13:45 〜 14:15
[O06-01] 山陰海岸ユネスコ世界ジオパークにおける行政・大学・博物館のかかわり方の変遷
★招待講演
キーワード:ジオパーク、山陰海岸、博物館
山陰海岸ジオパークは京都府京丹後市、兵庫県の豊岡市・香美町・新温泉町、鳥取県の岩美町・鳥取市の6市町からなるジオパークである。2008年、日本で最初の世界ジオパークの候補地が選定される際、山陰海岸ジオパークも立候補したが落選し、日本ジオパークネットワークのメンバーとなった。その後2010年に世界ジオパークとなり、2014年に再認定され、現在は2018年の2度目の再審査を目前としている。この講演では、その過程でジオパークに関わる行政・博物館・大学それぞれの関わり方がどのように変わってきたかを紹介し、現在の問題点と今後の展望について述べる。
(1)2008年:世界ジオパークへの立候補と落選
山陰海岸ジオパークは2008年に世界ジオパークネットワーク申請候補に立候補し、落選したが、この時点で推進の中心を担っていたのは一つの町の職員とごく一部の人間であり、市民のジオパークに対する関心は低かった。この脆弱な組織体制と市民の無関心が落選した理由の一つとなっているが、その背景にはジオパークを推進する側のジオパークに対する認識不足もあった。たとえば当時よく唱えられていた「山陰海岸は地質の博物館」という標語に現れているように、ジオパークになるためには美しいサイト、珍しいサイト、価値のあるサイトなどがたくさんありさえすればよいという意識がそうである。この時点でジオパークには大学の名誉教授クラスの複数の研究者が顧問としてかかわっていたが、彼らへの期待は学術的知見の提供であって運営への参画ではなかった。
(2)2009年~2010年:体制の強化と世界ジオパーク認定
2009年に新たに「山陰海岸ジオパーク推進協議会」が設立され、その事務局は豊岡市にある兵庫県総合庁舎内に設置された。メンバーは各府県市町からの出向職員である。それによってこれまでとは異なる強固な推進体制を作り上げ、強力なリーダーシップによって活動を推進した。この過程でかかわる専門家も一新し、顧問ではなく専門部会員としてなった。ここでは現役の大学および博物館の研究者が事務局員とともに実働し、ジオストーリーを作り上げ、運営体制や実施プログラムなどを作り上げてきた。なかでも兵庫県立人と自然の博物館の参画は同博物館でのノウハウを活かし、ジオパーク内でのキャラバン事業やセミナーなどを展開し、市民のジオパークへの認識を高める一助となった。これらによってジオパークの強力な推進体制を作り上げ、山陰海岸ジオパークは2010年に世界ジオパークネットワークの一員となった。
(3)2011年~現在:行政主体のジオパーク活動から市民主体の活動への模索
山陰海岸ジオパークの組織は、府県市町の代表と担当者(主として観光・商工・地域振興等の課員)、観光協会や商工会の代表などを主とする山陰海岸ジオパーク推進協議会とそこに設置された各部会(学術部会、教育部会、保護保全部会、地域産業部会、ツーリズム部会、ガイド部会)およびその代表からなる運営委員会、そして行政の事務系職員を主体とする事務局で組織される。大学や博物館などの専門家は各部会の委員を務めるが、公式には推進協議会や事務局の構成員ではない。
そこで2010年に兵庫県立大学の自然・環境科学研究所ではもともとジオパーク地域内にあったコウノトリの郷公園内にジオパークを研究・支援する部門を設置し、教員3名がジオパークの活動支援に加わることとなった。そしてそのうち教員2名は人と自然の博物館の研究員、1名はジオパーク推進協議会の研究員を兼務することとなった。これによってジオパークと大学・博物館の連携も確保された。2014年に兵庫県立大学に新たな大学院地域資源マネジメント研究科が設置されるとともに、協議会事務局と兼務していた教員は大学院の専任となり、協議会事務局に専門家は存在しなくなったが、同大学院のジオ分野の教員3名が学識専門員として事務局の運営を支援することとなった。このほか、2012年に兵庫県立大学、2013年に鳥取県立大学がジオパーク推進協議会と包括的協定を結び、大学とジオパークの連携も深まっている。
現在、山陰海岸ジオパークの運営の実質的主体は行政職員が担っている。山陰海岸はその強固な体制によって世界ジオパークに認定され、その後の再認定、APGNの開催などを成し遂げてきた。その一方、行政主体の事務局員は毎年そのほぼ半数が交代するため、活動の継続性が担保されないなど、いくつかの問題点が存在する。現在行われている、研究者・地元の業者・ガイドなどが中心となって進めているジオ談会や、ビジネスフォーラム、アクティビティ業者の連携などが、その問題点を解消するための方策として期待される。
(1)2008年:世界ジオパークへの立候補と落選
山陰海岸ジオパークは2008年に世界ジオパークネットワーク申請候補に立候補し、落選したが、この時点で推進の中心を担っていたのは一つの町の職員とごく一部の人間であり、市民のジオパークに対する関心は低かった。この脆弱な組織体制と市民の無関心が落選した理由の一つとなっているが、その背景にはジオパークを推進する側のジオパークに対する認識不足もあった。たとえば当時よく唱えられていた「山陰海岸は地質の博物館」という標語に現れているように、ジオパークになるためには美しいサイト、珍しいサイト、価値のあるサイトなどがたくさんありさえすればよいという意識がそうである。この時点でジオパークには大学の名誉教授クラスの複数の研究者が顧問としてかかわっていたが、彼らへの期待は学術的知見の提供であって運営への参画ではなかった。
(2)2009年~2010年:体制の強化と世界ジオパーク認定
2009年に新たに「山陰海岸ジオパーク推進協議会」が設立され、その事務局は豊岡市にある兵庫県総合庁舎内に設置された。メンバーは各府県市町からの出向職員である。それによってこれまでとは異なる強固な推進体制を作り上げ、強力なリーダーシップによって活動を推進した。この過程でかかわる専門家も一新し、顧問ではなく専門部会員としてなった。ここでは現役の大学および博物館の研究者が事務局員とともに実働し、ジオストーリーを作り上げ、運営体制や実施プログラムなどを作り上げてきた。なかでも兵庫県立人と自然の博物館の参画は同博物館でのノウハウを活かし、ジオパーク内でのキャラバン事業やセミナーなどを展開し、市民のジオパークへの認識を高める一助となった。これらによってジオパークの強力な推進体制を作り上げ、山陰海岸ジオパークは2010年に世界ジオパークネットワークの一員となった。
(3)2011年~現在:行政主体のジオパーク活動から市民主体の活動への模索
山陰海岸ジオパークの組織は、府県市町の代表と担当者(主として観光・商工・地域振興等の課員)、観光協会や商工会の代表などを主とする山陰海岸ジオパーク推進協議会とそこに設置された各部会(学術部会、教育部会、保護保全部会、地域産業部会、ツーリズム部会、ガイド部会)およびその代表からなる運営委員会、そして行政の事務系職員を主体とする事務局で組織される。大学や博物館などの専門家は各部会の委員を務めるが、公式には推進協議会や事務局の構成員ではない。
そこで2010年に兵庫県立大学の自然・環境科学研究所ではもともとジオパーク地域内にあったコウノトリの郷公園内にジオパークを研究・支援する部門を設置し、教員3名がジオパークの活動支援に加わることとなった。そしてそのうち教員2名は人と自然の博物館の研究員、1名はジオパーク推進協議会の研究員を兼務することとなった。これによってジオパークと大学・博物館の連携も確保された。2014年に兵庫県立大学に新たな大学院地域資源マネジメント研究科が設置されるとともに、協議会事務局と兼務していた教員は大学院の専任となり、協議会事務局に専門家は存在しなくなったが、同大学院のジオ分野の教員3名が学識専門員として事務局の運営を支援することとなった。このほか、2012年に兵庫県立大学、2013年に鳥取県立大学がジオパーク推進協議会と包括的協定を結び、大学とジオパークの連携も深まっている。
現在、山陰海岸ジオパークの運営の実質的主体は行政職員が担っている。山陰海岸はその強固な体制によって世界ジオパークに認定され、その後の再認定、APGNの開催などを成し遂げてきた。その一方、行政主体の事務局員は毎年そのほぼ半数が交代するため、活動の継続性が担保されないなど、いくつかの問題点が存在する。現在行われている、研究者・地元の業者・ガイドなどが中心となって進めているジオ談会や、ビジネスフォーラム、アクティビティ業者の連携などが、その問題点を解消するための方策として期待される。