[SVC47-P13] 新潟焼山の昭和初期の噴気活動および1949年の噴火記録の再検討
キーワード:新潟焼山、1949年噴火
○はじめに
新潟焼山は新潟県南西部にある活火山で、過去の火山活動は早津(2008)に詳しくまとめられている。これによると、1773年にはマグマ噴火が発生し、火砕流を伴った。また、20世紀以降も小規模な水蒸気爆発が発生しており、1949年と1974年の噴火では降灰や泥流による被害が生じ、その後は、1983年、1997~1998年に小規模な噴火が発生した。
現在も、山頂付近には噴気地帯があり、山麓からも噴気がみられる。2010年以降は、気象庁が噴気活動を24時間体制で常時監視している。それによると、2015年夏頃から噴気活動が高まり、2016年4月、5月、7月にはごく小規模の噴火が発生した。
国井(1950)によると、明治時代以降の噴気活動は、1894年頃や1917~1919年に活発であった。その後、1927年に新しい噴気孔が生成した。朝比奈(1937)によると、大正末から昭和初期に噴気があったとされているが、詳細はわかっていない。1930年頃以降、1949年の噴火発生までの噴気活動ははっきりしていない。
気象庁は明治時代以降、火山噴火に関する事実を収集・観測し、その結果を公表してきた。しかし、地方の気象官署が県の所属だった期間(高田測候所は、1921年(大正10年)~1939年(昭和14年)の間、新潟県庁に所属)などは、火山観測記録の詳細は、気象庁の刊行物に記載されていないものがある。この期間に該当する火山観測記録や、1949年の噴火調査報告が新潟地方気象台に保存されており、今回、その内容をあらためて見直した。
本発表では、今回見直した観測記録による1930年頃の新潟焼山の噴気活動と、1949年の噴火について報告する。また、最新の火山の状況を報告し、今後の活動推移と火山活動監視の留意点を考察する。
○昭和初期の新潟焼山の噴気活動
新潟地方気象台の資料によると、昭和初期に旧上早川村役場(山頂から約10km)が、新潟焼山の噴気を観測している。それによると、1932年3月に新しい噴気が見え、その後、同年5月には山頂付近で間欠泉が発生し、温水が東斜面を流下しているように見えた。このような温水等が流下する現象は、1974年7月の噴火でも発生し、1949年2月の噴火でも発生した可能性がある。また、2016年5月、7月に、泥水の流下が数回観測されている。
1932年7月には、上早川村で、噴気の音(自動車が通るような音)が聞かれ、同年11月には、火山ガスによるとみられる臭気を感じたことが報告されている。
○1949年と1974年の噴火との比較
明治時代以降の新潟焼山の噴火で、1949年2月と1974年7月の噴火はもっとも顕著な噴火である。新潟地方気象台の資料には、1949年2月噴火時の爆発音の状況、降灰の深さ等が記録されている。これをもとに、1949年の噴火時の現象(爆発音等)をまとめ、降灰量を推定し、1974年の噴火との比較を試みた。
その結果、1949年2月の噴火では、山頂から約16kmの地点まで音響が聞こえ、地響きや「障子」の振動があった。これに対し、1974年の噴火では、山頂から4~6kmにある山小屋で、爆発音や鳴動が聞かれたが、それより遠方では、爆発音等は聞かれなかった。噴火(爆発)の強さは、1949年の噴火が1974年の噴火を上回っていたと考えられる。ただし、1949年の噴火口は、山頂の北東斜面に分布しており、糸魚川市や妙高市方面に爆発音等が伝わりやすいが、1974年の主な噴火口は、山頂の西側斜面にあり、爆発音等が糸魚川市等の居住地域に伝わりにくい。このため、住民には聞こえなかった可能性がある。
1949年2月の噴火による降灰の厚さは、関温泉、燕温泉(山頂の東約9~10km)などで約30mm、信越線の妙高高原~関山駅間(山頂の東約16km)で、最大21mmであった。また、飯山線桑名川~飯山駅間で降灰があり、最大は信濃平駅付近(山頂の東約30km)で、11mmであった。この資料をもとに、降灰量を推定すると約200万m3(見かけ体積)となる。1974年噴火の降灰量は約65万トン(茅原,1975)であるので、両者はほぼ同規模の噴火である。
今後、活動が活発化した場合には、山麓で、噴気の音響や、臭気を感ずることもありうると思われる。今後も地震、地殻変動といった観測機器による監視とともに、山麓で人が感じる現象も含め、火山活動を注意深く監視する必要がある。
○参考文献
朝比奈,1937:焼山火山調査(第2報).気象集誌,2篇,15,502-525
国井,1950:焼山の爆発について,妙高戸隠の自然,国立公園資料,第5輯,13-15
茅原,1975:新潟焼山火山の1974年活動に関する緊急調査,研究報告,42
早津,2008:妙高火山群 -多世代火山のライフヒストリー,実業広報社,156-158
新潟焼山は新潟県南西部にある活火山で、過去の火山活動は早津(2008)に詳しくまとめられている。これによると、1773年にはマグマ噴火が発生し、火砕流を伴った。また、20世紀以降も小規模な水蒸気爆発が発生しており、1949年と1974年の噴火では降灰や泥流による被害が生じ、その後は、1983年、1997~1998年に小規模な噴火が発生した。
現在も、山頂付近には噴気地帯があり、山麓からも噴気がみられる。2010年以降は、気象庁が噴気活動を24時間体制で常時監視している。それによると、2015年夏頃から噴気活動が高まり、2016年4月、5月、7月にはごく小規模の噴火が発生した。
国井(1950)によると、明治時代以降の噴気活動は、1894年頃や1917~1919年に活発であった。その後、1927年に新しい噴気孔が生成した。朝比奈(1937)によると、大正末から昭和初期に噴気があったとされているが、詳細はわかっていない。1930年頃以降、1949年の噴火発生までの噴気活動ははっきりしていない。
気象庁は明治時代以降、火山噴火に関する事実を収集・観測し、その結果を公表してきた。しかし、地方の気象官署が県の所属だった期間(高田測候所は、1921年(大正10年)~1939年(昭和14年)の間、新潟県庁に所属)などは、火山観測記録の詳細は、気象庁の刊行物に記載されていないものがある。この期間に該当する火山観測記録や、1949年の噴火調査報告が新潟地方気象台に保存されており、今回、その内容をあらためて見直した。
本発表では、今回見直した観測記録による1930年頃の新潟焼山の噴気活動と、1949年の噴火について報告する。また、最新の火山の状況を報告し、今後の活動推移と火山活動監視の留意点を考察する。
○昭和初期の新潟焼山の噴気活動
新潟地方気象台の資料によると、昭和初期に旧上早川村役場(山頂から約10km)が、新潟焼山の噴気を観測している。それによると、1932年3月に新しい噴気が見え、その後、同年5月には山頂付近で間欠泉が発生し、温水が東斜面を流下しているように見えた。このような温水等が流下する現象は、1974年7月の噴火でも発生し、1949年2月の噴火でも発生した可能性がある。また、2016年5月、7月に、泥水の流下が数回観測されている。
1932年7月には、上早川村で、噴気の音(自動車が通るような音)が聞かれ、同年11月には、火山ガスによるとみられる臭気を感じたことが報告されている。
○1949年と1974年の噴火との比較
明治時代以降の新潟焼山の噴火で、1949年2月と1974年7月の噴火はもっとも顕著な噴火である。新潟地方気象台の資料には、1949年2月噴火時の爆発音の状況、降灰の深さ等が記録されている。これをもとに、1949年の噴火時の現象(爆発音等)をまとめ、降灰量を推定し、1974年の噴火との比較を試みた。
その結果、1949年2月の噴火では、山頂から約16kmの地点まで音響が聞こえ、地響きや「障子」の振動があった。これに対し、1974年の噴火では、山頂から4~6kmにある山小屋で、爆発音や鳴動が聞かれたが、それより遠方では、爆発音等は聞かれなかった。噴火(爆発)の強さは、1949年の噴火が1974年の噴火を上回っていたと考えられる。ただし、1949年の噴火口は、山頂の北東斜面に分布しており、糸魚川市や妙高市方面に爆発音等が伝わりやすいが、1974年の主な噴火口は、山頂の西側斜面にあり、爆発音等が糸魚川市等の居住地域に伝わりにくい。このため、住民には聞こえなかった可能性がある。
1949年2月の噴火による降灰の厚さは、関温泉、燕温泉(山頂の東約9~10km)などで約30mm、信越線の妙高高原~関山駅間(山頂の東約16km)で、最大21mmであった。また、飯山線桑名川~飯山駅間で降灰があり、最大は信濃平駅付近(山頂の東約30km)で、11mmであった。この資料をもとに、降灰量を推定すると約200万m3(見かけ体積)となる。1974年噴火の降灰量は約65万トン(茅原,1975)であるので、両者はほぼ同規模の噴火である。
今後、活動が活発化した場合には、山麓で、噴気の音響や、臭気を感ずることもありうると思われる。今後も地震、地殻変動といった観測機器による監視とともに、山麓で人が感じる現象も含め、火山活動を注意深く監視する必要がある。
○参考文献
朝比奈,1937:焼山火山調査(第2報).気象集誌,2篇,15,502-525
国井,1950:焼山の爆発について,妙高戸隠の自然,国立公園資料,第5輯,13-15
茅原,1975:新潟焼山火山の1974年活動に関する緊急調査,研究報告,42
早津,2008:妙高火山群 -多世代火山のライフヒストリー,実業広報社,156-158