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[SSS12-06] 過密都市の犠牲者率から内陸地震の震央を推定できるか?兵庫県南部地震の例
キーワード:歴史地震、犠牲者率、震央、兵庫県南部地震、都市震災
1. はじめに
近年,死傷者率や全壊家屋一軒あたりの死者数といった人的被害状況を基に歴史地震の震央を求めることが試みられている(たとえば都司,2010).これは,1)人は初期微動を感じた直後から適切な避難行動をとりうる,2)そのため,初期微動継続時間(すなわち震央距離)と生存率の間には密接な関係がある,ことを前提としている.これまでの研究では,上記の前提が成り立つ可能性が高い農村部における夜間の地震を対象として研究が進められ,地盤状況に左右される家屋倒壊率よりも明確に震央を特定できる可能性が高いことが示されてきた(たとえば小松原,2016).
一方,家屋が密集する都市域では,たとえ初期微動継続中に屋外に避難できたとしても建物が道を塞ぐように倒壊する危険があり,初期微動継続時間と生存率の間に密接な関係があるかどうかは検討の余地がある.
演者は安政江戸地震のような市街地を襲った夜の地震の震央を推定するために死傷者率を用いることができるかどうか検討することを意図して,1995年兵庫県南部地震による死傷者率と震央距離の関係を検討した.
2. 兵庫県南部地震の概要と人的被害状況
兵庫県南部地震は周知のように午前5時46分に明石海峡の地下16kmを震源として生じたM=7.3の地震である.この地震の震源過程はSekiguchi et al. (1998)などにより詳しく解析されている.それによると,明石海峡で始まった断層破壊は,5秒後に長田区から灘区の市街地に至る諏訪山断層深部に,9秒後に東灘区から宝塚市に至る五助橋断層深部に伝搬した.すなわち神戸側では複数の破壊セグメントがあり,破壊は西から東に進行した.
本研究では毎日新聞社編(2015)に記された死者と,直近の国勢調査ないし住民基本台帳に記された地震直前の住民総数の比から死者率を町ごとに求めた.
死傷者率の分布は,建築研究所(1996)に記された建物被災状況の分布ときわめてよく似ており,垂水区東部から兵庫区一帯と,灘区から西宮市西部一帯にかけて高い傾向を示す.これは,初期微動継続時間から推定されるパターン,すなわち垂水区付近で最も高く,東に向かって低下する傾向とは明らかに異なっている.
3. 議論と今後の課題
兵庫県南部地震の神戸側の被害状況を見る限り,初期微動継続時間と生存率の間に密接な関係は見出しがたい.これは,1)耐震性の低い2階屋が多く、逃げようとしても刺激れなかった人が多かった,2)外を塞ぐように建物が倒壊した地区では逃げ切れなかった人が多い,3)「地震を感じたら,まず机の下に隠れよ」と学習してたため,住家の倒壊に対応できなかった,などの要因が考えられる.2)の要因は近世の過密都市でも同様と考えられ,過密都市を襲った地震について,死傷者率分布から震央を推定することには慎重であるべきという結論が導かれる.
今後は,淡路島側の死傷者率も求めることや,震央距離ないしは破壊イベント開始点との距離と死傷者率・家屋倒壊率の関係を統計的に求めることが課題である.
文献
毎日新聞社編(1995)ドキュメント阪神大震災全記録 平成7年兵庫県南部地震完全保存版,242p.
建築研究所(1996)平成7年兵庫県南部地震被害調査最終報告書.303p.
小松原琢(2016) 死傷者率にもとづく内陸地震の震央の推定-安政五年(1858年)-飛越地震の事例-.歴史地震,31,1-7.
Sekiguchi,H.,Irikura,K. and Iwata,T. (2000) Fault geometry at the rupture termination of the 1995 Htyogo-ken Nanbu Earthquake. BSSA,90,117-133.
都司嘉宣(2010)集落別死者分布で見た文政11年11月12日(1828,Dec.,28)越後三条地震.地質ニュース676,12-20.
近年,死傷者率や全壊家屋一軒あたりの死者数といった人的被害状況を基に歴史地震の震央を求めることが試みられている(たとえば都司,2010).これは,1)人は初期微動を感じた直後から適切な避難行動をとりうる,2)そのため,初期微動継続時間(すなわち震央距離)と生存率の間には密接な関係がある,ことを前提としている.これまでの研究では,上記の前提が成り立つ可能性が高い農村部における夜間の地震を対象として研究が進められ,地盤状況に左右される家屋倒壊率よりも明確に震央を特定できる可能性が高いことが示されてきた(たとえば小松原,2016).
一方,家屋が密集する都市域では,たとえ初期微動継続中に屋外に避難できたとしても建物が道を塞ぐように倒壊する危険があり,初期微動継続時間と生存率の間に密接な関係があるかどうかは検討の余地がある.
演者は安政江戸地震のような市街地を襲った夜の地震の震央を推定するために死傷者率を用いることができるかどうか検討することを意図して,1995年兵庫県南部地震による死傷者率と震央距離の関係を検討した.
2. 兵庫県南部地震の概要と人的被害状況
兵庫県南部地震は周知のように午前5時46分に明石海峡の地下16kmを震源として生じたM=7.3の地震である.この地震の震源過程はSekiguchi et al. (1998)などにより詳しく解析されている.それによると,明石海峡で始まった断層破壊は,5秒後に長田区から灘区の市街地に至る諏訪山断層深部に,9秒後に東灘区から宝塚市に至る五助橋断層深部に伝搬した.すなわち神戸側では複数の破壊セグメントがあり,破壊は西から東に進行した.
本研究では毎日新聞社編(2015)に記された死者と,直近の国勢調査ないし住民基本台帳に記された地震直前の住民総数の比から死者率を町ごとに求めた.
死傷者率の分布は,建築研究所(1996)に記された建物被災状況の分布ときわめてよく似ており,垂水区東部から兵庫区一帯と,灘区から西宮市西部一帯にかけて高い傾向を示す.これは,初期微動継続時間から推定されるパターン,すなわち垂水区付近で最も高く,東に向かって低下する傾向とは明らかに異なっている.
3. 議論と今後の課題
兵庫県南部地震の神戸側の被害状況を見る限り,初期微動継続時間と生存率の間に密接な関係は見出しがたい.これは,1)耐震性の低い2階屋が多く、逃げようとしても刺激れなかった人が多かった,2)外を塞ぐように建物が倒壊した地区では逃げ切れなかった人が多い,3)「地震を感じたら,まず机の下に隠れよ」と学習してたため,住家の倒壊に対応できなかった,などの要因が考えられる.2)の要因は近世の過密都市でも同様と考えられ,過密都市を襲った地震について,死傷者率分布から震央を推定することには慎重であるべきという結論が導かれる.
今後は,淡路島側の死傷者率も求めることや,震央距離ないしは破壊イベント開始点との距離と死傷者率・家屋倒壊率の関係を統計的に求めることが課題である.
文献
毎日新聞社編(1995)ドキュメント阪神大震災全記録 平成7年兵庫県南部地震完全保存版,242p.
建築研究所(1996)平成7年兵庫県南部地震被害調査最終報告書.303p.
小松原琢(2016) 死傷者率にもとづく内陸地震の震央の推定-安政五年(1858年)-飛越地震の事例-.歴史地震,31,1-7.
Sekiguchi,H.,Irikura,K. and Iwata,T. (2000) Fault geometry at the rupture termination of the 1995 Htyogo-ken Nanbu Earthquake. BSSA,90,117-133.
都司嘉宣(2010)集落別死者分布で見た文政11年11月12日(1828,Dec.,28)越後三条地震.地質ニュース676,12-20.