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[SSS12-03] 1855年安政江戸地震時の地変・発光現象・被害分布から推定されることー予察的検討;NNE-SSW系地震断層の可能性-
キーワード:安政江戸地震、発光現象、NNE-SSW系地震断層、首都直下伏在断層、被害分布
1.はじめに
安政二年十月二日(1855年11月11日)の夜四つ頃(午後10時頃)に江戸及びその周辺を襲った安政江戸地震(マグニチュード6.9)は,江戸城下の大名屋敷を始め,社寺,町方の住居の倒壊ならびに多くの死傷者がでるなどの大きな被害を及ぼしたことが知られている(宇佐見,1996など).この地震の被害については,被害に関する幕府等の公式記録・個人の日記・かわら版などの記録が多く残されていることから,家屋被害や人的被害の程度は多くの研究者によって研究されており,明治より前であるにもかかわらず,その地震像はかなり細かなことまで判明している(宇佐見,1995・1996;中村他,2003a;中村他,2003bなど).
安政江戸地震に関しては,江戸には知的好奇心が旺盛な武士や町方がいたため,地震に伴う建物や人的被害にとどまらず,地変や宏観現象が発生したことを記録した古文書が残されており,かつまた、よく整理がなされている(佐山:東京都総務局,1973).発表者は,これらの貴重な地変・地震異常の記録のうち発光現象および地下水の異常の記録について,その他地質情報や被害状況も合わせて分析を試みてきた.その結果,安政江戸地震に関して興味深い地震像が得られる可能性があるので,予察的に報告する.
2.地震に伴う地変・異常現象・被害等
安政江戸地震前後の地変・異常現象については,地震の直後に記録された史料があり,その記録した人物も明らかになっている点,信頼性の高いものと考えられる.代表的な史料として,武江地動之記と安政見聞録である.なお,これらの記録は,佐山(東京都,1979)によってその種類,内容,場所,史料名などが整理されているので,これに従った.種類としては,①地割,②石垣の崩れ,③地面の凹凸,④崖崩れ,⑤橋の損壊,⑥井戸水の増・減,⑦音・震動が聞こえた方向,⑧光及び方向に分けられている.①から⑤までの地変については,震度に関わる事象として区分されるが,⑥と⑦に関しては,震源域の地殻・地盤変動に関わる事象として区分され得ると考えられる.
また,地震による建物の被害等から震度分布を推定したものは,佐山(1979),宇佐美(1995),中村他(2002)など多くある.
1) 発光現象
発光現象については,佐山(1979)は「光及方向」としてまとめているが,まず「光」については自分がいる周囲が明るくなったと感じた種類のもの(Sタイプと仮称)およびそこからの方位や場所で方向を示す記述があるもの(Dタイプと仮称)に分類され,その他,炎のように見えるもの(Fタイプと仮称)も記録されている.Sタイプの箇所を含み,かつDタイプの観察箇所をみると,北端は日暮里付近にあり,南端は品川付近,東端は築地から浅草付近,西端は飯田橋西方付近にあることになる.その分布範囲は,NNE-SSW方向に長軸を持つ楕円形内に収まり,そしてその延長は約12km,幅は約1.5kmとなる.Fタイプの観察箇所もその中に含まれている.
地震の際の発光現象は,1945年1月の三河地震や1995年1月の兵庫県南部地震など,比較的多くの地震時に観察されていたことが知られている(力武・齋藤,2006;山口他,2001など).また,地震時の発光現象の原因を研究する目的で,石英を含む花崗岩等の岩石破壊試験がなされており,発光現象が断層沿いで観察されている(Kato etal.,2010など).これらの発光現象が,本震および余震分布域によくco-seismic現象として観察されていること,および岩石の破壊実験に伴う断層沿いで認められていることから.震源断層の分布位置と密接に関係するとみることができよう.
これらの発光現象が認められた範囲が,日暮里付近から品川付近に向かって約13km延び,その幅が約3kmの楕円形を示すことは,本震の地震断層は山の手台地内をNNE-SSW方向に延びていたことを示唆する可能性がある.
2) 地下水等の増減
地下水の増減に関しては,武江地動之記によると,神田平永町で地震前に路地口の外に水の湧出がったこと,浅草蔵前で数日前土中の竹の穴跡から水が湧きでるなど,かなり顕著な地下水の湧出が記録されている.また,これとは反対に赤坂では井戸水が低下した箇所が知られている.
これらの地変の発生箇所は,上記の発光現象の分布範囲に入る.
3)被害分布
安政江戸地震に伴う家屋・寺社・大名屋敷などの被害状況に基づき,震央域付近の震度分布図が作成されている(佐山,1979;宇佐美,1995;中村他,2002など).震度分布および山の手台地内の谷底低地部や隅田川以東の軟弱地盤による揺れやすさの点を考慮すると,大きな地震動が生じたのは山の手台地東側の可能性が高く,また,上記の楕円形の範囲とかなり重なっている.
3.想起される地震断層
安政江戸地震に伴う発光現象および地下水変動,ならびに震度分布から推論される震源断層は,日暮里付近から品川へかけてのNNE-SSW系で,その強震動域から推定される震央域は山の手台地東側にある可能性が高いと考えている.ただ,いくつかの課題もあり,今後さらに検討を加えていく予定である.
安政二年十月二日(1855年11月11日)の夜四つ頃(午後10時頃)に江戸及びその周辺を襲った安政江戸地震(マグニチュード6.9)は,江戸城下の大名屋敷を始め,社寺,町方の住居の倒壊ならびに多くの死傷者がでるなどの大きな被害を及ぼしたことが知られている(宇佐見,1996など).この地震の被害については,被害に関する幕府等の公式記録・個人の日記・かわら版などの記録が多く残されていることから,家屋被害や人的被害の程度は多くの研究者によって研究されており,明治より前であるにもかかわらず,その地震像はかなり細かなことまで判明している(宇佐見,1995・1996;中村他,2003a;中村他,2003bなど).
安政江戸地震に関しては,江戸には知的好奇心が旺盛な武士や町方がいたため,地震に伴う建物や人的被害にとどまらず,地変や宏観現象が発生したことを記録した古文書が残されており,かつまた、よく整理がなされている(佐山:東京都総務局,1973).発表者は,これらの貴重な地変・地震異常の記録のうち発光現象および地下水の異常の記録について,その他地質情報や被害状況も合わせて分析を試みてきた.その結果,安政江戸地震に関して興味深い地震像が得られる可能性があるので,予察的に報告する.
2.地震に伴う地変・異常現象・被害等
安政江戸地震前後の地変・異常現象については,地震の直後に記録された史料があり,その記録した人物も明らかになっている点,信頼性の高いものと考えられる.代表的な史料として,武江地動之記と安政見聞録である.なお,これらの記録は,佐山(東京都,1979)によってその種類,内容,場所,史料名などが整理されているので,これに従った.種類としては,①地割,②石垣の崩れ,③地面の凹凸,④崖崩れ,⑤橋の損壊,⑥井戸水の増・減,⑦音・震動が聞こえた方向,⑧光及び方向に分けられている.①から⑤までの地変については,震度に関わる事象として区分されるが,⑥と⑦に関しては,震源域の地殻・地盤変動に関わる事象として区分され得ると考えられる.
また,地震による建物の被害等から震度分布を推定したものは,佐山(1979),宇佐美(1995),中村他(2002)など多くある.
1) 発光現象
発光現象については,佐山(1979)は「光及方向」としてまとめているが,まず「光」については自分がいる周囲が明るくなったと感じた種類のもの(Sタイプと仮称)およびそこからの方位や場所で方向を示す記述があるもの(Dタイプと仮称)に分類され,その他,炎のように見えるもの(Fタイプと仮称)も記録されている.Sタイプの箇所を含み,かつDタイプの観察箇所をみると,北端は日暮里付近にあり,南端は品川付近,東端は築地から浅草付近,西端は飯田橋西方付近にあることになる.その分布範囲は,NNE-SSW方向に長軸を持つ楕円形内に収まり,そしてその延長は約12km,幅は約1.5kmとなる.Fタイプの観察箇所もその中に含まれている.
地震の際の発光現象は,1945年1月の三河地震や1995年1月の兵庫県南部地震など,比較的多くの地震時に観察されていたことが知られている(力武・齋藤,2006;山口他,2001など).また,地震時の発光現象の原因を研究する目的で,石英を含む花崗岩等の岩石破壊試験がなされており,発光現象が断層沿いで観察されている(Kato etal.,2010など).これらの発光現象が,本震および余震分布域によくco-seismic現象として観察されていること,および岩石の破壊実験に伴う断層沿いで認められていることから.震源断層の分布位置と密接に関係するとみることができよう.
これらの発光現象が認められた範囲が,日暮里付近から品川付近に向かって約13km延び,その幅が約3kmの楕円形を示すことは,本震の地震断層は山の手台地内をNNE-SSW方向に延びていたことを示唆する可能性がある.
2) 地下水等の増減
地下水の増減に関しては,武江地動之記によると,神田平永町で地震前に路地口の外に水の湧出がったこと,浅草蔵前で数日前土中の竹の穴跡から水が湧きでるなど,かなり顕著な地下水の湧出が記録されている.また,これとは反対に赤坂では井戸水が低下した箇所が知られている.
これらの地変の発生箇所は,上記の発光現象の分布範囲に入る.
3)被害分布
安政江戸地震に伴う家屋・寺社・大名屋敷などの被害状況に基づき,震央域付近の震度分布図が作成されている(佐山,1979;宇佐美,1995;中村他,2002など).震度分布および山の手台地内の谷底低地部や隅田川以東の軟弱地盤による揺れやすさの点を考慮すると,大きな地震動が生じたのは山の手台地東側の可能性が高く,また,上記の楕円形の範囲とかなり重なっている.
3.想起される地震断層
安政江戸地震に伴う発光現象および地下水変動,ならびに震度分布から推論される震源断層は,日暮里付近から品川へかけてのNNE-SSW系で,その強震動域から推定される震央域は山の手台地東側にある可能性が高いと考えている.ただ,いくつかの課題もあり,今後さらに検討を加えていく予定である.