109 (1991).