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[SSS12-12] 2016年熊本地震に伴い阿蘇カルデラ内に生じた亀裂の地形・地質要因
キーワード:熊本地震、阿蘇カルデラ、亀裂、地盤側方移動
2016年4月14日(Mw6.5)および16日(Mw7.0)の熊本地震は、阿蘇山西部から島原湾に北東―南西に延びる布田川断層帯の東半分と震央の益城町から八代海に延びる日奈久断層帯の北部の一部に、正断層を伴う右横ずれ型の明瞭な地表地震断層が約27 km出現した(地震調査研究推進本部、2016;熊原、2016;産総研、2016)。これらの地震によって、益城ではそれぞれ最大加速度1580galおよび1362galが観測された(防災科研、2016)。また地表亀裂を伴う多様な地盤変状が、地表地震断層の周辺で確認されている(国土地理院、2016)。しかしながら、被害をもたらした地盤変状の要因については十分に解明されていない。布田川断層帯の東側では、明瞭な地表亀裂が阿蘇カルデラの低地帯の中に北東―南西方向の帯状に出現した。この亀裂帯の成因について、Lin et al.(2016)と中田・他(2016)は地震断層としたが、黒木ほか(2016)は地盤の側方移動によるとしている。本震から176日後の10月8日、布田川断層帯の東方のカルデラ内に形成された中央火口丘では火山噴火がおきている。阿蘇カルデラ内の亀裂の成因を明らかにすることは、活断層と火山の分布や断層運動と火成活動との関係を理解する上で極めて重要である。そこで本研究は、亀裂帯の中央部の乙姫地区において、①亀裂の分布と変位様式、②亀裂の形成場の地形的・地質的特徴および③活断層地形の有無を調査した。その結果、亀裂の成因は重力性のマスムーブメントであることを明らかにした。以下では、これらの分析内容について報告する。
亀裂の分布亀裂の分布は、Google EarthおよびUAVの画像判読に基づき現地調査を行い、GPSで位置を特定した。その結果、亀裂は途中で大きく湾曲しながら、本流の黒川にほぼそうように、川から南西側に約400~1000 m離れた低地帯の中に、北東から南西に帯状に約2km分布することが明らかになった。
亀裂の変位様式を明らかにするために、亀裂の方向に対してほぼ直交する地形断面測量を3測線で実施した。また亀裂沿いに、開口量と上下変位量の分布を明らかにした。その結果、調査地では亀裂の数は78か所確認された。全ての亀裂は開口性であり、開口量は最大約0.47 mであった。また横ずれ変位は、認められなかった。亀裂は、連続のある長さ100~300mのものと、その周辺にある短いものに分類された。連続のある長い亀裂は、ほぼ2本が平行に分布して、その間の地盤が大きく陥没している個所が4か所で認められた。陥没量は、最大約1.75 mであった。
国土地理院によって地震前に公表された5mメッシュの数値標高モデルに基づき地形断面を作成し、上述した亀裂横断3測線における地震後の地形断面と地形の変化を比較した。その結果、北側の測線では、水路より南東側の地盤が幅約300 mに渡って約0.2 m沈下していた。中央と南の測線では、亀裂分布帯よりも北西側の地盤が相対的に0.1 m~0.5 m沈下し、中央の測線では、地物マーカーが数10 cm北西側にシフトしている。従って熊本地震によって、地盤に深さ最大約1.75 mの亀裂が発生し、亀裂を境界に北西側の地盤が開水路に向かって数10 cm移動したと推定される。
亀裂形成場の地形的特徴については、1948年撮影の空中写真の判読から、20世紀後半以降の圃場整備前の地形を復元した。調査地の地形は、山地斜面、段丘群および沖積低地に分類され、断層地形は調査地内では認められなかった。したがって、熊本地震による阿蘇谷の亀裂は活断層の動きによるものではないと判断する。
また亀裂は、沖積低地のみに認定できた。微地形判読を実施した結果、この地域には北北西‐南南東方向を向いた乙姫川の旧流路と、東北東‐西南西方向を向いた黒川の旧流路がある。黒川沿いでは、黒川本流と乙姫川支流の流路が混在する地帯が認められる。混在地の幅は、黒川から最大約800 mに達しており、黒川は蛇行していたことが推定される。亀裂は、この黒川の旧流路のほぼ外縁部に沿って現れていた。従って、阿蘇谷の亀裂の発生は、本流と支流の地形境界に規制されたと推定する。
亀裂が形成された地質的な要因を調べるため、亀裂が形成された周辺の4地点でのボーリング結果をもとに、南北方向と東西方向をそれぞれ結ぶ2つの地質断面図を作成し、南北と東西の地質構造を推定した。その結果、亀裂が生じたエリアの地表付近は、砂質シルトの地盤から形成されており、地層は黒川に向かって傾斜している。そのため地盤は、黒川に向かって動いたと推定する。
以上の結果から、阿蘇カルデラ内の亀裂の成因は、地震時における地盤の側方移動に起因すると結論する。
亀裂の分布亀裂の分布は、Google EarthおよびUAVの画像判読に基づき現地調査を行い、GPSで位置を特定した。その結果、亀裂は途中で大きく湾曲しながら、本流の黒川にほぼそうように、川から南西側に約400~1000 m離れた低地帯の中に、北東から南西に帯状に約2km分布することが明らかになった。
亀裂の変位様式を明らかにするために、亀裂の方向に対してほぼ直交する地形断面測量を3測線で実施した。また亀裂沿いに、開口量と上下変位量の分布を明らかにした。その結果、調査地では亀裂の数は78か所確認された。全ての亀裂は開口性であり、開口量は最大約0.47 mであった。また横ずれ変位は、認められなかった。亀裂は、連続のある長さ100~300mのものと、その周辺にある短いものに分類された。連続のある長い亀裂は、ほぼ2本が平行に分布して、その間の地盤が大きく陥没している個所が4か所で認められた。陥没量は、最大約1.75 mであった。
国土地理院によって地震前に公表された5mメッシュの数値標高モデルに基づき地形断面を作成し、上述した亀裂横断3測線における地震後の地形断面と地形の変化を比較した。その結果、北側の測線では、水路より南東側の地盤が幅約300 mに渡って約0.2 m沈下していた。中央と南の測線では、亀裂分布帯よりも北西側の地盤が相対的に0.1 m~0.5 m沈下し、中央の測線では、地物マーカーが数10 cm北西側にシフトしている。従って熊本地震によって、地盤に深さ最大約1.75 mの亀裂が発生し、亀裂を境界に北西側の地盤が開水路に向かって数10 cm移動したと推定される。
亀裂形成場の地形的特徴については、1948年撮影の空中写真の判読から、20世紀後半以降の圃場整備前の地形を復元した。調査地の地形は、山地斜面、段丘群および沖積低地に分類され、断層地形は調査地内では認められなかった。したがって、熊本地震による阿蘇谷の亀裂は活断層の動きによるものではないと判断する。
また亀裂は、沖積低地のみに認定できた。微地形判読を実施した結果、この地域には北北西‐南南東方向を向いた乙姫川の旧流路と、東北東‐西南西方向を向いた黒川の旧流路がある。黒川沿いでは、黒川本流と乙姫川支流の流路が混在する地帯が認められる。混在地の幅は、黒川から最大約800 mに達しており、黒川は蛇行していたことが推定される。亀裂は、この黒川の旧流路のほぼ外縁部に沿って現れていた。従って、阿蘇谷の亀裂の発生は、本流と支流の地形境界に規制されたと推定する。
亀裂が形成された地質的な要因を調べるため、亀裂が形成された周辺の4地点でのボーリング結果をもとに、南北方向と東西方向をそれぞれ結ぶ2つの地質断面図を作成し、南北と東西の地質構造を推定した。その結果、亀裂が生じたエリアの地表付近は、砂質シルトの地盤から形成されており、地層は黒川に向かって傾斜している。そのため地盤は、黒川に向かって動いたと推定する。
以上の結果から、阿蘇カルデラ内の亀裂の成因は、地震時における地盤の側方移動に起因すると結論する。